第二十六話 ただいま
第四部 終わらない夏
東北自動車道を降りる頃には、空は夕焼け色に染まっていた。
見慣れた街並みが少しずつ増えていく。
旅先では何日も感じなかった「帰ってきた」という実感が、ゆっくり胸に広がっていった。
「あと少しだな。」
健二が言う。
「長かったような、短かったような。」
駿は窓の外を眺めながら頷いた。
たった十日ほど。
それなのに、何か月も旅をしていたような気がする。
見慣れた国道へ入る。
コンビニ。
ガソリンスタンド。
工場。
どれも旅に出る前と何も変わらない。
変わったのは、自分たちだけなのかもしれなかった。
夕暮れの住宅街。
白い軽自動車は、ゆっくりと駿の家の前へ止まった。
「着いた。」
「着いたな。」
二人とも、しばらく車を降りなかった。
旅が終わってしまう。
そんな気持ちが、少しだけあった。
荷物を降ろす。
写ルンです。
旅行バッグ。
読み込んだ「るるぶ東北」。
付箋は端が折れ曲がり、表紙も少しくたびれていた。
「役目、終わったな。」
駿が笑う。
「また行く時に使える。」
健二も笑った。
「じゃあ。」
「また明日。」
「え?」
「休み、まだあるじゃん。」
「あ、そうか。」
二人とも声を出して笑った。
旅が終わった気がしていた。
でも、お盆休みはまだ数日残っている。
「じゃあ、また遊ぶか。」
「いつものようにな。」
「おう。」
それだけ言って、健二は軽く手を振った。
白い軽自動車は静かに走り去っていく。
角を曲がり、見えなくなった。
「ただいま。」
玄関を開ける。
母が奥から顔を出した。
「おかえり。」
「無事だった?」
「うん。」
「楽しかった?」
駿は少しだけ考えてから笑った。
「うん。すごく。」
それだけで十分だった。
風呂へ入り、夕飯を食べる。
久しぶりの家の味。
テレビでは、いつものバラエティ番組が流れている。
旅先では毎日違う景色を見ていたのに、家では時間が止まったままのようだった。
自分の部屋へ戻る。
旅行バッグを開ける。
お土産。
パンフレット。
高速道路の領収書。
宿のレシート。
そして、使い切った写ルンです。
駿はそれを机の上へ置いた。
「現像、出さなきゃ。」
まだ写真は見られない。
現像が出来上がるまでのお楽しみだった。
窓を開け、青い網戸にする。
夜風が部屋へ入ってくる。
遠くで虫が鳴いている。
その音を聞いていると、田代島の波の音を思い出した。
十和田湖の夜風も。
大間崎の潮風も。
みんな、昨日のことのようだった。
翌日。
昼過ぎになると、健二が遊びに来た。
「おーい。」
「もう来たのか。」
「休みだし。」
母が呆れたように笑う。
「昨日まであんなに一緒だったのに、また健二くん?」
「暇だから。」
駿は照れくさそうに笑った。
夕方。
妹が言った。
「健二くんって、本当に親友なんだね。」
「いや。」
駿は少し照れる。
「そこまでじゃないよ。」
そう答えた。
その時は、本気でそう思っていた。
けれど――
三十四年経った今なら分かる。
あの夏、一緒に笑い、一緒に走り、一緒に海を眺めた、長い時間を一緒に過ごした友人。
あれは、間違いなく親友だった。
旅が終わっても、人生は続いていく。
工場へ戻る。
毎日同じライン。
同じ廊下。
同じ機械の音。
けれど心のどこかには、いつもあの夏の青空が残っていた。
そして、その夏が少しずつ、次の人生へ背中を押してくれていた。
夏は終わる。
けれど、思い出は終わらない。
そしていつか――
もう一度、あの夏へ帰る旅が始まる。




