第二十五話 帰り道
青森を離れる朝は、少しだけ曇っていた。
空一面が灰色というわけではない。
薄い雲がゆっくり流れ、その隙間から青空がのぞいている。
「今日は涼しいな。」
健二がエンジンをかけながら言う。
「帰る日っぽい天気。」
「分かる。」
駿は助手席でシートベルトを締めた。
旅の始まりのような高揚感は、もうない。
その代わり、長い旅を終えたあとの静かな満足感があった。
東北自動車道へ入る。
行きとは違い、二人とも道に慣れていた。
標識を見る余裕もある。
どの方向へ進めばいいかも、もう分かる。
「行きは必死だったな。」
「首都高で迷子になりかけたし。」
「地図見ながら酔いそうだった。」
二人で笑う。
しばらく走ると、健二が大きなあくびをした。
「眠い?」
「ちょっと。」
「代わろうか。」
「頼む。」
サービスエリアへ入り、運転を交代する。
駿がハンドルを握るのは久しぶりだった。
シートの位置を合わせ、ミラーを調整する。
「よし。」
アクセルを踏む。
白い軽自動車は、再び南へ向かって走り出した。
健二は助手席で地図を膝に置いたまま、すぐに眠ってしまった。
静かな寝息が聞こえる。
駿は前を見たまま、一人で車を走らせる。
高速道路の両側には、夏の景色が流れていく。
遠くの山。
田んぼ。
入道雲。
ラジカセからは、サザンのバラードが小さく流れていた。
不思議と、この帰り道にぴったりだった。
ふと、旅に出る前のことを思い出す。
工場の薄暗い廊下。
部品を取りに行くたび、一人で長い通路を歩いた。
その時、何度も思っていた。
「僕の行く先は、この廊下の先じゃない気がする。」
もちろん、その答えはまだ見つかっていない。
今も工場で働いている。
帰ったらまた同じ毎日が始まる。
それでも――。
この旅に出る前と、まったく同じ自分ではない気がしていた。
数時間後。
小さなドライブインを見つけ、休憩する。
ベンチに座ると、体のあちこちが痛かった。
「やっぱ長距離きついな。」
健二が肩を回す。
「昨日の民宿で正解だった。」
「車中泊続けてたら死んでた。」
「最初のドライブイン、体バキバキだったもんな。」
「あれで学んだ。」
二人は缶コーヒーを飲みながら笑った。
「そういえば。」
駿が思い出したように言う。
「写ルンです、現像楽しみだな。」
「ラベンダー畑、ちゃんと写ってるかな。」
「咲いてなかった説あるぞ。」
「やめろ。」
「大間の写真は?」
「あれは写ってるだろ。」
「石碑の前で、めちゃくちゃぎこちなかったけど。」
二人とも思い出して笑った。
写真に撮られるのは恥ずかしかった。
だから風景ばかり撮っていた。
それでも、あの二枚だけは、きっと特別な写真になる気がした。
再び車へ戻る。
午後の日差しが少しずつ西へ傾いていく。
高速道路を南へ走り続ける。
ラジカセのテープが終わる。
カチャン。
駿は新しいテープを探しかけて、ふと手を止めた。
「どうした?」
「いや。」
「このままでもいいかなって。」
車内が静かになる。
聞こえるのはエンジン音と風の音だけ。
その静けさが、妙に心地よかった。
窓の外を見る。
流れていく景色を眺めながら、駿は思う。
この旅は、きっと何年経っても忘れない。
大間の風。
田代島の波の音。
奥入瀬の水。
十和田湖の夜。
キリストの墓の静けさ。
そして、隣で眠そうにしている親友の横顔。
夕方が近づく。
空が少しずつ茜色に染まり始めていた。
白い軽自動車は、長い帰り道を静かに走り続ける。
神奈川まで、あともう少し。
夏の旅も、終わりが近づいていた。
第三部 北へ続く道 完。




