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第二十四話 キリストの墓

 帰り道は、不思議なくらい穏やかだった。


 旅の目的はもう果たしている。


 だから急ぐ理由もない。


 寄り道をしながら、思いついた場所へ立ち寄る。


 そんな贅沢な時間が続いていた。


「ここら辺だったよな。」


 助手席で地図を広げた駿が言う。


 健二が速度を落とす。


 道路脇に、小さな木製の案内板が立っていた。


 『キリストの墓』


「ほんとにあるんだ。」


「本で見た時は半信半疑だったけどな。」


 二人は顔を見合わせて笑った。


 車を停める。


 辺りには他に車は一台だけ。


 観光地というより、小さな公園のような静けさだった。


 ゆるやかな坂道を歩いていく。


 木々が陽射しを遮り、昼間なのに少し薄暗い。


 蝉の声も、ここでは遠く聞こえる。


「なんか……。」


 駿が小声になる。


「静かだな。」


「うん。」


 健二も自然と声を落としていた。


 小さな丘を登る。


 すると木立が開け、その中央に一本の標柱が立っていた。


 『キリストの墓』


 その周りを丸く囲むように、低い土盛りがある。


 派手なものは何もない。


 本当に、それだけだった。


 二人はゆっくり近づく。


 誰に言われたわけでもないのに、足音まで小さくなる。


「ここなのか。」


「らしい。」


 それ以上、言葉が続かない。


 風が木々を揺らす。


 葉擦れの音だけが静かに響く。


 駿はゆっくり一周してみた。


 六メートルほどの円。


 歴史の真偽は分からない。


 それでも、この場所を大切に守ってきた人たちがいることだけは伝わってくる。


「なあ。」


 健二がぽつりと言う。


「変なこと言うのやめよう。」


「……うん。」


 駿も頷く。


「なんか。」


「失礼な気がする。」


 宗教の違いでも、信じる信じないでもない。


 ただ、この静けさを壊したくなかった。


 それだけだった。


 しばらく誰も話さなかった。


 風だけが吹いている。


 木漏れ日がゆっくり動いていく。


 駿はふと、ポケットから写ルンですを取り出した。


「撮っとく?」


「最後だな。」


 ファインダーを覗く。


 カシャ。


 乾いた音が鳴る。


 そして。


 巻き上げレバーが止まった。


「あ。」


「終わった?」


「うん。」


 駿は少し笑った。


「使い切った。」


「ちょうどここでか。」


 健二も笑う。


「旅らしいな。」


 二人はしばらく写ルンですを眺めていた。


 三本。


 その中には、どんな景色が写っているのだろう。


 まだ現像するまで分からない。


 ラベンダー畑。


 田代島。


 大間崎。


 そして、この小さな丘。


 夏の思い出は、全部フィルムの中にしまわれていた。


 車へ戻る途中だった。


 林の奥で、何かが動いた気がした。


 ガサッ。


 駿が立ち止まる。


「……?」


 草が少し揺れている。


 風だろうか。


 鳥だろうか。


 じっと見つめる。


 すると草むらの奥から、太い何かがゆっくり姿を見せた。


 茶色とも灰色ともつかない色。


 胴回りは、大人の太ももほどもある。


「健二。」


「ん?」


「あれ。」


 健二も振り返る。


 二人が見た瞬間だった。


 その生き物は、驚くほどの速さで草むらの奥へ滑り込んでいった。


 ガサガサガサッ――。


 音だけを残して、姿は消える。


 二人は顔を見合わせた。


「……蛇?」


「いや。」


「太くなかった?」


「太かった。」


 しばらく沈黙が続く。


「写真撮ればよかったな。」


「さっきフィルム終わってね?」


「そうだった…」


「ははは。」


 結局、何だったのか答えは出はなかった。


 車へ戻る。


 エンジンをかける。


「写真、なくなっちゃったな。」


「帰ったゴールの瞬間は撮れないな。」


「まあ。」


 健二は笑う。


「目に焼き付けるんだよ!」


「そうだな。」


 駿も笑った。


 写ルンですには収まらなくても、心にはちゃんと残る景色もある。


 二人はそんな年齢になり始めていた。


 白い軽自動車は再び南へ向かって走り出す。


 旅も、残すところあとわずか。


 この旅はどんな終わり方をするのだろうか。


 少し寂しさを感じたのは黙っていた。

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