第二十三話 引き返した道
本州最北端をあとにした白い軽自動車は、海岸線を離れ内陸へ向かって走っていた。
窓の外には深い緑。
道路脇には背の高い草が揺れ、ときおり杉林が続く。
さっきまで見えていた青い海は、もうどこにもなかった。
ラジカセからは静かな曲が流れている。
さっきまでの賑やかな気分も落ち着き、二人ともどこかのんびりしていた。
「次は……。」
駿はるるぶ東北を開く。
付箋の貼ってあるページをめくる。
「恐山。」
「おう。」
健二は短く返事をした。
地図の上では、もうそれほど遠くない。
せっかくここまで来たのだから寄っていこう。
そんな軽い気持ちだった。
「恐山ってさ。」
駿がページを眺めながら言う。
「イタコがいるところだよな。」
「たしか。」
「霊とか呼ぶ人。」
「テレビで見たことある。」
健二もそう答えた。
二人とも詳しく知っているわけではない。
ただ、「ちょっと怖い場所」という程度の知識だった。
「まあ昼間だし。」
「平気だろ。」
「だな。」
車は山道へ入っていく。
少しずつカーブが増え始めた。
窓の外には人家も少なくなり、木々が空を覆うようになる。
昼間なのに薄暗い。
「急に山だな。」
「うん。」
駿は外を眺める。
風景が変わるだけで、空気まで変わったような気がした。
しばらく走る。
対向車はほとんど来ない。
道は静かだった。
「なんか。」
健二がぽつりと言う。
「静かだな。」
「そうだな。」
ラジカセの音だけが車内に流れている。
普段なら何気ない静けさ。
なのに今日は、妙に耳についた。
前方に案内標識が現れる。
恐山 →
健二はウインカーを出しかけた。
その時だった。
「……。」
「……。」
二人とも、なぜか何も言わない。
数秒だけ沈黙が流れる。
先に口を開いたのは駿だった。
「なあ。」
「うん?」
「やっぱ。」
「やめる?」
健二は一瞬だけ駿を見る。
そして、笑った。
「俺も今そう思ってた。」
二人同時だった。
「なんか。」
「呪われたら嫌だし。」
「だよな。」
理由になっているようで、全然理由になっていない。
それでも二人には十分だった。
健二はそのままウインカーを戻した。
車は恐山方面へ曲がることなく、そのまま道なりに進んでいく。
「せっかく来たのにな。」
駿は少しだけ笑う。
「まあ。」
「また来ればいい。」
「来るかな。」
「来ない気もする。」
二人とも笑った。
しばらく走ると、さっきまでの張り詰めたような空気が、嘘のように消えていく。
空も少し明るくなった。
「なんだったんだろうな。」
「分かんない。」
「でも。」
健二は前を見たまま言う。
「無理して行くところじゃなかった気がする。」
「俺もそう思う。」
その一言で十分だった。
どちらも後悔はしていない。
ドライブインを見つけ、二人は車を停めた。
売店でソフトクリームを買う。
「さっきまで呪われるとか言ってたのにな。」
駿が笑う。
「甘い物は別。」
「現金だな。」
「うまい。」
二人はソフトクリームを食べながら笑い合う。
さっきまでの緊張はもうどこにもなかった。
ベンチへ座る。
風が木々を揺らしている。
その音を聞いていると、不思議と気持ちが落ち着いた。
駿は何気なく山の方を見る。
木々の間に、一瞬だけ何かが揺れた気がした。
鳥だったのか。
光だったのか。
それとも風に舞う綿毛だったのか。
確かめる前に、それは見えなくなった。
「どうした?」
健二が聞く。
「いや。」
駿は首を振る。
「たぶん気のせい。」
「そういう日もある。」
健二は笑ってソフトクリームを食べる。
その笑顔を見ていると、本当に気のせいだったような気がした。
白い軽自動車は再び走り始める。
帰り道は、まだ始まったばかりだった。
この先には、八戸。
そして、あの小さな丘にあるという「キリストの墓」が待っている。
旅は終わりへ向かっていた。
けれど、不思議な出来事だけは、まだ静かに二人のあとを歩いていた。




