第二十一話 北の風
十和田湖をあとにすると、道は再び北へ向かって伸びていた。
窓の外には、どこまでも続く緑の山並み。
夏の日差しは強いのに、吹き込んでくる風はどこか涼しい。
昨日までとは、空気が少し違っていた。
「もう青森なんだな。」
助手席で地図を広げた駿が言う。
「日本って広いな。」
「神奈川からずっと北だもんな。」
健二はハンドルを軽く握り直した。
白い軽自動車は、一定のリズムで北へ走り続ける。
ラジカセから流れていたカセットが終わる。
カチャン、と音がした。
「次、何にする?」
駿は後ろの荷物を探る。
ケースの中には、何本ものカセットテープが並んでいた。
TUBE。
サザンオールスターズ。
米米CLUB。
尾崎豊。
そして、一番下に少しだけ擦り切れた一本。
「これにする?」
駿が取り出した。
健二は横目で見て笑う。
「懐かしい、高校の時流行ったよね。」
「たまにはいいだろ。」
カセットテープに手書きで書かれた「渡辺美里ベスト」
再生ボタンを押す。
テンポのいいイントロが車内へ流れ始めた。
センチメンタルカンガルー。
My Revolution。
Believe
高校時代にも流れていた懐かしい曲だった。
二人は何も言わない。
言葉はいらなかった。
曲を聴くだけで、高校時代の二人に戻れる。
しばらく走ると、広い牧草地が見えてきた。
青い空。
白い雲。
遠くで草を食む牛。
「北海道みたいだな。」
健二がぽつりと言う。
「まだ本州だけどな。」
「でも、あと少しで一番北だ。」
「本当に来ちゃったな。」
地図でしか知らなかった場所を、自分たちが走っている。
その事実が少し不思議だった。
昼過ぎ。
道路脇の小さな売店を見つけて車を停める。
冷えた缶ジュースを買い、店先のベンチへ腰掛けた。
周りには誰もいない。
蝉の声だけが響いている。
「そういえばさ。」
健二が缶を開けながら言う。
「旅に出てから一回もケンカしてないな。」
駿は笑った。
「する理由ある?」
「いや、長旅って普通ケンカするって聞くじゃん。」
「そうかな。」
少し考える。
「たぶん。」
「お互い放っとくからじゃない?」
「ああ。」
健二は頷いた。
「眠ければ寝るし。」
「腹減ったら飯食うし。」
「行きたいとこは相談するし。」
「説教もしないし。」
「無理もしない。」
それだけだった。
特別な約束など何もない。
だから気楽だった。
「馬が合うってやつか。」
「そうかも。」
二人は缶コーヒーを飲み干した。
再び車を走らせる。
道は海へ近づいていく。
やがて視界が一気に開けた。
「おぉ!」
二人の声が重なる。
左手いっぱいに、青い海が広がっていた。
夏の日差しを受け、海面が細かくきらめいている。
道路は海岸線に沿って伸び、その向こうには白い雲が積み重なっていた。
健二は自然と窓を全開にする。
潮風が勢いよく車内へ飛び込んできた。
「これだよ。」
「ここはTUBEだ。」
良いタイミングでがサマードリームが流れ出す。
駿は笑いながらラジカセの音量を少し上げた。
海と夏。
そして車。
この組み合わせには、tubeがよく似合った。
二人は歌詞を口ずさみながら、青い海沿いの道を走り続ける。
いつの間にか、歌詞をほとんど覚えてしまっていた。
午後の陽射しが少し傾き始めた頃だった。
前方に、小さな看板が見えてくる。
「本州最北端 大間崎 10km」
「出た!」
健二が声を上げる。
「あと少し!」
「やっとだ!」
二人とも子どものように笑っていた。
旅に出る前、地図に赤丸を付けた場所。
るるぶ東北に付箋を貼り、「ここだけは行こう」と決めた場所。
それが、もうすぐ目の前にある。
その時だった。
海から一陣の風が吹く。
ふわり。
フロントガラスの前を、小さな白いものが横切った。
「……。」
駿は目で追う。
しかし、それは風に乗って空高く舞い上がり、青空へ溶けるように消えていった。
「どうした?」
健二が聞く。
「いや。」
駿は少しだけ笑う。
「また見えた。」
「白い綿。」
健二は前を向いたまま言う。
「そのうち正体分かるんじゃないか。」
「……そうだな。」
駿は窓の外を見る。
どこまでも続く青い海。
どこまでも高い夏空。
見えなくなった白い綿。
追いかけることはしなかった。
なぜか「また会える」。
そんな気がしていたからだった。
白い軽自動車は、潮風を受けながら北へ走る。
その先には、本州最北端の岬が待っていた。




