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第十五話 夏の花火

 夕方になると、島は昼間の暑さが嘘のように静かになった。


 港に帰ってくる漁船。


 堤防で釣りをする人。


 猫たちはそれぞれお気に入りの場所で丸くなり始めている。


 潮風が少しだけ涼しくなった。


「今日はよく歩いたな。」


 健二が肩を回す。


「足が棒だ。」


「旅って意外と体力使う。」


 二人で笑う。


 夕飯のあと、叔母が押し入れから小さな紙袋を持ってきた。


「これ、残ってたから使いなさい。」


 中には手持ち花火が何本か入っていた。


「花火?」


「孫が遊びに来た時用に買っておいたの。」


「まだ使えると思うよ。」


「ありがとうございます。」


 健二が子どものように笑った。


 港から少し離れた浜辺へ向かう。


 空には細い月が浮かび、波は穏やかだった。


 叔母から借りたバケツに海水を汲み、砂浜へ置く。


「準備よし。」


 ライターで一本目に火をつける。


 ジュッ……


 パチパチパチ。


 小さな火花が夜の海に浮かび上がる。


「やっぱ夏はこれだな。」


「子どもの頃を思い出す。」


 健二も一本火をつける。


 二人の間で、オレンジ色の光が揺れる。


 花火を眺めながら、何となく話が始まる。


「高校卒業してさ。」


 健二が火花を見つめたまま言う。


「二年半しか経ってないのに、ずいぶん昔みたいに感じるな。」


「分かる。」


「毎日顔合わせてたのにな。」


「今は会社終わってから時々遊ぶくらいだもんな。」


「でも結局遊んでる。」


「それな。」


 二人で笑う。


「そういえば。」


 健二が思い出したように言う。


「中学んとき、お前んちの近くの広場で毎日野球やってたよな。」


「ああ。」


「ゴムボールで。」


「ピッチャーとバッターだけ。」


「スリーアウト勝負。」


「懐かしい。」


 あの広場には遊具が一つもなかった。


 田んぼの真ん中にぽつんとある空き地。


 夕焼けになるまで毎日投げて、打って、笑っていた。


「今やったら肩壊れるな。」


「翌日仕事休めないし。」


「社会人はつらい。」


 また笑う。


 花火は少しずつ短くなっていく。


 最後の一本に火をつける。


 静かな夜だった。


 波の音だけが聞こえる。


「なあ。」


 健二がふと空を見上げる。


「ノストラダムスって信じる?」


「ああ、人類滅亡?」


「一九九九年。」


「あと七年か。」


 花火の火が小さく揺れる。


「その日、何してたい?」


 駿は少し考えた。


「家でカレー食って寝てるかな。」


「なんだそれ。」


「どうせ終わるなら、いつもの日がいい。」


 健二は笑いながら首を振る。


「俺は仕事中かな。」


「工場?」


「うん。」


「気づいたら終わってるくらいがいい。」


「それも健二らしい。」


 二人で顔を見合わせる。


 未来なんて、まだ遠い話だった。


 最後の花火が消える。


 砂浜には静けさが戻る。


 使い終わった花火を一本ずつ水につけ、袋へ戻した。


「よし。」


「忘れ物ないな。」


「うん。」


 砂浜を見回す。


 来たときと同じ景色だった。


 それだけで、どこか気持ちがよかった。


 帰り道。


 港の街灯の下を歩いていると、白猫が防波堤の上に座っていた。


 月明かりに照らされ、その姿はぼんやりと白く浮かび上がる。


「またいた。」


 健二が小さく笑う。


「今日は毎日会うな。」


「島の案内役かもな。」


 駿も笑う。


 白猫は静かに立ち上がり、防波堤を歩いていく。


 少し進んでは振り返り、また歩く。


「……。」


 二人は追いかけなかった。


 今夜は、それでよかった。


 猫はやがて港の闇へ溶けるように姿を消した。


 波だけが、変わらず静かに岸を打っていた。


 蔵へ戻ると、窓を開けたまま布団へ横になる。


 潮風が部屋を抜け、遠くで船のエンジン音が一度だけ響いた。


「今日も終わったな。」


 健二が天井を見つめながら言う。


「まだ旅は半分くらいだけど。」


「そうだな。」


「明日は石巻へ戻る。」


 少しだけ寂しさが胸をよぎる。


 まだ島にいたい。


 そんな気持ちになっている自分に、駿は少し驚いていた。


 波の音を聞きながら目を閉じる。


 その夜は、不思議なくらい深く眠ることができた。

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