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第十四話 猫神様

 島の中央へ続く細い坂道を歩く。


 木漏れ日がアスファルトの上で揺れ、蝉の声が夏の空いっぱいに響いていた。


 地図で見ると近いはずなのに、坂道は思っていたより長い。


「運動不足だな。」


 健二が額の汗をぬぐう。


「工場じゃ歩かないもんな。」


「立ってるだけだからな。」


 笑いながら、また歩く。


 潮の香りは少しずつ薄れ、代わりに土と木々の匂いが濃くなっていく。


 やがて、小さな鳥居が見えてきた。


 鳥居の奥には石段が続いている。


 派手さはない。


 観光地というより、島の人たちが昔から大切に守ってきた場所。


 そんな空気が漂っていた。


「ここかな。」


「たぶん。」


 二人は帽子を脱ぎ、一礼して鳥居をくぐる。


 石段の両脇には古い杉が立ち並び、昼間なのに少しだけ薄暗い。


 風が吹くたび、葉擦れの音だけが響く。


 自然と足音まで小さくなった。


 境内は思っていたよりも小さかった。


 質素な社。


 苔むした石灯籠。


 猫の形をした小さな置物が、社の隅にいくつか並んでいる。


「かわいいな。」


 健二がしゃがみ込む。


「誰かがお供えしたのかな。」


 小さな煮干しや、お花が供えられていた。


 毎日ではないだろう。


 でも、誰かがちゃんと手を合わせに来ていることが分かる。


 二人は静かに手を合わせた。


 旅の安全。


 墓参りを無事に終えられたこと。


 それ以上、特別な願い事は思い浮かばない。


 風が一度だけ境内を吹き抜けた。


 杉の枝が揺れる。


 それだけだった。


「猫、いないな。」


 健二が辺りを見回す。


「猫神社だから集まってると思った。」


「昼寝してるんじゃないか。」


 その時だった。


 カサ……


 社の裏から、小さな音がした。


 二人で振り返る。


 白い尻尾が一瞬だけ見えた。


「いた。」


 健二が小声で言う。


 駿がゆっくり裏へ回る。


 しかし、そこには誰もいない。


 木漏れ日だけが揺れていた。


「また逃げられたか。」


 苦笑しながら戻ろうとした、その時。


「ニャ。」


 小さな声が聞こえた。


 振り返る。


 社の屋根の上に、白猫が座っていた。


 昼の光を浴び、その毛は雪のように白い。


 猫は真っ直ぐ駿を見ている。


 逃げない。


 鳴かない。


 ただ静かに見つめている。


「またお前か。」


 思わず笑う。


「縁があるのかな。」


 白猫は一度だけ目を細めた。


 まるで笑ったようにも見えた。


「写真撮る?」


 健二が写ルンですを取り出す。


「せっかくだし。」


「そうだな。」


 カメラを構える。


 ファインダー越しに白猫を見る。



 シャッターを切ろうとした瞬間、


 白猫はふわりと屋根から飛び降り、木々の奥へ消えてしまった。


 カシャ。


 写ったのは、誰もいない社だけだった。


「あー。」


 健二が笑う。


「逃げ足だけは速い。」


「写らなかったな。」


「まあ、また会えるさ。」


 駿は写ルンですをバッグへ戻した。


 神社をあとにして坂を下る。


 途中で振り返ると、鳥居の上に一羽のカラスが止まっていた。


 その下には、白いものが見えた気がした。


 目を凝らす。


 しかし風が吹き、葉が揺れた次の瞬間には、もう何も見えなかった。


「どうした?」


「いや……。」


 首を振る。


「何でもない。」


 港へ戻る途中、小さな広場で一休みする。


 蝉が鳴いている。


 雲がゆっくり流れていく。


「旅ってさ。」


 健二が芝生へ寝転ぶ。


「目的地もいいけど。」


「途中が楽しいな。」


「そうだな。」


 駿も空を見上げる。


 白い入道雲。


 夏の青空。


 工場では見ることのなかった空だった。


 その頃。


 二人から少し離れた木陰では、一匹の白猫が静かに座っていた。


 駿が笑うたびに耳を動かし、


 健二が笑えば、ゆっくりと目を細める。


 まるで二人の旅そのものを見守るように。


 やがて立ち上がると、音もなく森の奥へ姿を消した。


 その足跡は、柔らかな落ち葉の上にひとつも残らなかった。

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