第十三話 猫島の一日
朝食を食べ終えると、叔母が湯飲みを片づけながら言った。
「今日は島をゆっくり歩いてきなさい。」
「帰るのは明日なんだし、時間なんて気にしなくていいよ。」
「お腹空いたら帰っておいで。」
「ありがとうございます。」
健二も深く頭を下げる。
「島の猫たちにもよろしくね。」
叔母は笑った。
家を出ると、夏の日差しはもう強くなっていた。
それでも神奈川より暑く感じない。
海から吹く風が、じっとりとした暑さをさらっていく。
「気持ちいいな。」
健二が大きく伸びをした。
「こっちはエアコンいらないかも。」
「夜も涼しかったしな。」
道端には猫。
石垣の上にも猫。
漁具小屋の屋根にも猫。
「本当にどこにでもいる。」
「猫の方が島民より多いんじゃないか?」
「それは言い過ぎだろ。」
二人で笑う。
細い路地を歩いていると、一匹の三毛猫がこちらを見つけた。
逃げる様子はない。
健二がしゃがみ込む。
「おいで。」
三毛猫はゆっくり近づき、健二の足に体を擦りつけた。
「おお。」
「懐いてる。」
「俺、猫に好かれるんだよ。」
「昨日、茶トラには振られてたじゃん。」
「あれは寝起きだった。」
「猫にも都合があるか。」
二人でまた笑う。
港を離れ、島の中央へ向かう坂道を歩く。
アスファルトの道は細く、左右には濃い緑が広がっている。
蝉の声が途切れることなく続く。
車もほとんど通らない。
「こういう道、好きだな。」
「俺も。」
ただ歩くだけなのに、不思議と退屈しなかった。
坂の途中で、小さな自動販売機を見つける。
二人で缶コーヒーを買う。
日陰に腰を下ろし、何となく景色を眺める。
「旅ってさ。」
健二が缶を回しながら言った。
「何もしない時間が一番贅沢なのかもな。」
「分かる。」
「家にいたら暇って思うのに。」
「旅だと暇じゃない。」
「不思議だよな。」
風が木々を揺らす。
誰も急いでいない。
島全体が、そんな空気だった。
しばらく歩くと、小さな広場へ出た。
猫が十匹ほど集まっている。
誰かが餌をあげたばかりなのだろう。
思い思いにくつろいでいる。
「かわいいな。」
健二が近寄る。
数匹は逃げることもなく、そのまま寝返りを打った。
駿は少し離れた場所で、その様子を眺めていた。
昔、家で飼っていた白猫を思い出していた。
名前はシロ。
物心ついた頃にはもう家にいた。
学校から帰ると、必ず玄関まで迎えに来てくれた。
冬になると布団にもぐり込み、朝まで一緒に寝ていた。
ある日、年を取って姿を見せなくなった。
家族は「山へ行ったんだろう」と言っていた。
子どもだった自分は、その意味をよく理解していなかった。
今なら分かる。
きっと、最期を見せたくなかったのだ。
「どうした?」
健二が振り返る。
「昔、白猫飼ってたの思い出してた。」
「そうだったっけ?」
「うん。」
「すごく懐いてた。」
「へぇ。」
「だから白猫見たら、何か思いだした。」
「会いたいのか?」
「……まぁ。」
それ以上は言わなかった。
その時だった。
広場の端に、一匹の白猫が立っていた。
昨夜から何度も見かける、あの白猫だった。
猫は逃げない。
ただ静かにこちらを見つめている。
「またいた。」
健二も気付く。
駿はゆっくりしゃがみ込み、手を差し出した。
「おいで。」
白猫は一歩だけ近づく。
そこで止まる。
風が吹く。
猫のひげが揺れた。
「あと少しなんだけどな。」
健二が笑う。
「警戒してるな。」
駿は無理に近づかなかった。
「いいよ。」
「そのうち仲良くなれるだろ。」
そう言って立ち上がる。
すると白猫は、安心したようにゆっくり座り込んだ。
その姿は、まるで二人を見送っているようだった。
午後になると、叔母が教えてくれた猫神様を祀る神社へ向かうことにした。
「せっかく来たんだから。」
「島の神様にも挨拶しよう。」
「そうだな。」
二人は木漏れ日の道を歩き始める。
その少し後ろを、
白猫が静かに付いてきている殊に、二人は気付かなかった。




