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第4章 前世 翠 守ることを選んだ竜

「――処分対象です」


翼は

もう動かない……


軍用飼育区画


ワイバーンを

兵器として運用する区画


空を飛べない個体は

処分


それが

この区画の絶対だった


飛ぶために育て

飛べなくなれば捨てる


そこに

例外はない


はずだった……


✦ ✦ ✦


数週間前


石造りの厩舎に

湿った冷気が沈んでいる


鉄と血の乾いた匂い


鎖に繋がれた個体たちが

黙って息をしていた


すべてが

“飛ぶための兵器”


翼が裂け

骨は歪み

死んでいく


ここでは

それが当然だった


その中で

ひとつだけ

基準から外れた個体があった


生まれた瞬間から


「104号」


名前はない


意味もない


ただ

番号だけが与えられた存在


呼ばれるたび

胸の奥が薄く削られる


104号

104号

104号


音としては届く


だが

そこに

自分はいない


感情はあるはずなのに

何かだけが

抜け落ちている


空腹はわかる

痛みもわかる

怒りもある


なのに

中心だけが

空白だった


戻らない番号があっても

誰も気にしない


昨日までいた個体が

今日いなくなっても

問題にはならない


ここでは

個体は

“交換可能な機構”だった


それでも

胸の奥にだけ

小さな欠落が残っていた


黒い針で

穿たれたみたいな

埋まらない穴


夜になると

そこへ

ひと筋の黄金が差し込む


紅い空を裂く

夕焼けの反射


厩舎の隙間から

短く射す光


その瞬間だけ

欠落が

少しだけ温度を持った


(……あの揺らぎだけは好きだ)


理由はない

意味もない


ただ

痛くなかった


✦ ✦ ✦


その日

空気が変わった


兵士たちの靴音は

いつも同じだ


だが

その中に

ひとつだけ

異質な気配が混じっていた


檻の前に

幼い黄金の王族が止まる


――ヴィヴィ


その後ろには

幼い銀の騎士


――ジン


104号は

反射で牙をむいた


先に威嚇しなければ

命を奪われる


「大丈夫だ

何もしない」


黄金は

揺れない

逃げない

怒らない


「オレがここにいる」


104号の胸の欠落が

わずかに軋む


ヴィヴィが

檻の前で膝を折る


上から見下ろさない


同じ高さまで

降りてくる


命令じゃない

押しつけでもない


“合わせる”

という選択だった


「……こいつ

命令待ちの目をしてない」


ヴィヴィが

小さく呟く


104号は

唸り声を低くする


視線が絡む


逃げない

逸らさない


「オレの目を見ろよ」


その声だけ

不思議と痛くなかった


104号は

じっとその瞳を見る


ヴィヴィが

低く呟く


「何か変だ」


「胸の奥が

落ち着かない」


視線を逸らさない


「放っといたら

ダメな気がする」


ドクン


104号の胸の欠落が

初めて

音を持った


ヴィヴィが

わずかに笑う


「番号じゃ

呼びにくいな」


一歩

檻へ近づく


黄金の視線が

まっすぐ刺さる


「お前

名前ないのか?」


104号の呼吸が

止まる


名前


その言葉自体

向けられたことがない


必要とされたことも

意味を与えられたことも

一度もなかった


ジンが

低く言う


「……104号だ」


「それが

この区画の規律だ」


だが

ヴィヴィは止まらない


「嫌だ」


その一言は

あまりにも早かった


迷いがない

理屈もない


最初から

そうするつもりだったみたいに


「お前は

道具じゃない」


さらに一歩

近づく


「今日からお前は

シューだ」


ズン……


名が

落ちた


(……シュー)


音が

胸の奥へ沈む


番号ではない


捨てられても

代わりが利く記号ではない


ひとつだけの

呼び名


ドクンッ!


世界の輪郭が

初めて繋がった


ジンが

静かに呟く


「……この竜

他と違う感じがする」


視線は

シューへ向く


「前へ出る目じゃない」


一拍


「……受け止める側だ」


(受け止める……)


まだ

意味はわからない


それでも

その音だけは

離れなかった


✦ ✦ ✦


その翌日から

ヴィヴィが来る


誰に命じられたわけでもない


ただ

そこにいる


最初は

檻の外から

話しかけるだけだった


「よっ!

シュー!」


名前を呼ばれるたび

胸の奥が揺れた


104号じゃない


シュー


その音だけで

空白が少し埋まる


ヴィヴィは

よく喋った


訓練の愚痴

王城の退屈

騎士団への不満


「ジンがさ

すぐ怒るんだよ」


後ろで

ジンが眉をひそめる


「怒っているのではありません」


「ほら

またそういう顔する」


ヴィヴィが笑う


その空気だけが

不思議だった


命令じゃない

監視でもない


“ここにいていい”

みたいな温度があった


シューは

少しずつ

牙を下ろすようになった


✦ ✦ ✦


数日後


ヴィヴィの隣に

蒼の巫女マリアが現れた


蒼と白の衣が

厩舎の薄暗さに溶ける


蒼い瞳だけが

静かに光っていた


マリアは

翼を怖がらなかった


傷跡だらけの皮膚も

鋭い牙も

避けなかった


「……苦しくない?」


静かな声が

檻の中へ届く


責めない

測らない


ただ

触れるみたいに響く


シューの耳が

小さく動いた


マリアが

少し笑う


「やっぱり

優しい目だね」


マリアは

まっすぐシューを見る


「誰かを

見つめている」


胸の奥が

静かに揺れた


理解はできない


だが

嫌じゃなかった


マリアが

そっと呟く


「誰かを

守る目をしてる」


その言葉だけが

深く残った


(守る……)


まだ

意味はわからない


それでも

その音だけは

離れなかった


✦ ✦ ✦


飛行訓練の日


空は静かだった


風がない

雲も低い


だからこそ

違和感が際立った


シューの背に

ヴィヴィが乗る


黄金の重さが

翼へ伝わる


嫌じゃない


むしろ

落ち着く


空へ出た瞬間

世界が開く


そのはずだった


だが

空の奥に

歪みがあった


黒と銀


混ざるはずのない色が

無理やり押し込まれている


層が

ズレている


世界そのものが

噛み合っていない


ドクンッ!


胸の欠落が

強く反応した


理由は

わからない


触れてはいけない


それでも

目が離せない


次の瞬間


風が裏返った


乱流

崩壊

人工的な歪み


翼が持っていかれる


姿勢が崩れる


ヴィヴィの身体が

浮く


落ちる


その光景だけが

異様に遅く見えた


(落とさない)


考えるより先に

翼を叩きつける


進路を

無理やりねじ曲げる


だが

間に合わない


ヴィヴィが離れる


落ちる


シューは

裂けた翼を

無理やり開いた


痛い


骨が軋む

肉が裂ける


それでも

止めない


追いつく

抱える

押し込む


胸の内側へ


ドクンッ!


その瞬間


理解した


離れれば

失われる


だから

離さない


理屈じゃない

命令もない


ただ

離したくない


それだけだった


(……離せない)


初めての感覚


同時に

恐怖


(……なくなる)


だから

壊れても

止まらない


これは

守ることじゃない


――選択だ


その瞬間


翠が爆ぜた


風が弾ける

色が散る


衝撃

激突

沈黙


音が消える


風も

光も

遠い


何も届かない


外側が消える


残るのは

内側だけ


重さ

温度

鼓動


それだけ


……

……


中心で

ヴィヴィは無事だった


シューは伏していた


翼は壊れ


もう

飛べない


✦ ✦ ✦


治療室


薬品の匂い

沈んだ声


「再生不能」

「飛行不可」

「戦力外」


言葉が

冷たく落ちていく


一拍


「――処分対象です」


沈黙


その言葉だけが

やけに鮮明だった


視界の端で

誰かが動く


「待て」


――ヴィヴィの声


空気が止まる


「処分はしない」


断定だった


誰の許可も待たない


「オレが決める」


治療室の空気が張る


反論はある

規律もある


だが

黄金は退かない


ジンが

目を伏せたまま言う


「……守ったのか」


その声は

確認だった


シューは

答えない


答えられない


だが

胸の奥だけが

まだ熱かった


「……承知しました」


「配置から外します」


処分は消えた


例外が生まれる


規律より先に

残された命があった


✦ ✦ ✦


シューは

目を閉じる


腕の中に残る

温度

重さ

鼓動


まだ

消えていない


その奥に

黒と銀


あの空の歪みが

焼きついている


内側に

滲んでいる


消えない


匂いも

感触も


まだ

離れない


けれど――


(……守った)


違う


もっと深い


(……選んだ)

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