第20章 前世 白 残された光
「来るならおいで」
ラヴィが
二丁拳銃を抜く
黒い耳が揺れる
「――子どもたちには
指一本触れさせない」
声は低い
だが
迷いはなかった
✦ ✦ ✦
ラヴィット族の谷は
薬膳の湯気と
干し野菜の甘い香りに
包まれていた
子どもたちの笑い声が
風へ溶けていく
誰も
今日が最後になるとは
思っていなかった
――ズ……ッ
ワイバーンだ
ただの飛行影じゃない
誰もが息を呑む
“来る”
本能でわかる急降下
「上等だよ」
ラヴィが
短く吐く
黒い耳が
風へ逆立った
「ラヴィ……ねぇ……」
背後で
レイラの声が震える
「……あれ……
本当に鬼族なの……?」
レイラ
ラヴィット族の中でも
数少ない戦闘派
長い耳を後ろで束ね
機関銃を抱える姿は
谷の子どもたちの
憧れでもあった
だが――
その指先は
小さく震えている
ラヴィは
空を見たまま答えた
「音で縛られている」
一拍
「……私たちが知っている
鬼族じゃない」
――ヴゥゥゥゥ……
谷の空気が軋む
低く
地の底が唸る
✦ ✦ ✦
「ソォラァ……シシシィ……」
青鬼の族長
ヒューガの笑いが落ちた
谷全体が
弦みたいに張り詰める
大地まで
音へ引かれて軋み始めた
谷を砕き
土が跳ね
柵が折れる
――ゴゴゴゴゴ……
悲鳴が
遅れて追いつく
空気が
音階を変える
――ピィ……ピピピ……
鬼族の目は虚ろだった
生気がない
歩くたび
青黒い残響だけが揺れる
ラヴィの銃口が空を追う
「……音で縛ったって」
一拍
「……私の心は奪えない」
「ラヴィ……だめ」
レイラの声が裏返る
「行かないで」
ラヴィは
ほんの一瞬だけ笑った
優しく
けれど
どこか諦めたみたいに
「下がっていなさい
レイラ」
静かな声
「……あたしが
最後まで守る」
次の瞬間
ラヴィは宙を舞った
焼けた残像を引きながら
撃ち抜く
――パァンッ!!
――パァンッ!!
銃声が
青い唸りへ食い込む
レイラも
得意の機関銃で応戦する
――ガガガガガッ!!
だが――
敵は尽きない
落ちる
湧く
また落ちる
「もう……」
レイラの膝が沈む
「もう無理……
身体が震える……」
――ヴゥゥゥ……
低周波が
足元へ絡みつく
谷そのものが
音へ捕まっていた
ラヴィが叫ぶ
「怖くても逃げちゃダメ!」
その声で
レイラが前を向いた
✦ ✦ ✦
谷が
静まり返る
その中心で――
ヒューガが姿を現した
周囲には
見えない五線譜が走っている
音が線になり
線が檻になる
「やっと来たな……ラヴィ」
低い音圧
「……今日こそ
お前を連れて帰る」
ラヴィの耳が
ぴくりと動く
「あたしは奪われない」
一拍
「あたしは――
自分で決める」
ヒューガの顔が歪んだ
「……ッ!!」
青黒い音が軋む
「決めるのは俺だ」
怒りじゃない
執着だった
ラヴィは
一瞬だけ目を伏せる
怖くないわけがない
死も
敗北も
失うことも
全部わかっている
それでも――
選んだのは
私だ
(カイザー……ごめんね)
心の中でだけ
名を呼ぶ
――ピィ……ピピピ……
ヒューガの指が動く
次の瞬間――
――キィィィィン!!
高周波の刃が
空間を裂いた
――パァンッ!!
ラヴィの銃声が空振る
ヒューガの姿が
残像を残して消えた
次の瞬間には
目の前にいた
「これで終わりだ……ラヴィ」
距離が消えている
「お前には
俺が必要なんだ」
――キィィィィン!!
青い手刀が
ラヴィの腹を貫いた
衝撃で
身体が弾き飛ばされる
地面を滑り
石を巻き込み
血が散った
転がった先へ
レイラが駆け寄る
「ラヴィッ!!」
ラヴィの呼吸は浅い
それでも
目だけは
まだ死んでいなかった
「泣くんじゃない」
息が掠れる
「――あなたは神の子」
一拍
「……あたしの分まで立って」
ラヴィの耳は
もう動かない
風だけが
黒い髪を揺らした
返事はない
もう
どれだけ呼んでも
返ってこない
レイラの目が
大きく開かれた
「いやぁぁぁッ!!」
涙が飛ぶ
「やだ……
ラヴィ……
置いていかないで……」
✦ ✦ ✦
その瞬間
世界が遠ざかった
音も
光も
匂いも
全部
白く溶ける
――ビキィィィン……ッ!!
足元へ
白い紋様が走った
七重の光輪が
脈打って立ち上がる
――ボオォォォォン……
谷が共鳴する
レイラの涙が落ちるたび
白は
一段ずつ
強く跳ね上がった
ラヴィ……
ラヴィ……
返して!
祈りでも
怒りでもない叫び
その未完成な感情が
白を押し上げる
白が
影を押し返した
ヒューガが
初めて息を呑む
「……ほう」
低い声
「……白が
本性を覗かせたか」
間
「……だが――未完成だ」
――ヴゥゥゥゥ……
青膜が再び唸る
ヒューガが
音圧を圧縮した
――ゴゴゴゴゴ……
――ピィ……ピピピ……
谷全体が
巨大な共鳴装置へ
変えられていく
――ズバアァァン!!
青の奔流が渦を巻いた
白が
押し潰されかける
一瞬
空間が青い霧へ包まれた
――ウォォォォン……
ヒューガが迫る
「さあ……」
青黒い瞳が
白を覗き込む
「……次は
白の子ウサギ」
一歩近づく
「お前だ」
✦ ✦ ✦
ヒューガの指先が
音を裂く――瞬間
――ゴッ!!
音が砕けた
こん棒が
ヒューガの横顔へ
叩き込まれる
――ドガァッ!!
青い音階が砕け散る
こん棒は
大きく弧を描き――
ガシッ
カイザーの手へ戻った
ヒューガが振り返る
夕日に立つ
赤い影
カイザーだった
(間に合わなかった……)
その事実だけが
胸の奥で燃えている
「来たか……カイザー」
ヒューガが笑う
口元から
青黒い血が垂れていた
「……遅かったな」
カイザーは答えない
ただ――
ラヴィを見る
倒れたまま
動かない
その姿だけを見て
拳が
ミシ……と鳴った
空気が熱を持つ
赤い湯気みたいな闘気が
皮膚の外へ滲み始める
「その顔だ!」
ヒューガが笑う
「俺たちの盃は
無効だ」
青い音階が
周囲を巡る
「奪われた側の顔だ――」
低く嗤う
「……苦しいだろう?」
カイザーが
ゆっくり前へ出た
「ヒューガ――」
声が低い
沈んだ熱
「お前を終わらせる」
その一言で
地面が沈んだ
――ゴゴッ……
赤い圧が
谷へ広がる
ヒューガが両手を広げる
――キィィィィン!!
青い断裂線が
無数に走った
音の刃
空気を裂き
肉を断つ
だが――
カイザーは止まらない
肩が裂ける
頬が切れる
赤い血が散る
それでも
前へ出る
一歩
また一歩
音を受けながら
真正面から歩いてくる
ヒューガの目の前まで
赤い影が
ゆっくり迫る
近づくたび
青が乱れる
カイザーの目が
真っ直ぐヒューガを
射抜いた
ヒューガが
低く笑う
「お前に――
壊せるわけがない」
カイザーが踏み込む
音が
足首へ絡む
肩へ噛みつく
それでも
止まらない
こん棒が
静かに上がる
――ズガァァァン!!
――ドガァァァァン!!
低い
重い
赤の衝撃が
ヒューガの胸を貫いた
――間
世界から音が消える
――ビキビキビキィッ!!
青い五線譜が
砕け散った
ヒューガの身体へ
無数の亀裂が走る
「……ラヴィ」
歪んだ笑み
「やっと……
手に入れたのに」
勝ちの定義そのものが
狂っている
カイザーは
静かに立っている
答えない
問いかけも
哀れみも
持ち合わせてはいない
ヒューガの身体が
歪な青い五線譜を
撒き散らして崩れていく
最後に
憎しみとも
悲しみともつかない顔で
カイザーを見る
核心だけを突くように
そして――
静寂
青い五線譜が
音もなく霧散した
✦ ✦ ✦
同時に
洗脳が解ける
ワイバーンと
青鬼たちが
谷へ戻っていく
その静けさの中で
レイラは
谷を見た
返事はない
誰の声も
もう
戻らない
涙が落ちる
未完成の白が
かすかに揺れた
✦ ✦ ✦
カイザーは
頭を下げた
赤い影が
ゆっくり沈む
「許してくれ……」
声は低い
だが――
自分を責める音だった
「守れなかった」
一拍
「ラヴィの願いにも
……応えられなかった」
レイラは
泣きながら言う
「ラヴィは……」
呼吸が乱れる
「カイザーさんを
想っていたよ……」
涙が落ちる
「ずっと……!」
カイザーの肩が
わずかに揺れた
大きな手が
そっとレイラの頭へ触れる
赤と白の光が
静かに交わった
「白の子よ……」
夕焼けの熱が揺れる
「どうか生きてくれ」
一拍
「……その未完成な白を抱えて」
夕暮れの谷を
風が抜ける
砕けた青も
残った白も
沈まない赤も
まだ
そこにあった
だが――
戻らないものも
確かにある
谷の匂いは
もう朝と同じじゃない
それでも
生きている音だけは
まだ
谷へ残っていた




