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第16章 前世 赤と翠 空を掴んだ強さ

エスターニャ・コモサス星には

風の匂いが食卓まで届く土地があった


畑は近い

水は澄み

土は黒い


朝の光が

そのまま野菜へ染み込む


人の手と

自然の呼吸が

同じ速さで巡る場所だった


――だが


最近

風の奥に

僅かな濁りが混じる


誰も言葉にはしない


けれど

戦う者ほど

空の色を見ていた


ラヴィット族


畑で笑う女性たち

水を運ぶ女性たち

子供を抱く女性たち


男性はいない


武器を持つ者も

多くはない


だから

一人が倒れる重さを

誰もが知っている


その中でも

最前線に立つ者が

戦闘派のラヴィだった


二丁拳銃


ラヴィット族の銃は

外の国の武器ではない


火薬と魔力石を組み合わせた

一族だけの小さな牙だった


左右の手で

別々の呼吸をするみたいに

引き金を操る


速い

正確で

判断も早い


だが――


その目は

どこか温度を隠している


倒れれば

守れなくなる


その重さを

ラヴィは知っていた


だから

誰よりも前へ出る


笑う者を

泣かせないために


ラヴィは

鬼族との同盟を決断した


鬼族


全員が男性だった


筋骨は太く

角は鋭い


初めて見れば

誰もが怯える


だが


その力を

誇示する者はいない


争いを避けるために

怖い顔で立つ


それが

鬼族だった


赤鬼の族長 カイザー


こん棒を担ぐ姿は

山みたいに大きい


だが

振るう線は妙に綺麗だった


無駄がない


威圧もない


必要なぶんだけの力が

正確に落ちる


ラヴィは

その“必要なぶんだけ”が

どうしようもなく好きだった


必要以上の言葉はいらない


預かる命の重さを

互いに知っているだけで十分だった


それでも

カイザーの無骨な横顔を見る時だけは

硝煙の匂いが

少しだけ遠くなる気がした


馴れ合いではない


互いの背中を預ける


それだけの覚悟だった


夜の静けさへ

感情を沈めながら


ラヴィは

何度も心を逸らしてきた


✦ ✦ ✦


その日


ラヴィは

鬼族へ料理を運んでいた


山菜

干し肉

香草のスープ

甘い根菜の煮込み


鍋の重みは

平和の重さだった


落としたくない


そう思った


鬼族の境界を越える


空気が変わる


土の匂いは同じ


だが

静けさの質が違う


張りつめている


それでいて

不思議と落ち着いていた


まるで

誰かがずっと

見張っているみたいな均衡だった


鬼族の訓練場――


そこで

ラヴィは足を止めた


ゴンッ!!


こん棒が空を割る


ガンッ!!


盾が受け止める


カイザーと

見慣れない男が向かい合っていた


男――いや

王族の空気がある


姿勢が良すぎる


視線が

戦場の外まで見ている


シュー


ラヴィは

その名を知っていた


噂は早い


特に

王族周辺の話は広がる


盾とこん棒がぶつかる


ゴゴ……


力と力が押し合い

空気が軋む


(……修行)


カイザーへ

願い出たのだろう


カイザーは断らない


必要だと思えば

与える


その在り方が

また胸をくすぐった


ラヴィは

鍋を抱えたまま

小さく息を吐く


――風が止まる


鳥の声が消えた


胸の奥が

チリ……と鳴る


その瞬間――


空が陰った


ラヴィの目が上を向く


ワイバーン


だが

普通じゃない


青黒いオーラが

滲みながら

空気を汚す


空気が冷える


太陽の色が

一瞬だけ鈍る


(……嫌な色)


戦闘派の勘が

チリ……と鳴った


次の瞬間――


ズドンッ!!


空が落ちた


圧と

重力と

衝撃


ラヴィは反射で

銃へ手を伸ばす


だが――


ガブッ!!



熱い口腔


世界が反転する


(……ッ!?)


身体が浮く


地面が遠ざかる


鍋が落ちる


汁が散る


香草の匂いが

風へ裂けた


平和の匂いが

ズタリ……と壊れる


ラヴィは

ワイバーンの口の中で

歯の隙間から息を吸う


苦い


青黒くて

血みたいな味がした


下で――


カイザーが叫ぶ


「ラヴィを戻せッ」


地を走る咆哮


こん棒が飛ぶ


ブゥンッ!!


シューも動く


盾が空を裂く


ブゥンッ!!


だが――


届かない


ワイバーンは

さらに上へ昇る


青黒いオーラが

風を汚す


カイザーとシューが走る

地面を蹴る


呼吸が荒れる


その時――


シューの身体が

翠に染まった


ブワァァ……ッ


オーラが変質する


圧縮して

収束する


ラヴィは

歯の隙間からそれを見る


(……なに)


輪郭が揺れる


骨格が

ズリ……と組み替わる


皮膚が鱗へ変わり

腕が翼へ変わる


背中が

空を掴む形へ変わっていく


変形していく


翠のワイバーン


ラヴィの目が開かれる


(……覚醒)


シューは

カイザーを見る


言葉はない


だが伝わる


――来い


カイザーは知っていた


小さい


だが

折れない


守られる側にいてもいい者が

誰よりも前へ出ている


だからこそ

背中を預けている


カイザーは迷わない


走る

跳ぶ


翠の背へ乗る


ガシッ!!


その一手だけで

二人は空へ放たれた


バサァァッ!!


翠の翼が

風を裂く


上昇して

追撃する


距離が縮まる


✦ ✦ ✦


空は冷たい


高度と

圧力で

肺が軋む


ラヴィは

口の中で呼吸を整える


動くな


焦るな


撃つのは最後


戦闘派の癖が

身体を凍らせる


ワイバーンが暴れる


顎の締まり方で分かる


次に首を振る方向が

読める


ガァァッ!!


首が振られる


視界が揺れる


その瞬間――


翠の影が並んだ


シューが追いつく


翠のワイバーンが

翼を一瞬だけたたむ


――加速


ドンッ……!!


空気が爆ぜた


(速い……)


心臓が

ドクン……と跳ねる


カイザーが立ち上がった


空中


無茶だ


落ちれば

死ぬ


だが――


必要ならやる


それだけだった


カイザーが飛ぶ


ガシッ!!


ラヴィの腕を掴む


引き剥がす


引きずり出す


ラヴィは――落ちた


カイザーも一緒に


ヒュゥゥゥ……


風と

圧と


その瞬間――


(……ああ)


思考が逸れる


カイザーの腕は強い


だが

乱暴じゃない


落ちているはずなのに

怖くなかった


胸の奥が熱い


呼吸が近い


鼓動が聞こえる


「……手を離すなッ」


低い


地鳴りのような声


(落ちるな)


押し潰されそうな風の中で

その熱だけが

鼓膜を突き破った


この強さが

今はただ

信じられた


下で

翠の影が急降下する


シュー


全力で

背中を開く


盾になるために


バサァァァッ!!


翠の翼が

最後の風を掴む


落下線へ割り込む


ドンッ!!


衝撃


受け止めた


骨が

ミシ……と鳴る


翠のオーラが

バチィィッ!!と爆ぜる


それでも――


落とさない


その意志の塊が

二人を包んでいた


地面が迫る


最後――


シューが翼を折る


滑る


逃がす


ドガァァンッ!!


砂と草が舞い

大地が揺れた


沈黙


ラヴィは生きていた

カイザーも


シューは

人の姿へ戻った


だが――


ビクッ


右腕が跳ねた


続いて


背中


全身の筋肉が

痙攣する


ガク……


膝が落ちた


呼吸が乱れる


肺が焼ける


立とうとしても

力が入らない


翠のオーラが

パチ……ッ

と小さく弾けた


翠の光が

乱れている


身体が

まだ空の形を

覚えているみたいだった


筋肉が

悲鳴を上げている


それでも


シューは倒れない


歯を食いしばる


視線だけは

ラヴィとカイザーへ向いていた


落とさなかった


守れた


その確認だけが

先だった


カイザーが

静かに息を吐く


安堵は短い


だが

確かにあった


ラヴィは

地面へ手をついたまま

呼吸を整えた


肺が痛い


喉が焼ける


それでも

笑いそうになる


生きている


守られた


赤と翠が同時に

自分へ届いた


その意味だけが

胸の奥で熱を持っていた


だが――


森の奥で

青黒いオーラが

ズ……ン……と沈む


気配は消えない


潜っただけだ


暗闇の中で

冷たく響く


ソォラァ……シシシィ……


“音”だけが

笑うみたいに残る


ラヴィの背筋が

ゾワ……と逆立つ


助かった


だが

終わっていない


カイザーも

シューも


同時に

森の奥を見ていた


平和の匂いは

もう戻らない


少なくとも――


今この瞬間だけは


風の味が

変わっていた


二度と

元には戻らないみたいに

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