第12章 前世 銀 闇が銀へ触れた夜
王族の城の広場は
朝の光を静かに抱いていた
新王子任命式の前の
ほんの短い静寂
まだ鐘は鳴っていない
まだ誰も
新しい名を口にしていない
それなのに
空気だけが先に
変化の訪れを知っていた
ヴィヴィの指先に残る重み
冷たい金属の感触
ガントレットは
ただの武具じゃない
選ばれた証であり
継がれた責任でもある
「……覚悟はできている」
ヴィヴィが低く言う
「だが
始まる前の静けさだけは
どうにも落ち着かないな」
言葉とは裏腹に
視線は静かだった
逃げていない
揺れてもいない
ただ
場の奥だけを読んでいる
マリアが応える
「大丈夫です」
微笑みは柔らかい
「ヴィヴィは
ヴィヴィですから」
だが
蒼衣の裾は
わずかに揺れていた
揺れは小さい
だが
止まらない
その微細な乱れだけが
マリアの胸奥を語っていた
ジンは
剣を肩に預けたまま
空を読むように黙している
「……澄みすぎています」
呼吸が沈む
「降りますね
――何かが」
シューが
鼻先をわずかに動かした
匂いを読むように
空気を吸う
「おいおい……」
低く唸る
「こいつは冗談きついぜ……」
喉が低く鳴る
「あの夜に感じていた匂いだ!」
シューは立ち上がり
翠の盾を構えた
防ぐための姿勢
まだ何も来ていないのに
身体だけが
先に知っている
ヴィヴィが立ち上がり
空を仰いだ瞬間――
その視線を追うように
全員が顔を上げる
――ピシィ……ッ
音ではない
世界の膜が裂けた感触
空が
意図を持ったように裂ける
青が退く
朝が歪む
✦ ✦ ✦
「……来ます」
ジンの声と同時に――
影が落ちた
――ズドンッ!!
衝撃が遅れて
広場を揺らす
石畳が砕け
粉塵が舞う
その中心に
ひとつの影が立っていた
外部層から
無理やり
何かが割り込んできたような落ち方
黒の鎧
灰の瞳
見覚えのある輪郭
ジンの喉が
わずかに強張る
「……説明がつかない」
声が
ほんの少しだけ掠れた
黒鎧の戦士は
ゆっくりと顔を上げる
銀髪が
朝の光を受ける
そして微笑んだ
「……久しいな」
声の調子
呼吸の間
目の細まり方
その全部が
ジン自身だった
「私はジャン」
一拍
「お前と
同じ顔を持つ者だ」
広場の空気が
一段
深く沈む
ヴィヴィが一歩前に出る
「ジンは一人だ」
黄金の声が
まっすぐ飛ぶ
「お前に
その名を語る資格はない」
ジャンは答えない
ただ
周囲をゆっくり見回した
ヴィヴィを見る
「黄金」
マリアを見る
「蒼」
シューを見る
「翠」
……
長い沈黙
最後に
ジンを見る
「銀」
空気が
張り詰める
ジャンが
静かに続ける
「この世界には
女神イヴが星へ落とした
七つの光がある」
「黄金
蒼
翠
銀」
一拍
「……そして
残る三つ」
「お前たちは
女神イヴに選ばれた
七つの光の欠片だ」
沈黙
言葉は短い
だが
短いからこそ
胸へ刺さる
ヴィヴィを見据える
「……ようやく
揃ったか」
マリアの蒼が
静かに震えた
ヴィヴィの隣へ立つ
「……それでも
ヴィヴィの隣に立ちます」
ジャンは
わずかに肩をすくめた
それから
ジンへ
視線を置く
「未達」
沈黙
「構わん」
まるで
決定事項を告げるだけの声
怒りも
焦りも
喜びもない
ただ
結果だけが
そこに置かれる
剣が
空気を切る音もなく抜かれる
「選ばれた光が
どれほど弱いか」
一拍
「確認する」
✦ ✦ ✦
ヴィヴィが踏み込んだ
一歩
地を蹴る
黄金のガントレットが
低く唸る
――ドギャァンッ!!
拳は一直線
迷いのない
選択としての一撃
だが――
――ガァンッ!!
止まる
黄金が
初めて
正面から止められた
押している
力は通っている
それでも
動かない
「……何だと」
次の瞬間
――ズドォンッ!!
ヴィヴィの身体が
宙を舞う
叩きつけられる
石畳が砕け散る
空気が
遅れて追いつく
「ヴィヴィ!!」
マリアの声が
鋭く走る
蒼が展開する
途切れかけた鼓動が
強引に引き戻される
ジンが踏み込む
「――通す」
銀が閃く
シューも叩き込む
翠の圧が
横から噛む
だが――
触れた感触すらない
空を切ったんじゃない
最初から
そこにいなかった
「……ッ!?」
視界が揺れる
次の瞬間
衝撃
銀が逸れる
ジンの踏み込みが潰される
シューの腕が沈む
「……嘘だろ」
力の差ではない
段階が違う
理解が
一歩遅れる
その時――
広場の隅で
戦況を測っていた気配が動いた
「紫も来たか」
ほんの少しだけ
口角が上がる
広場の縁に立つ
紫の魔女
その袖を
踊り子が
ぎゅっと掴んでいた
「力だけでは美しくないわ」
淡々とした声
紫の魔女は
場を眺めたまま
「勝利は
知性で仕上げるものよ」
杖が
静かに掲げられる
紫の光だけが
世界を書き換える
次の瞬間――
――ドクンッ
足裏が
地面を掴み直す
視界のブレが
消える
紫の光が弾け
三人を包み込む
空気の抵抗が
ふっと消えた
「3分」
魔女の声は短い
「それ以上は
私の魔力がもたない」
ヴィヴィが即答する
「十分だ」
三人が
同時に踏み込む
ジャンが
初めて
一歩退く
「……何だ」
踏み込みが
半拍遅れる
力が削がれている
否――
縛られている
紫が
場の法則を書き換えていた
「今だ!!」
黄金が
――ドンッ!!
真正面から
打ち込まれる
今度は
押し返せない
銀が
――ギラァッ!!
走る
逃げ場を
先に断つ
翠が
――ズドンッ!!
防御ごと
叩き潰す
三つが
一直線に重なる
ズレはない
役割だけが
完璧に揃う
――ズドォォンッ!!!
爆ぜる衝撃
黒の鎧が
――バキィィィィンッ!!
砕け散る
闇が
空気へ溶ける
音もなく
裂けるように
消えていく
広場の空気が
わずかに軽くなる
だが
気配だけが
残った
シューが震える
(……消えている)
黒と銀の気配が
引き剥がされるように
薄れていく
ただ
消える
(……知っている)
あの空で感じた
異物
触れた瞬間に
消えた感覚
落ちたんじゃない
削られた
ワイバーンの事故
あの時と
同じだ
――ズ……
その時
ジンの内側へ
声が落ちた
『……聞こえているな』
思考が止まる
呼吸が
止まる
『お前は――』
長い沈黙
『私の
双子の兄だ』
世界が
止まる
鼓動だけが
遅れた
『いずれ』
一拍
『来る』
言葉だけが
内側へ沈む
消えない
刻まれるように
残る
気配だけが
完全に消えた
ジンは
動けない
呼吸だけが
遅れた
✦ ✦ ✦
勝ったはずだった
だが
誰ひとり
終わった顔をしていない
空気だけが
遅れて静まる
紫の魔女が
ふっと崩れる
「姉さん!!」
リンダが駆け寄る
支える
紫の袖が
石畳へ落ちる
魔女は
目を細めて笑った
「……美しく
勝てたかしら」
沈黙
誰も
すぐには答えない
ジンは
立ったまま
(私の記憶と
何がズレている……?)
答えだけが
見つからない
シューが
ニヤ……と笑う
「なのにまだ
終われる気がしねぇ」
迷いなく
ヴィヴィが答える
「……進むしかない」
マリアの蒼は
まだ小さく揺れていた
止まらない
それでも
立っている
鐘が鳴る
新王子任命式
その音が
現実を引き戻す
だが
誰も
もう朝の空を
昨日と同じ目では
見られなかった




