第11章 現世 銀 夜に生きる彗星
球団と
所属事務所は
同時刻に
コメントを発表した
<交際の事実は
確認されておりません>
想定通りの
温度のない否定
何度も使われてきた文言だ
語順も
句読点の位置も
完璧
完璧すぎて
現実から
わずかに浮いていた
ピシィ……
ほんの一瞬だけ
言葉と現実の位置が
ズレる
言葉は整う
現実だけが
取り残される
記者たちの端末が光る
画面が並ぶ
記事が更新される
否定文だけが
どこまでも
整っている
だが
整いすぎたものほど
人は
中身を疑う
✦ ✦ ✦
フラッシュ
バシャ……
バシャ……
光の海の中で
鈴は
一歩も引かなかった
背筋は伸び
顎は
わずかに上がっている
マイクを
真正面から受け止める
逃げない
伏せない
濁さない
「私は
ヴィオ選手のプレーが好きです」
呼吸が止まる
「ずっと
応援しています」
声は揺れない
語尾も落とさない
それだけ言って
鈴は
深く一礼した
顔を上げた時
笑顔だけが
そこにあった
……だが
視線だけが
ほんの一瞬
行き場を失う
次の瞬間には
もう消えていた
否定もしない
肯定もしない
何も足さない
その笑顔が
答えの代わりに
静かに
場を制した
誰も
踏み込めなかった
記者のひとりが
チッ……
と小さく舌を鳴らす
否定は想定内
だが
納得はしていない
ざわめきが
一段
濃くなる
スクープは
否定された
だが
物語は
否定されなかった
その場に残ったのは
事実じゃない
熱だけだった
✦ ✦ ✦
ネオンの奥で
雑居ビルが
ズゥ……と低く息をしている
酒と欲が混ざる場所
金と人が
最も正直に交差する夜
事務所のテレビでは
ヴィオと鈴の特集が流れていた
音量は小さい
映像だけが
やけに鮮明だ
その前に立つ男は
腕を組み
微動だにせず
画面を見ていた
リーゼント
削ぎ落とされた輪郭
仁・シルバー(じん・シルバー)(22)
――影の彗星
この街が
勝手にそう呼んでいた
夜の人間なら
一度は名前を聞く
画面の中の光を
影が静かに測っていた
その瞬間
映像の輪郭が
一瞬だけズレる
だが
誰も気づかない
それでも
男の瞳は揺れない
見ているのは
記事でも
芸能欄でもない
その次に
何が崩れるか
そこだけを
読んでいた
周囲を一瞥し
“次”だけを読んで
視線を外す
ネオンの街では
光っているものほど
早く使われる
そして
使われたものほど
早く
影を呼ぶ
✦ ✦ ✦
すずらんの夜は
騒がしい
笑い声
怒声
酒と欲が
グチャ……と混ざる
仁は
自分の店へ向かって歩いていた
ニュークラ――
高級キャバクラを
7店舗回している
今夜向かうのは
そのうちのひとつだ
その途中――
不快な声が
ギリ……と耳に刺さる
「おい! あれ……」
――笑いが混じる
「鈴の彼氏じゃねぇか」
――別の声が重なる
「まだ投げられねぇ腕で
街は歩けるんだな」
4人のチンピラ
下卑た笑い
酒に任せた悪意
絡まれているのは
CCロッカーズのヴィオと
シューだった
ヴィオの右腕は
まだ完全じゃない
それが
酔っぱらいにも
一目でわかる
シューが
一歩
前に出る
反射で
ヴィオの身体が
前へ出る
右足が
床を踏み抜く
視界が
一点に絞られる
いける
――そう判断した
その瞬間
右腕が
コンマ数秒
遅れた
ズキン
拳が
握りきれない
踏み込みの軌道が
わずかに狂う
そのズレが
踏み込むな
と命じた
ヴィオは
止まった
動けなかったんじゃない
止められた
自分の右腕に
その一瞬を
仁は見た
視線が
ヴィオに落ちる
――未完成
本来なら
それで終わるはずだった
だが
胸の奥が
チリ……とわずかに鳴った
「……その腕で
やるつもりかい」
低く
静かな声
夜の底から
上がってきたみたいな声だった
その一瞬だけ
空気が
ズレる
音もなく
位置だけが
わずかにズレる
影が動いた瞬間
ひとりのチンピラが
ドサ……と地面にキスをした
残り3人が
考える前に襲いかかる
仁は
半歩ずらす
“次”を読んでから
入る
シューが
反射で前に出ようとする
その肩を
仁が
無言で押さえた
――トン
二発目は
音が出なかった
ステップのまま
拳だけがめり込む
もうひとりへ
同じ半歩で入り
未来の拳を
先に叩き落とす
ふたりまとめて
地面にキスをした
息はある
だが
戦意は
完全に消えている
残ったひとりは
何も言わず逃げた
夜の騒音が
ゾワ……と戻る
誰も
何も見ていない
それが
この街の暗黙の了解だった
仁は
ヴィオを
静かに射抜く
「見られてから
背負うんじゃない」
一拍
「立った時点で
――もう背負ってる」
仁は
ヴィオを
一度だけ見た
夜の人波へ
スッ……と溶けた
銀が
チラ……と滲む
その軌跡だけが
一瞬
遅れて消える
影が消えたあと
空気が
わずかに整う
崩れる手前だけが
残されていた
ヴィオの喉奥が
わずかに強張る
それは
恐怖じゃない
止められなかった
動けなかった
主役になる場面でも
助ける側でもない
ただ――
未完成なまま
そこに立っていた
それだけだった
それが
一番
悔しかった
野球なら
勝てた
だが
ここは
マウンドじゃない
その事実が
ズシ……と胸に残る
スポットライトの外側には
別の重力がある
ヴィオは
それを
初めて実感していた
シューは
黙っている
だが
その横顔には
別の苛立ちがあった
守る前に
守られた
その順序の狂いが
翠の奥で
まだ小さく軋んでいた
✦ ✦ ✦
仁は
自分の店へ入る
店内を一度
見渡す
照明
音
客の流れ
全部を一瞬で読み切り
そのまま
奥のVIPルームへ向かった
店員が
声を落として告げる
「……お待ちです」
仁は
返事をしない
ドアを開ける
女が腰かけていた
照明の下で足を組み
余裕のある笑み
「遅かったじゃない
……仁」
唇だけが笑う
「待たせるのは
好きじゃないのよ……」
トロ……と
耳の奥へ落ちる声
仁は
ほんの一瞬だけ
口元を緩めた
「街が騒がしい時は――」
コートを脱ぐ
「計算より先に
人間が動く」
グラスに手を伸ばしながら
「……やっかいだね」
女は
肩をすくめる
グラスの縁をなぞり
黙る
長い
呼吸の沈黙
それから
静かに口を開いた
「……あの子
自分で火をつけたんじゃない」
「立っただけ――」
ネオンが
瞬間
揺れる
ピシィ……
光の輪郭が
一瞬だけ滲む
女は
それを見ていないふりをする
「でもね」
指先が
グラスを回す
「純粋なのよ」
一拍
「だから
みんな勝手に
意味を足したくなる」
仁は
何も言わない
女が続ける
「……だから
あの子
――全部
受けるつもりよ」
鈴自身は
気づいていないかもしれない
だが
立った時点で
受けるしかない場所へ
もう入っている
仁は
わずかに目を細める
否定もしない
肯定もしない
ただ
計算している
仁は
崩れる光を見逃さない
純粋な光ほど
街は騒ぐ
それだけは
昔から変わらない
外では
ネオンが瞬いている
偽物の昼みたいな光
だが
その下に集まるのは
いつも本音だ
夜は
何事もなかった顔で
次の影を待っていた
光は知らない
だが
銀は
もう計算を終えていた




