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10/19

第9章 現世 桃色 それでも伝えたかった

一月中旬


球団主催のイベント


予定通り

滞りなく進んだ


歓声の質だけが

予定と違った


照明

進行

拍手


すべてが

設計通りだった


ステージ中央に立つのは

ヴィオと翔


ふたりとも

与えられた役割を

淀みなく演じている


表情も

立ち位置も

寸分違わない


その背後――


札幌出身のユニットアイドル

wMAGICが並ぶ


年下の鈴は前列


年上の夕羅は

その半歩後ろに立つ


配置も

照明の角度も

事前の打ち合わせ通り


歓声の質が

わずかに変わった


ドッ……と重くなるわけでもない


スゥ……と静まるわけでもない


ただ

感情の色だけが

すり替わったざわめき


視線の中心に立つ鈴は

何もしていない


前に出るでもなく


引くでもなく


誰かに合図を送ることもない


――そこにいる


――動かない


最初から

動かないと決めていたような立ち方


視線だけが

一度だけヴィオへ触れる


すぐに離れる


本当なら

ただのファンで

いたかった


だが

その想いだけは

離れなかった


カメラが

その存在を逃さない


フラッシュ


バァン……


空間が

一瞬

白く裂ける


距離はある


触れてもいない


肩も

視線も

交わっていない


それでも

ふたりが並んだ瞬間だけが

写真として切り取られた


あとから見れば

理由を説明できない構図


だが

その場にいた誰もが


ああ

撮られるな



どこかで思っていた


✦ ✦ ✦


イベント会社の計らいで

会食の席が用意された


金城ヴィオ(19)

翠川翔(23)

桃園鈴ももぞのりん(18)

紫夕羅むらさきゆら(20)


仕事としては

何もおかしくない並びだった


実績も

話題性も

数字として成立している


グラスが鳴る


カチ……


会話は

滞りなく進む


必要な笑顔だけが

並んでいた


その途中で


鈴が立った


ここだと決めていたみたいに

自然に立ち上がる


「ヴィオさん……」


名を呼ぶ声は

小さい


けれど

逃げなかった


空気が

しん……と静まる


鈴の目は

まっすぐだった


怯えはある


それでも

逃げない


「私は……

ヴィオさんのファンでした」


喉が

かすかに震える


「……でも」


小さく息を吸う


「ずっと

ファンでいたかったのに……」


声は弱い


けれど

折れていない


「気づいた時には……

応援するだけじゃ

足りなくなっていました」


ふわ……


言葉が

空間に白く咲く


甘えるような響きじゃない


ただ

胸の奥から

そのまま出てきた熱だった


「返事は

いりません……」


鈴は

視線を逸らさない


「選ばれなくても……

伝えたかったんです」


誰も

すぐには言葉を返さなかった


音がひとつ

遅れた気がした


時間だけが

その場に取り残されたように

わずかに沈む


それ以上

何も足さない


何も求めない


席へ戻る


甘い花の香りだけが

ふわ……


一瞬

残った


ヴィオの胸が震えた


胸の奥が

先に応えた


その奥で――


別の名前が

触れかけて

消えた


空気だけが

ズゥ……とわずかに重くなる


夕羅は

グラスへ触れながら


揺れる空気の奥


鈴の横顔を

見透かすように見た


それから

視線を前へ戻す


何も言わない


だが

何も見ていないわけでもない


紫の瞳が

すべてを

過去から測るように

静かに細まる


この熱だけは

どこか懐かしかった


記憶の奥で

花びらのような何かが

揺れた


この色だけは

忘れていない


なのに

名前がない


――だから


何も言わない


ヴィオは

何も返さなかった


言葉になる前に


時間が

グニャ……と歪んだ


沈黙は


拒否でもない


肯定でもない


未選択として

そこに残った


翔は

グラスに触れない


胸の奥の翠が

ザワ……と鳴った


右手が

わずかに震える


無意識に

椅子を半歩

ヴィオ側へ寄せる


ほんの数センチ


だが――

意味はあった


ヴィオと

鈴の間へ


身体の軸を

滑り込ませるような微動


守る


理由より先に

身体がいつも通りに動いていた


ヴィオと

鈴の間に

静かな境界線を引くように


グラスの中身は

減っていない


誰も気づかない程度に

そこへ留まり

全体を見守る


兄貴分としての

いつもの配役で


それで十分だった


✦ ✦ ✦


同じ頃


病院の夜勤明け


朝の廊下は

静けさに包まれていた


蛍光灯の白が

冷たい


足音だけが

遠くへ抜けていく


その途中で


茉莉奈は

理由もなく足を止めた


疲労でもない


眠気でもない


胸元の蒼石へ触れる


ひやり


冷たい


外気のせいではない


胸元の蒼石が

ギュ……と締め付けられるように

重くなった


熱いのではない


重力だけが

そこへ集まったみたいに重い


拒絶

とも違う


何かが

通り過ぎた感触だけが残る


時間感覚が

キィ……と一瞬だけ引き伸ばされる


脈ではない


体温でもない


何かが

スゥ……と通り過ぎた


問いかける言葉さえ

蒼い光の中に消える


誰かの気配だけが

残った


名前は出てこない


映像も浮かばない


探すべき理由すら

ここにはない


今は

わからなくていい


それでも


胸の奥に

小さな空白が

ぽっかり……

残った気がした


茉莉奈は

空を見上げる


嫌な予感


というほど

輪郭のあるものじゃない


恐怖でもない


不安でもない


その感覚だけが

消えない


✦ ✦ ✦


翌朝


コンビニの新聞棚


いつもと

何も変わらない


そのはずなのに


スポーツ紙の一面だけが

やけに派手だった


≪熱愛発覚≫

≪金城ヴィオ♡桃園鈴≫


イベント中の

ふたりのツーショット


距離はある


触れてもいない


だが

否定できない構図だけが

そこにある


熱愛か


次世代スターの共演か


見出しが

ギラ……と勝手に意味を作っていく


事実より先に

物語が走る


翔は

新聞を一度だけ折り


棚へ戻した


指先の動きは

いつもと同じだった


何も言わない


だが


沈黙の奥で

翠だけが

まだ警戒している


ヴィオは

その新聞をただ見つめた


最初に浮かんだのは


鈴じゃない


病院の廊下で

静かに笑う

茉莉奈だった


胸の奥で

何かだけが

茉莉奈を向いていた


選択も


言葉も


まだ風の中にある


なのに


形だけが

先に歩いていく


否定も


肯定も


まだ

どこにも置いていない


胸の奥に

乾いた砂が

一粒だけ落ちたような違和感


黄金は

鳴らなかった


記憶の目録に

この色は存在しない


知らないはずの熱


知らないはずの揺れ


だが


胸の内側にだけ

桃色の残響が

ひとつ残っていた


遠い場所で

蒼石が

わずかに重くなる


選んでいないものまで


形だけを持って


今日も

進んでいく

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