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不滅の双星 〜魂の天秤〜  作者: 杏鈴


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第五章 次なる陰謀、後宮を揺るがす毒と庭園の糾問

 美しい後宮の庭園に、色とりどりの花々が咲き誇る中、お茶会が催されていた。主催したのは、新しく後宮へと迎えられたばかりの淑貴妃しゅきひ。彼女は宮廷の勝手が分からぬ身ながらも、正妻である王妃を深く慕い、純粋に交流を深めたいという一念から、この庭園での茶会を企画したのだった。

「王妃様、我が宮の特製の茶にございます。どうぞ、お熱いうちに」

 淑貴妃の初々しい笑顔に応え、瑞月がそっと杯を口元へ運ぼうとしたその瞬間、背後に控えていた静華の目が鋭く光った。茶を注ぎ分けた侍女の、指先のわずかな震えと、袖口に何かを隠すような不自然な手元の動きを見逃さなかったのだ。

「王妃様、なりませぬ!」

 静華が叫びながら必死に手を伸ばしたが、瑞月の動きの方が一瞬早かった。瑞月はすでに杯を傾け、その毒茶を口にしてしまっていた。

「がはっ……!」

 激しい劇痛が瑞月の五臓六腑を駆け巡る。吐血し、美しい衣装を鮮血で赤く染めながら、その場に崩れ落ちる瑞月。庭園は悲鳴と怒号に包まれ、騒然となった。

 瑞月が血を吐いて倒れた直後、黎央は狂ったようにその身体を抱きかかえ、王妃宮へと走った。瑞月を寝台へと横たえると、黎央は枕元に控える侍女たちや駆けつけた侍医に彼女の命を託し、そして、「何が何でも生かしておけ!」と獣のような怒号を上げると、その場にいた筆頭侍女の静華に向かって「お前だけは付いてこい!」と冷酷に命じ、主犯どもを屠るべく、先ほどのお茶会会場である庭園へと引き返していった。

 夜の帳が降りるのを待たずして、華やかな花々が咲き乱れる庭園は、文字通り「生きた心地のしない地獄」へと変貌していた。

 美しく整えられた芝生の上には、お茶会出席していた側妃たち、および茶の給仕に関わった総勢三十名もの侍女たちが、近衛兵の鋭い刃を突きつけられ、一列に平伏させられていた。事件の証人として庭園へと連れてこられた静華も、怒りに唇を噛み締めながらその場に控えていた。

「……誰だ」

 平伏する者たちの目の前に突き立つように佇む黎央の声は、凍てつく地鳴りのようだった。その手にはすでに抜身の宝剣が握られ、張り詰めた庭園の空気をさらに凍りつかせるような冷徹な光を放っていた。愛する王妃の危機に、黎央は完全に理性を失い、獣の如く激昂していた。

「私の美蘭に、その汚い手を伸ばした羽虫はどいつだ。今すぐ名乗り出れば、一族の九族までは殺さず、三族の処刑だけで済ませてやる。……さあ、言え!」

 狂気と激怒を孕んだ黎央の叫びが、最前列でガタガタと震える淑貴妃へと向けられた。

「ひっ……! べ、陛下、お信じください! 私は、私はただ、王妃様と純粋にお茶を楽しみたくて……! 毒など、寒氷散かんぴょうさんなど、お名前すら存じ上げません!」

 淑貴妃は額を地面に何度も打ち付け、涙と化粧で顔をぐちゃぐちゃにしながら無実を叫んだ。宮廷に入ったばかりの彼女に、これほどの政略や猛毒の調達ができるはずもないことは、黎央も十分に承知していた。

 黎央は冷酷な一瞥を淑貴妃から外し、その背後に控えていた、お茶を注いだ淑貴妃付きの侍女の前にゆっくりと歩を進めた。その足音が近づくたび、侍女の身体は目に見えて激しく震え出す。

「お前だな。指先が、先ほどから妙に騒がしい」

「ち、違います! 私はただ、淑貴妃様の命じられた通りに茶葉を……!」

「嘘を言うな」

 黎央が合図を出すより早く、側に控えさせていた王妃の筆頭侍女――静華が、一歩前へ進み出て毅然たる声で告発した。年長者としての意地と、主を害された激しい怒りがその声を震わせる。

「陛下。我が主が杯を口にされる直前、淑貴妃様の侍女の手元は確かに震えておりました。ですが、それ以上に不自然だったのは、その背後に給仕の補助として立っていた――麗妃様付きの筆頭侍女、翠蓮すいれんの動きにございます」

 静華の鋭い指先が、列のやや後ろに平伏していた一人の侍女を指し示した。その瞬間、麗妃の肩が、ピクリと跳ね上がった。

 黎央の視線が、獲物を見つけた猛獣のように麗妃とその侍女・翠蓮へと向けられる。

「ほう……麗妃。お前のところの飼い犬か」

「お待ちください、陛下!」

 麗妃は利発な美貌を歪ませ、必死に声を張り上げた。彼女の実家は軍権を握る兵部尚書。水家には及ばぬものの、有力な高官であるという傲慢さが、その声にはまだ残っていた。

「そのような王妃付きの、たかが若い侍女の根も葉もない妄言で我が宮を疑うなど、あんまりにございます! 翠蓮はただ、淑貴妃様の不手際がないよう、後ろで見守っていただけにございます。我が一族が、なぜそのような大逆の真似をいたしましょうか!」

「黙れ。お前に発言の許しは出していない」

 黎央は一瞬で麗妃の言葉を叩き潰すと、近衛兵に顎で指示を出した。

「翠蓮の身ぐるみを調べ、徹底的に身体検査をしろ。爪の先から髪の芯まで、寒氷散の残滓がないか徹底的に探せ。抵抗すれば、その場で四肢を切り落とせ」

「やめて、離して……!」

 近衛兵たちに手荒く引きずり出され、その場で徹底的に懐や所持品を改められた翠蓮は、絶望の悲鳴を上げた。近衛兵が彼女の身に帯びていた細帯の裏側を検分すると、きつく縛られた小さな薬用の革包みが転がり落ちた。

 近衛の医師がそれを拾い上げ、匂いを嗅ぐ。

「――陛下。間違いございません。これこそ、無味無臭にして五臓六腑を凍らせる劇薬、寒氷散の残りでございます。これほどの量を扱えるのは、軍部が戦時用に隠し持っている内密の毒物のみ……」

 庭園の空気が、完全に凍りついた。証拠は挙がった。麗妃の実家である兵部尚書の権力を以てすれば、この軍用の猛毒を入手することは極めて容易だったのだ。

「……麗妃」

 黎央の声から、一切の感情が消えた。それが、彼が完全に「屠殺者」となった合図だった。

「言い残すことはあるか」

 万事休す。しかし、麗妃は狂ったように笑い出し、地面に伏せるのをやめて立ち上がると、黎央を狂信的な瞳で睨みつけた。

「ふ、ふふふ……! ああ、そうですわよ! 私が翠蓮に命じて、あの淑貴妃の茶に毒を仕込ませましたわ! なぜ、なぜあのような、ただ実家の身分が妃の中で最高位だというだけで、引きこまってばかりの小娘を、陛下は毎日のように王妃の宮へ通って寵愛なさるのです!? 私は、我が兵部尚書の一族は、陛下のためにどれほどの血を流してきたとお思いですか! あの女さえいなければ、私が王妃に……我が一族が、この国の頂点に立てたのです!」

 最高名門水家への激しい嫉妬と権力欲に狂った麗妃の絶叫が庭園に響き渡る。彼女は自らの実家の軍事力を盾に、黎央が簡単には自分を殺せないと高を括っていたのだ。

 だが、黎央の王妃への執着と怒りは、そんな政治の損得勘定を遥かに超越していた。

「――そうか。お前の一族ごと、根絶やしにしてやる」

 黎央の身体が、閃光のように動いた。

 制止する間もなかった。黎央が手にした宝剣が、凄まじい風切り音を立てて横一文字に払われる。

「……ひっ」

 最初に首を飛ばされたのは、実行犯である侍女の翠蓮だった。鮮血が美しく咲き誇る桃の木々まで吹き上がり、鮮やかな緑の芝生を赤く染める。

「あ、あああ……!」

 己の顔に翠蓮の温かい血を浴びた麗妃が、恐怖のあまり腰を抜かして地面にへたり込んだ。先ほどまでの傲慢さは消え失せ、ガチガチと歯を鳴らして恐怖に震えおののく。

「陛下、お待ちください……」

 麗妃が命乞いの手を伸ばした瞬間、黎央は容赦なくその細い手首を剣で踏みつけ、土ごと突き刺した。

「ぎゃあああああ!」

「我が美蘭の苦しみに比べれば、お前の命など、ドブネズミの死体よりも価値がない」

 激昂の極みに達した黎央は、再び愛する王妃の名を叫びながら、麗妃の胸元へと宝剣を深く突き立てた。心臓を貫かれた麗妃は、口から大量の血を溢れさせ、激しく身体を痙攣させたのち、絶望の表情のまま動かなくなった。

 お茶会会場であった庭園は、二つの死体から流れ出る血の海と、鼻を突く濃厚な血生臭さに支配されていた。他の側妃たちは、あまりの凄惨な即決処刑に、悲鳴をあげることすらできず、ただ口を押さえて地面にへばりついていた。

 黎央は血に濡れた剣を無造作に放り投げると、近衛隊長に向かって、冷酷極まりない、絶対的な王命を下した。

「兵部尚書の一族を、今この瞬間を以て全員捕縛しろ。抵抗する者はその場で斬れ。麗妃の父、兄弟、従兄弟に至るまで、すべての男の首を撥ねろ。女子供は身分を剥奪し、国境の最果てにある炭鉱へ終身奴隷として叩き落とせ。王妃を害した代償がどれほどのものか、朝廷の百官どもにその身で学ばせてやる」

「……御意にございます!」

 血の嵐が吹き荒れる庭園を後にし、黎央は衣服を血に染めたまま、狂ったような足取りで瑞月の待つ王妃宮の寝所へと引き返していった。

 体内に回った毒のせいで、瑞月は三日三晩、凄まじい高熱と激痛に浮かされ、生死の境を彷徨いながらうなされ続けた。その間、黎央は国政をも顧みず、瑞月の枕元に付きっきりで必死の看病を行っていた。

「死ぬな。私を置いていくな……お前までいなくなれば、私は本当にすべてを失ってしまう」

 衰弱し、苦しげに息をする瑞月を前に、黎央は少しでも熱を逃がそうと、衣服の襟元を緩めようと手を伸ばした。

(まずい……衣服の下の胸の詰め物や、男の骨格を見られれば、すべてが終わる……!)

 薄れる意識のなか、武人の本能が致命的な危機を察知した。瑞月は残されたすべての力を振り絞り、黎央の手首を強く掴んで引き止めた。

「今の私は見るも無惨な姿……。このような醜い姿を近くで見られたくはございません。どうぞ、お下がりください」

 痛々しい、しかし拒絶の意志を孕んだ瑞月の言葉に、黎央は胸を突かれ、ゆっくりと手を引いた。王が去ったのち、その後の看病と解毒薬の投与は、すべて事情を知る静華たちの手に委ねられ、瑞月の身体は数週間をかけて、徐々に回復へと向かっていった。


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