第11話:潮騒の記憶、おさるの約束
「心配すんじゃねえ。チョージもコハナも、あっち(現実)でちゃんと生きてる」
防波堤の上で、シゲジイがジンの小瓶をポケットにねじ込みながら言った。
「今、家の中にいるあいつらはカナエさんの記憶が作り出した幻だ。おいらとお前さんは『外』から来た異物だがな。さあ、行くぞ」
私たちは、赤いランドセルを背負って登校しようとする小さなカナエちゃんの後を、気づかれないように追いかけた。
◇ 懐かしい生臭さと、おばあちゃん
そこは、活気に満ちた古い漁村だった。
港では大量の魚が水揚げされ、銀色の鱗が朝日に跳ねている。潮の香りと、魚の生臭さ。それがこの街の、生きている匂いだった。
カナエちゃんが、一人の女性に駆け寄る。
「お母さん、行ってきます!」
「あーあー、そんなにくっついたら学校で生臭いって笑われちゃうよ。どうしたんだい、甘えん坊だね」
私は息を呑んだ。
あれが、母さんの母さん――私にとってのおばあちゃんなんだ。
写真でさえ見たことがなかったその笑顔は、今の母さんに驚くほどよく似ていた。
「カナちゃん、ガッコ、おくれるショ! はやく、はやく!」
向こうから、同じくらいの女の子が駆けてきた。ミッチャンと呼ばれたその子のランドセルには、色違いの黄色のおさるのキーホルダーが揺れている。
「お揃いやね」と笑い合う二人の後ろ姿を、私とシゲジイは目を細めて見守った。
◇ 15人の教室と、初恋の影
小学校は、高台にある古い木造建築だった。
教室には15人ほどしかいない。学年もバラバラのようで、みんな背の高さが違う。
その中に、一人の少年がいた。
整った横顔が、あの「タコの王子さま」にどこか似ている。彼と目が合うたび、カナエちゃんは頬を林檎のように赤くして、手元のノートに視線を落とした。
「……お母さんにも、あんな時代があったんだね」
窓の外から覗き見ながら、私は呟いた。
恋をして、友達と笑って。あの日が来るまで、母さんの世界はこんなにも色彩に満ちていたのだ。
◇ 奪われた団欒
夕暮れ、カナエちゃんが家に帰ると、そこには温かい家族の食卓があった。
父さんがいて、母さんがいて、小さな妹がカナエちゃんの膝に乗っている。
「ネーネー、そのおさるのキーホルダー頂戴よ」
「駄目だよ、これはミッチャンとお揃いなんやから」
「えー、いいやん、ネーネー!」
窓の外で見ている私の目に、いつの間にか涙が溢れていた。
「……みんな、流されちゃったんだね。あの日、全部」
シゲジイは黙って、海の向こうを見つめていた。
その時、背後から冷たい声が響いた。
「いけませんねえ。どこから来ましたか、あなたたちは」
振り返ると、古い駐在の格好をした男が立っていた。目はビー玉のように無機質で、表情がない。
「やべえ、掃除屋(排除機能)に見つかった!」
シゲジイが叫ぶ。気づけば、路地の角から、同じ格好をした男たちが音もなく集まってきていた。
◇ おばあちゃんの「報告」
「なんね、騒がしい」
家の中から、おばあちゃんが出てきた。その腰には、怯えたカナエちゃんと妹がしがみついている。
おばあちゃんは、掃除屋たちを無視して、まっすぐ私を見つめた。
「……もしかして、サユキちゃんかえ?」
「おばあちゃん……私のことを、知ってるの?」
「ああ、知ってるよ。チョージもコハナも。アンタ達のことは、なんでも知っとるよ」
おばあちゃんは優しくカナエちゃんの頭を撫でた。
「この子がね、ちゃあんといつも心の中で報告してくれるからな。……カナエ、そろそろ帰る時間やみたいやで」
カナエちゃんは嫌々と首を振った。
「お母さん! 帰ろう、チョージもコハナも、みんな待ってる!」
私が叫んでも、子供のカナエちゃんは、おばあちゃんの服を掴んで離さない。
「カナエ。あんたはもう、お母さんやろ? そげんな事でどげんするとね」
おばあちゃんの凛とした声が響いた。
その瞬間、少女だったカナエちゃんの姿が、ゆらゆらと陽炎のように揺れ、少しずつ「私の知っている母さん」の姿に戻っていく。
「ネーネー、いかんといて!」
妹が泣きじゃくりながら縋りつく。母さんは涙を拭い、ランドセルのおさるのキーホルダーを外すと、それを妹の手の中に握らせた。
「大事にするんよ。……また会えるから、きっと」
掃除屋たちが、すぐそこまで迫っていた。
シゲジイが大きく息を吸い込み、尻を突き出す。
「ぷううううううん!」
凄まじい轟音と共に、桃色の煙が辺り一面を覆い尽くした。
「ずっと、見てるからねえ!」
煙の向こうから、おばあちゃんの温かい声が響いた。
私たちは、過去の漁村を背に、再び深い群青の海へと弾き飛ばされていった。
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