第12話:青空と、新しい朝の匂い
目が覚めた時、天井はもう動いていなかった。
シーツからは潮の匂いもしない。窓の外からは、いつものようにカラスの鳴き声と、遠くを走る車の走行音が聞こえてくる。
私はベッドから飛び起き、階段を駆け下りた。
キッチンには、いつもの光景があった。
母さんがお弁当を詰め、チョージが不機嫌そうにスマホをいじり、コハナが足元で騒いでいる。そして、ダイニングテーブルの端では、シゲジイが新聞を広げていた。
「……シゲジイ、帰ってきたんだよね?」
私が息を切らして尋ねると、シゲジイは新聞から目を離さず、
「ぷっ」
と、短く気の抜けた音で返事をした。
その絶妙な音色に、私は全身の力が抜けるのを感じた。ああ、間違いない。本物のシゲジイだ。
◇ 砂嵐のあとのニュース
リビングのテレビでは、落ち着いたトーンの女性アナウンサーが語りかけていた。
「……あの日から、はや数十年。本日、全国各地で慰霊祭が執り行われ……」
「あ、これいいや」
私は慌ててチャンネルを切り替えた。
そうか、昨日は「あの日」だったんだ。母さんがすべてを失った、あの日。
だから海はあんなに静かで、みんなが屋上で手を振っていたのかもしれない。
ふと見ると、コハナが床に座り込んで、一つのキーホルダーで遊んでいた。
それは、あの漁村で妹ちゃんが持っていたのと同じ、 水色の古ぼけたおさるのキーホルダー だった。
「それ、どうしたの?」
「んー、お仏壇の下に落ちてたの」
コハナは無邪気に笑う。それは夢から持ってきたものか、それともずっとそこにあった母さんの遺品なのか。今はもう、どちらでもよかった。
◇ 夢に現れなかった人
ピンポーン、とインターホンが鳴った。
「ただいまー。いやあ、駅前でヤスオさんに捕まっちゃってさ」
玄関から入ってきたのは、仕事帰りの お父さん と、相変わらずちょび髭を揺らした ヤスオおじさん だった。
お父さんは、母さんの夢には一度も現れなかった。
「悲しいね、お父さん。置いてけぼりだったよ」
心の中でそう呟いて、私は少しだけ笑った。
「おっ、なんだか懐かしい匂いがするね」
ヤスオおじさんが鼻をひくつかせた。
キッチンから漂ってくる、にんにくとオリーブオイルの香り。昨日のパスタの記憶が、一瞬だけリビングを通り抜けたような気がした。
◇ おばあちゃんへの報告
私は静かに仏壇の前に座り、リンを鳴らした。
「チーン」
高く澄んだ音が、家の中に響き渡る。
「おばあちゃん、ちゃんと帰ってこれました。お母さんも、一緒です」
そう言えば、私はあの妹ちゃんの名前も、まだ知らない。
これから少しずつ、母さんの話を聞こうと思う。
あの「タコの王子さま」みたいな初恋の人のことも。母さんの胸の中にしまわれた、たくさんの「宝物」の話を。
「お母さん、手伝うよ」
私はカバンを置いて、母さんの隣に立った。
母さんは目を丸くして、私を振り返った。
「あらあら、珍しい。今日は 雨 が降るわね」
母さんが可笑しそうに笑う。
私がキッチンに立つなんて、それくらいの天変地異だと言いたいらしい。
でも、窓の外に広がるのは、どこまでも突き抜けるような、きれいな 青空 だった。
もう、あの色のない雨も、底の見えない群青の海も、どこにもなかった。
私たちは、新しい日常という名の航海を、ここからまた始めていく。
(完)
完結に寄せて:『漂流家族』という航海を終えて
ついに全12話、完走することができました!
今回の挑戦は、重厚なテーマを扱いながらも「スマホでサクサク読める、続きが気になる物語」にすることでした。
震災という、安易に扱ってはいけない重い題材。サユキやシゲジが感じていた「触れづらさ」は、そのまま作者である私自身の葛藤でもありました。しかし、その「腫れ物」を避けるのではなく、あえて「青すぎる空」や「空飛ぶサンマ」といった幻想的な世界観で包み込むことで、新しい景色が見えるのではないかと試行錯誤しました。
12話、一緒に旅をしてくれた読者の皆様に、心からの感謝を。
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