子役の父親 見ることのできない現実
自分は息子のオーディションの見学に来た。
母親の亜希子はカイトが受かることを願っている。
だが父親なのに、自分は。
雄一郎は自分を嫌悪しそうになる。
世間から見れば父親としては良くないのだと思う。
だが、心の中の負の感情を消すことができない。
ふと喉が乾いていることに気づいた。・
朝食を食べていなかった、喉が乾いていたことに今さらのように気づいた。
確か、ここに来る途中、廊下に自販機があった筈だと思い出した。
雄一郎は、その場を離れた。
珈琲を飲む気にはなれず、ペットボトルの水を買うことにした。
水を買うなんて、久しぶりだ。
飲もうとしたときだ、誰かが廊下の向こうから近づいてくる。
オーディションを受ける役者、関係者だろうかと思った。
不意に、雄一郎の視線が止まった。
白と黒の毛並みの大きな犬だ。
リードを持っているのは金髪の若い女性、薄いサングラスをかけている。
だが、黒い杖が目に止まった、床を確認するように動かしている。
見えていないなら白杖だと思っていた。
杖は細身ではない、太い杖だ。
女性が通り過ぎたあと、また足音が聞こえた。
ゆっくりとした足音。
気になって、思わず視線を向けてしまった。
そこにいたのは中年の男性、TVで何度も見たことがある役者だ。
男性の顔つき目が厳しいことに気づいた。
視線の先、女性と犬を見ている、何故と思った。
厳しい視線なのだ。
雄一郎はペットボトルを捨てようとして気づいた。
少し離れたところに外国人の長身の男性の姿。
それだけではない。
若い青年もいた、気づいた。
アイドル俳優の真田だ、ゆっくりとした足取りで、犬と女性の後を追っている。
一定の距離を保ってだ。
目つき、表情が違う。
自分でもわからない、雄一郎の足が動き出していた。
犬と女性はスタジオ内を歩き回っている、時折、スタジオ撮影場所の前で立ち止まる。
だが、中に入ることはしない。
真田も足を止めて見守っている。
しばらくしてスタジオの入口に近づくと外国人の男性が近づき声をかけていた。
車、送迎のためだろう。
真田が、男性と話している。
二人が別れた後、雄一郎は思い切って真田に近づいた。
自分でも何故なのかわからない。
「すみません。失礼かとおもいましたが。聞きたいんです。実は私はオーディションを受けに来た、保護者です」
雄一郎は緊張していた。
「先ほど犬と女性の連れを見ました」
真田は驚いたようだ。
「彼女は、目が、見えていないのでは」
普通なら突然、見知らぬ相手から声をかけられたら驚くところだ。
このとき、真田は目の前の男性の真剣な表情に気づいた。
「あの女性、役者ですか……」
それ以上の言葉が続かない。
雄一郎の表情は固い。
突然、こんなことを聞くなんて、失礼だと分かっている。
だが聞かずにはいられない。
真田は、雄一郎をじっと見た。
何か感じ取ったのかもしれない。
「十六の少女です。でも子供の頃から舞台に立っています。僕や、他の役者たちよりキャリアもあると思います」
言葉が出ない、嘘だろう、普通なら、そう言ってしまうだろう。
若い、だが、それだけではない。
目が見えないというハンデ。
それなのに自分よりキャリアがあると、眼の前の青年は口にした。
息子のカイトと変わらない歳だ。
突き付けられた現実が重く感じられ、雄一郎は言葉を飲み込んだ。
「すまない、俺は先に帰る呼び出しがかかったんだ」
雄一郎はオーディション会場に戻り、亜希子に小声で声をかける。
自分の胸の中の驚きと動揺を知られたくなかった。
「分かったわ」
亜希子は気づいていない。
雄一郎は自宅へは戻らなかった。
目が見えないというハンデがあっても役者になれるものなのか。
知りたかった。
だが、スマホで調べても情報が出てこない。
このとき、思い出した、子供の頃から舞台に立っていると真田は言った。
海外の舞台なら日本語で検索しても詳しい情報は出て来ないかもしれない。
映画、舞台、確か詳しい男がいたはずだ。
その日の夜、江東はスマホの通知に驚いた。
最初はメール、続けて話がしたい、聞きたいことがあるという内容だ。
落ち着いた男だと思っていたが、何かあったのかと思った。
「君は映画、舞台の事に詳しかったな。目が見えない、ハンデがあっても役者になれるのか」
江東は驚いた。
「日本では無理というか、難しいと思う。仕組みだってないだろう」
「では、海外ならあるのか」
ふうっと溜息が耳元で聞こえた。
「ああ、機械、案内がついて舞台の進行を教えるんだ。誰もが観れるわけじゃない」
「十六歳の女の子が、子供の頃から舞台に立っている。そんな話を、信じられるか」
江東はしばらく無言だ、だが。
「海外じゃないか、それは」
雄一郎の返事が遅れた。
「知ってるのか」
「海外のセレブ、金持ちや富豪がボランティアで舞台公演の支援をするって話、聞いた事がある」
海外?突然、でてきた言葉に雄一郎は驚いた。
「障害のある人間が観ることができる。だが、そんな舞台、商業で成り立たない。儲かるわけない。究極のボランティアだ。金を出す側にも利益なんて出ない」
言葉が重く感じられた。
ボランティアだからといって、誰もが観る事ができるわけではない。
幸運だから、舞台を観ることができた。
障害があっても、運が良かった、そんな話ではない。
「雄一郎、海外と日本の違いってわかるか」
「どういうことだ?」
プロデューサーとして復帰する事に坂崎は緊張していた。
体調を崩して入院していたが、一年も現場に復帰していないと、自分がまるで、外界から遮断されたような気分になってしまう。
手術は無事にすんだが、安静にして動かないでくれ。
医者と看護師の言葉を深く考えてはいなかった。
一度、具合が悪くなり、自分は若くないのだと改めて感じてしまった。
「退院したら、叔父さん、映画を観に行こう」
今年、中学生に鳴ったばかりの甥っ子に声をかけられて驚いた。
「アニメか」
マンガが好きでオタクだったなと思い出す。
ところが少年は首を振った。
「役者もだけど犬がカッコいいんだ」
役者、犬、実写映画か、坂崎は驚いた。
最近はマンガ、アニメの実写化は珍しくない。
実写では不可能はワイヤーアクションもある。
「違う、友人に声をかけられて観に行ったんだ」
坂崎は驚いた。
「二回目か、もしかして」
「うん、確かめたいことがあってね。女の人が男に変装して映画に出ている。敵にも紛れ込んでいて」
甥と映画を観に行くなんて数年ぶりた。
シアターはさほど大きくない、人気がないのかと思った。
満席ではないが、人はそこそこ入っている。
気になるのは客層だ、自分と同じ年配の人間、だが、学生もいる。
坂崎はチケット売り場を見て気づいた。
パンフレットはある、だが、キャラグッズなどはない。
興行として、どうなんだと思った。
映画が始まった。
出てくる役者は中年の男女、犬。
白と黒のまだら模様のグレートデンだ。
警察を辞めた男と愛犬、そして男を助ける元警察に勤めていた男女。
皆、若くない、若いイケメン、アイドル俳優など出ない。
そして犬だ。
犯人を追いかけたり、派手なアクションがない。
犬の視線、静かな様子から人間の方が何かを気づく、思い出す。
事件が静かに始まり終焉を迎える。
なんだ、この映画は。
終わった後、坂崎は、すぐには席を立てなかった。
「叔父さん、野々原さん、中年の女性、敵方の中にいたけど分かった」
甥に言われて坂崎は、えっと言葉を飲み込んだ。
今は変装、メイクもハリウッド並だ。
「続編とかないんだよね」
「スピカオフもだよ。彼女は家族の家に帰っちゃうしね」
「グッズも出ないし」
「最初から言ってたよ」
ロビーに出ると観客たちの会話が坂崎の耳に入ってきた。
彼女?家族の元に帰る?
妙な言い方だなと坂崎は思い、甥に尋ねた。
「彼女が家に帰るって、客の会話、あれはどういうことだ」
「犬だよ」
甥は笑った。
「タレント犬じゃないし、映画の撮影が終わったら、家族のもとに帰るって、TVのインタビューでも言ってたから」
彼女、まさか、雌なのか。
坂崎の問に甥は頷いた。
「大型犬だから、あの大きさでも普通だと思うけど」
甥は何でもないことのようにいう。
男の役者と並んでも迫力があった。
「名前は、なんていうんだ。犬の名前は」
映画の中でも犬の名前は出てこなかった。
「わからない。一度、TVのインタビューにも出たけど役者は、彼女って呼んたよ。タレント犬じゃないから知らせる必要なんてないんじゃない」
坂崎は甥に尋ねた。
「おまえ、この映画、面白かったか」
不思議そうな顔で少年は伯父を見た。
「叔父さんは業界で働いているから、俺の意見なんて」
遠慮しているのかもしれない。
だが、言ってくれと坂崎は促した。
「最近のドラマ、イケメンとか、若い俳優が多いだろ。警察、弁護士という役柄で、ちょっとリアリティが感じられないというか。現実には、そんな人あまりいないだろ」
病院のベッドでTVを見ていたことを思い出し、坂崎は確かにと思った。
「でも、あの映画に出ている役者さって、もしかしたら、いるんじゃないかって、思わせてくれるんだ。演技も自然で、力のある役者って、あんな人たちのことを言うんだなって思ったんだ」
甥は言葉を続けた。
「それにあの犬だって家庭犬だし、ほら、アニメやCGだと信じられない演技をするだろ。でも、そんなことない」
「本当に家庭犬なのか」
過剰な大袈裟な演技はしない、だが落ち着いている、信じられれないという疑念が坂崎の胸の中にはあった。
家庭犬だよと甥は言葉を続けた。
「犬に詳しい友だちが言ってた。耳は垂れていたし、尻尾だって長かっただろ」
坂崎は頷いた。
「ショーに出したり、タレント犬なら、耳や尻尾を子供の頃に切るって、見栄えを良くするためにね」
坂崎は言葉が出なかった。
「久しぶりです。坂崎さん」
その日、挨拶の為にテレビ局に入った坂崎に顔見知りが声をかけてくる。
今日は仕事の話はなしだと思いながらもどんな撮影をしているのか気になるのは職業病だ。
「実は昨日、中学生の甥と映画を観に行った」
「へえっ、どんな映画です」
関係者に聞かれて坂崎が説明する。
「もしかして、丸川さんが、出ているやつですか」
名前が出てきた時、坂崎はすぐには返事ができない。
丸川?
「業界でもちょっとした噂になっています。何故、あの男が映画にって」
「オーディションがあったみたいですが。そんな話、知らなくて」
「あの男、アイドルのときのゴシップで、てっきり」
「皆、驚いてました。あの映画に出ている役者もTVに頻繁に出るような役者じゃないし」
スタッフたちの断片的な言葉、だが、表情は真剣だ。
「あの映画の原作者は商業作家ではないんです」
有名な作家だと思っていた、違うのか。
しかも商業ではない?
「共同で映像クリエイターの名前も出ています。佐川という男性です。ネットでドラマ制作をしています。でも、二人とも若手です。最初はネットのドラマ配信では思っていたら、突然、映画です」
坂崎は言葉が出てこない。。
「二人とも三十過ぎの若手です資金だって出せるほどの余裕があるとは」
当然だ、誰も知らないのか。
「大きなスポンサーがついたんじゃいたんじゃないかって噂が。でも表には出てこないんです」
どういうことだ、アマチュア同然の原作者と映像クリエイターだと。
だが、あの映画は、そんな作りではなかった。
自分の目から見ても、金だけではいない、制作側の人間も普通でないと思った。




