久しぶりの再会 真田と丸川
「いいですか、今」
声をかけてきた事務所の人間の表情に加藤は気づいた。
「ドラマの事、噂になっています。芸人の矢吹が主役と聞いたときは驚きましたが」
声は驚きというより、戸惑っているようだ。
「実は韓国のテレビ局が来ているんです」
「ドラマの撮影は、始まっていないだろう、何の為に」
わかりませんと首を振った山口は困惑の表情を浮かべている。
「実は矢吹さんの子供という役が決まっていなくて、カイトを使ってみたらどうかってスタッフが提案したら」
「どうだった」
返事がない。
相手は少し気まずそうな顔だ。
「まだ撮影は始まっていませんから」
ハッキリしろと言いたかったが、相手は濁している。
苛ついたのは無理もない。
「カイトの名前が出たんだ、スタッフが押そうとしたらしい」
加藤の表情に期待が見えた、だが話は続かない。
上司の斎藤は視線を向けただけだ。
「話が大きく広がっている。韓国でも放送したいと向こうの人間が来たんだ」
「本当ですか」
「向こうは芸人が主役、ただの二時間ドラマって考えていないんじゃないか」
「どういう意味ですか」
疑問が浮かんだ加藤だが、見ている斎藤の表情は変わらない。
険しいまま、睨まれたと思うのは気の所為ではないかと加藤は思った。
「話が続かなかったのは当然だ。舞台化の噂が流れている」
斎藤は息を吐いた。
「向こうでな。役者も動いているかもしれない」
「まだ、ドラマの撮影は」
斎藤は首を振った。
「豊川さんの脚本、向こうの人間は分かっているんだよ。でなければ今の時点でCMの見学なんかに、わざわざ来るか?」
返事ができない、斎藤は続けた。
「カイトは使えるのか」
勿論です、そう答えるつもりだった。
だが、斎藤の顔を見て、山口は飲み込んだ。
言葉が出ない、違う、重さに気づいたからだ。
「おう、元気か」
スタジオで会うのは珍しい、久しぶりだと真田は驚いた。
「お久しぶりです、丸川さん、ドイツから帰って来たんですか」
「ああ、だが、ゆっくりはできない」
そのとき、スマホの通知音が鳴った。
悪いという顔で真田を見た彼は一言。
「明日には戻る」
そう言って、スマホを切った。
えっっ、それだけと真田は驚いた。
「ドイツの監督、俺のことを、周りの知り合いに吹聴した」
Kein Zögern, keine Kompromisse beim Schauspielern.
英語ではない、スマホを見せられて真田は不思議そうな顔だ。
「演技に妥協はないとか、適当なことを言ってるのは間違いないだろうな。俺には無茶なこと言っても構わないとか思っているんだよ」
真田は驚いた。
「俺はフリーの役者だ。事務所、通さず突然スマホに連絡、地図を送ってきて、急いで来てくれと日本語で言ってくる。何事だと思ったら。いきなり役者が足りないとか言って俺に演技しろだ。信じられるか」
「それで引き受けたんですか」
「俺が干されていた役者なんて、あっちでは関係ない。それがどうした、関係あるのか、それで終わりだ」
丸川の話に真田は驚いた。
突然、スマホに連絡、舞台に出ろと言われる。
そんな事は日本ではあり得ない。
「おまえ、事務所を辞めたいらしいな。相川さんから聞いたんだ」
丸川の声が低くなったと同時に、真田の表情が固まった。
「フリーというのは自由だが、責任もある」
「丸川さん、今はどうですか」
真田は、それが一番気になった。
「昔のことを考えたら何故と思う。俺が昔干されていた役者なんて、あっちでは関係ないんだよ」
「もしかして、知らないんですか」
丸川は肩を竦めた。
「あっちじゃ、若いときに問題を起こした、トラブルでひどい目にあった、潰されたなんて役者は捨てるほどいる」
「そんなにですか」
「だが、そんな人間でもやめられない。昔、そんな事があったからどうした?それで終わりだ」
真田は驚いた。
「終わったと自分でも思ったこともある」
丸川の言葉、表情に真田は時間を感じた。
若い頃はイケメンだったかもしれない。
それで人気が出たかもしれない。
だが、今の丸川は50近くになったのだ。
「俺は観客には戻れない。ところで、お前、事務所、辞めたいのか。俺の独断で相川さんから聞かされた時、光石さんと野々原さん、神崎にも聞いてみた」
真田は三人の名前を聞いて、背筋を伸ばした。
自分より年上だ、それなのに、光石と野々原は海外の舞台で活躍している。
神崎も以前は日本では脇役が多く、主役をやることなどほとんどなかった。
それが今では海外で仕事をしている。
日本で評価されなかったから終わったのではない。
場所を変えれば、評価する人間も、求められるものも変わる。
「お前は事務所を出た、いや、辞めたほうがいいと考えている」
何故、意外な言葉が丸川の口から出てきたことに驚いた。
「最初は、俺は事務所にいても良いんじゃないかと思った。だが、状況が変わった」
丸川は低い声で言った。
「こっちじゃ噂になっていないのか。日本のアイドルだったか、グループを海外に売り込もうとして、あっちの事務所を怒らせたとな」
真田の表情が変わった。
丸川は静かに続けた。
「向こうの事務所は三流のコメディアンを自分のところに売り込むつもりかと言ったらしい、まさに怒髪天を貫くってやつだ」
真田の表情が変わった。
「日本で売れている、若くて顔が良いから通用すると思ったんだろうな」
「こっちでは、そんな噂は全然」
「もみ消したんだろう。だが、いずれ出る。海外にも日本人はいる一般人、フリーのゴシップ記事をネタにして食っている人間、そういうのは鋭い、嗅ぎつけてくる」
丸川の言葉に声が出ない。
「日本で大きい事務所だから多少のゴリ押しが通用するなんて思っていたら足元を救われる」
自分たちにとっては名前のある事務所でも、海外ではその看板がそのまま通用するとは限らない。
むしろ、一度悪い印象を持たれれば、その名前自体が警戒されることもある。
「丸川さんはどうです」
真田が尋ねる。
すると丸川は、少しだけ口元を緩めた。
「俺の場合、監督のお陰だ、丸川は無茶言っても大丈夫だ。好きに使ってくれ。あいつ売れない役者だから仕事を欲しがっているとな。言いたい放題、好き勝手言ってくれる。信じられるか」
真田は思わず目を瞬かせた。
さっきまで事務所の信用について厳しい話をしていた男とは思えない。
「……それ、褒められているんですか?」
「知らん」
丸川は即答した。
「ただ、仕事は来る」
それだけ言うと、丸川は肩をすくめた。
海外では、自分が何者なのかを見てもらうしかない。
だからこそ、余計な看板を背負わず、自分を知っている監督に好きに使ってもらえる今の立場を、丸川は案外気に入っているようだった。
真田は考えた、海外の事務所と問題を起こしたのは、自分が所属している事務所とは違う。
だから、今すぐ自分に何か影響があるとは思えない。
だが、噂になっている、それが気になった。
もし、この先、自分が海外で仕事をする話が出たらどうなる。
相手が自分の所属事務所を知った時、慎重になるのではないか。
日本の事務所は面倒だと相手が知っていれば、どうだ。
相手が慎重になるだけではない、話そのものが話をする前に消える可能性はある。
完全になくなるとは言えない。
海外の製作側が、自分自身の演技や仕事ぶりを見て判断してくれる可能性もある。
それでも、最初から余計な警戒をされることは考えられる。
真田は黙ったまま、指先を見つめた。
自分がやりたい仕事なら、多少の苦労は我慢できる。
だが、事務所に残ることで、その仕事に辿り着く前に話が消えてしまったら。
それは自分ではどうすることもできない。
逆に、事務所を辞めたからといって、海外の仕事が増える保証もない。
むしろ、今まで事務所が持っていた仕事の話まで、自分で探さなければならなくなる。
どちらを選んでも、簡単な話ではなかった。
「実は矢吹さんが気になることを言ってきたんです。カイトとい子役をどうかって声をかけてきた人がいたんです。でも相川さんが演技ができるのかって」
「気になる言い方だな」
「16の男の子なんですか」
丸川は、そうかと呟いた、小さな声だ。
「相川さんは台本通りの演技だって」
その言葉に丸川の表情が、わずかにかわった。
「その子は他の子供と共演したことはあるのか、性別関係なく、同年代の子役とだ」
真田は意味がわからなかった。
「見た目がハンサムと言うかイケメンですし、同年代の子役との共演は、それほど」
ハッキリとは分からないという真田に、そういうことか丸川は呟いた。
「相川さんが心配するのが分かる。もし台本を渡して、同じシーンを演じさせたら、比べたら差がわかる、いや違いが出る。以前、彼女が見学しにきたこと覚えているか」
丸川は真剣な顔だ、見学、彼女。
もしかして目の見えない十六の少女のことかと真田は思い出した。
あのとき、少女はスタジオの隅で撮影を見ていた。
目は見えない、日本語も分からない。
それなのに、撮影が終わったあと、彼女は出演者の演技について何かを感じ取っていた。
当時の真田には、それが不思議だった。
目が見えない、言葉が分からない、彼女はスタジオの撮影で何を見た?」
問いかけられて真田は、はっとした。
見た、その言葉に違和感を覚える。
彼女は見ていない。
ならば、何を感じ取っていたのか。
「台詞の間合いとか、タイミング」
真田の口から、自然に言葉が出た。
撮影中、彼女が見ていたのは、役者の顔でも表情でもない。
相手が台詞を言い終わるまで、返事をするまでのわずかな間。
声が少し低くなった瞬間、言葉を出すまでの……。
そういうものを、彼女は聞いていた。
「声の調子から相手が、どんな感情を抱いているか。もし自分が相手をしていたら、どんな演技で対応するか」
丸川の言葉に、真田は黙った。
言葉の意味そのものが分からなくても、声の調子は分かる。
苛立っている、戸惑っているのか、いや、怒っているのかもしれない。
それとも、平静を装っているだけなのか。
言葉が分からなくても、声には変化がある。
それを受け取れば、自分がどう返すべきなのかを考えられる。
「台本には書かれていません」
「そうだ、台本通りは悪いことではない。覚えることは大事だ。だが、その先だ」
台本には、台詞が書いてある。
動きや表情について指示があることもある。
だが、相手が一瞬だけ息を詰めたことまでは書かれていない。
返事をする前に、ほんの少しだけ沈黙したことも書かれていない。
同じ「分かった」という台詞でも、怒りながら言うのか、諦めて言うのか、相手を気遣って言うのか。
それは、台本を覚えただけでは決まらない。
相手の演技を受けて、自分の演技を変える。
「書かれたことしか、分かっていないということですか」
「俺は、そう受け取ったよ」




