怪物の尻尾
「……でも、これでひと段落か」
オークション会場には裏口も用意されていた。王族が人目を忍んで参加することもあるため、こうしたVIP専用の隠し通路は必須なのだという。俺たちはその出入口を抜け、アクアベール家への帰路についた。
夕闇に包まれた裏路地で、俺は大きく息を吐いた。
十五億。両親が三姉妹に持たせていたブラックカードは、俺が女神に祈って利用停止に追い込んだ。これからは、自分たちの力でお金を稼ぎ、自分たちだけでいきていかなければならない。もう両親達には頼れない。俺の将来は、文字通りこの三姉妹に掛かっている。
「お兄ちゃん、五億ゼニーの借金しっかり返してね? 陰ながら応援してるよ」
マリンには、ティア姉さんの暴走を止めるために五億を立て替えてもらった。
今日からは、マリン様への忠誠と返済に明け暮れる借金生活の始まりだ。
身内からの借金だからまだマシ……と思うべきなのだろうか。
「分かってるよ。お前が払ってくれなかったら、今ごろ俺は海の藻屑になってたかもしれないしな。でも、少しくらい借金減らしてくれても……」
「いいけど、その代わり何してもらおっかな~。そうだ! あっちの世界の人達の身体調べた事なかったんだよね。お兄ちゃん、解剖させてくれる? 異世界解体新書って名前で出版してみたいかも~……ところでお兄ちゃん、何か言った?」
「いいえ、何でもございません! 借金最高ッ! ふぉおおオオオォ!」
俺が感謝を述べると、マリンはつまらなさそうに路傍の小石を蹴った。
「あ、ちょっと忘れ物したから先に帰っててー! もちろん夕飯は食べるから、私の分も残しておいてよ! 美味しいご飯期待してるね、お兄ちゃん!」
マリンはそう言って、再びオークションハウスの裏口へと消えていく。
俺たちは、嵐のように去っていった末っ子を置いて、家路を急いだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
VIP専用とはまた別の、重苦しい空気が漂う薄暗い応接室。
オークションの司会を務めた俺は、主催者であるオーナーの指示に従い椅子に座っていた。
コンコン、とノックの音が響くと、傍に控えていた使用人が扉を開けた。
「おっまたせ~」
入ってきたのは、水色の髪を三つ編みにし、紫色の瞳を怪しく光らせた少女だった。
先ほどまでふんぞり返っていたオーナーが、弾かれたように立ち上がり、深く一礼した。
「どうだったかな? 今回のオークションは」
地面を凝視していたオーナーは、すぐに姿勢を正した。
その目は、少女の一挙手一投足を常に気にしているようだった。
「はい! お陰様で過去最高収益を大幅に上回りました! いつもご贔屓いただき、誠にありがとうございます!」
「ふふ、ご苦労様。最高だったよー☆」
傲岸不遜なあのオーナーが身体を緊張で震わせながら、キビキビと受け答えをしている。
(誰だ?)
俺の視線が気になったらしい。少女がニヤリと笑った。
「あら? そっちの方には、まだご挨拶してなかったわね」
少女は俺の周りを、獲物を定める蛇のようにゆっくりと歩き回る。
「はい! 新入りですが、口の回る頭の良い奴です。試しに司会を任せましたが、いかがでしたか?」
「いいんじゃない? このままやらせてみたら?」
「ありがとうございます!」
俺は少女に一礼し、感謝を口にした。オーナーがこれほど怯える相手だ。正体は不明だが、逆らうのは死を意味すると本能が告げていた。だが、心の中では違う。
(なんだこのお子様は? 子供が偉そうに大人を見下しやがって)
少女は、ピタリと俺の前で止まった。
「ふーん、面白いこと考えてるね。『なんだこのお子様は? 子供が偉そうに大人を見下しやがって』か。まぁ、当然の反応かな」
「え……!? なぜ、俺の思考が……?」
「別の世界では、読心能力って言うんだって。事前の準備なしに相手の心を、仕草や会話から読み取るの。良い勉強になったね! ……でも、正直聞き飽きたからつまんないかな。授業料代わりに、少し頂くよ」
『水刃』
水色の髪の少女は、詠唱も予備動作もなく魔法を放った。
「え?」
ポトリ、と。床に何かが落ちる音がした。
俺の左手の小指だ。
「詠唱は無くせても、技名は言わないと使えないか~。やっぱり魔法の才能無いな、私って」
何をどう考えれば、魔法の才能無いと言えるのかさっぱり分からない。
魔法が使えるだけでもそれなりに珍しいのに、加えて詠唱破棄まで。
(魔法が使えない俺でも分かる常識だぞ? 何を言っているんだ、この女は?)
俺の頭が現実を理解し始めた。痛みが腕に現れる。
「ッァァアァぁッ!? 俺の、俺の指がッ!?」
焼けるような熱さと、遅れてやってくる激痛が脳を焼く。のたうち回る俺を無視して、少女はオーナーに冷ややかな視線を向けた。
「オーナー、この子は頭が良いんでしょ? 私の姿を見て、その名前くらい想像できなかったのかな?」
「大変申し訳ございません! 私の教育不足です!」
オーナーは、その場に土下座した。
かつて勇者と聖女が広めたという、最大級の謝罪の作法だ。
「その者はどう扱っていただいても構いません! ですから、何卒ご容赦を!」
「オーナー……ッ!?」
見捨てられた。やはりこの男はクソだ。
少女の瞳は、路傍のゴミを見るかのように冷徹だった。
「舐められたら終わりなのよ。貴族社会も、闇の世界も、グレーゾーンも…………あぁ! そういえば自己紹介が遅れちゃった!」
少女はわざとらしく声を弾ませた。
不釣り合いなほど優雅にドレスの裾を持ち上げ、淑女の礼を披露する。
「初めまして。マリン・アクアベールと申します。以後、お見知りおきを」
マリン・アクアベール……マリン・アクアベールだって!?
その名を聞いた瞬間、血の気が引いた。
「な……っ! 貴方が……ッ!」
裏社会で生きる者にとって、その名は『触れるな危険』を意味する。
俺も裏社会出身だ。当然、話には聞いていた。
オークションという巨大な金が動く場所には、当然ながら後ろ暗い連中も集まる。他人を喰らい、権力を弄ぶ悪鬼羅刹の集団。そんな彼らが、酒の席で必ず最後に付け加える共通の戒律。
『アクアベール家には絶対に手を出すな』
目を付けられたが最後、オモチャのように遊ばれて、一族郎党すべてを灰燼に帰されるという。ただの噂だと思っていた。アクアベール家は知っていたが、両親である勇者と聖女が何処かに消え、残された子供など大人の手で簡単に捻り潰せるのだと。
だが、目の前の怪物は笑っていた。
本能で理解した。手を出すなと言われていたのは、勇者や聖女ではない。彼らは良くも悪くも多少は常識を理解しているはずの大人だ。
しかし、その子供である三姉妹は別だったのだ。
「よかった、名前は知ってたんだ。前の新人さんは何も知らなかったから切り捨てたけど、今回はそこまでしなくて良さそうかな。オーナー、この子どう? 有能?」
「え、あ、はい!」
「そっか。じゃあ試す価値くらいはありそう。新人さん、手を出して」
笑顔の少女が、死神に見えた。
俺は言われるがまま、震える手を伸ばす。彼女は床に落ちた俺の小指を拾い上げると、切り口に怪しい液体を振りかけ、強引に押し付けた。
「さて、どうなるかな?」
小指が淡い光に包まれ、瞬時に接合される。
「動かしてみて。違和感はない?」
「……あり、ません」
神の御業としか言いようがない。
僧侶の治癒魔法ですら、欠損部位をここまで完璧に戻すのは至難のはずだ。
「よし、実験体に異常なし。新人さん、もし小指に異変があったらオーナーに伝えて。オーナー、彼には私の実験に付き合ってもらうから、何かあったらすぐに連絡してね。大丈夫?」
「はい! 仰せの通りに!!」
「さ~てと。今日は美味しい手作りご飯が待ってるから、残りの手続きはパパっと片付けちゃいましょう?」
「承知いたしました! オマエはもう下がれ! マリン様、オークションの件ですが……」
俺はオーナーの指示に従い、一礼して部屋を飛び出した。バイバーイと無邪気に手を振る少女に対し、俺は思わず土下座をしてから逃げるように去った。
血の気の引いた身体では満足に走ることすら出来ない。床にへたり込んで小指を何度も確認する。
大丈夫、ちゃんとある。
「大丈夫、大丈夫大丈夫……」
マリン・アクアベール。相手次第で躊躇なく神にも悪魔にもなれる少女。
絶対に敵になりたくない相手だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
オークションを取り仕切る様になってから、もう何年経つか。先代から引き継ぎ、規模も客層も増えた。政界、財界多くの著名人とも顔見知りになって多少の権力も握れるようになってきた。
これまで多くの怪物と向かい合ってきたが、俺のオーナー人生で一番の怪物は目の前の少女だと断言できる。俺は、その化け物と一対一で話し合わなければならない。
乾き切った口を強引に動かしていく。
「まさか、本当に十五億まで跳ね上がるとは……。マリン様の読み通り、あの黒髪の少年が全てを攫っていきましたな」
「ふふ、そうだね。さすが黒髪さんだ」
マリン・アクアベールはソファに深く腰掛け、優雅に脚を組んだ。
先ほどまで姉達と一緒に居た妹の顔は、もうどこにもない。
「約束通り落札価格の三割である四億五千万ゼニー、確かに用意させてもらいました。しかし、お姉様までハメてしまうとは。ククク、マリン様、お主も悪よのお……」
「そう言うお主こそ、人のことを言えぬではないか。わーはっはっはっ! パパとママに教えてもらった遊びだけど、やっぱり楽しいな~」
正直プレッシャーは半端ないが、この少女はどうもこのお約束が好きらしく、俺は商談の度にやっている。別世界から輸入されてきた『悪代官ごっこ』という名前らしい。
何故好きか考える必要は無い。目の前の相手の機嫌を損ねたばかりだ、いつも通り無難に話していく。
少女は紫色の瞳を光らせ、四億五千万ゼニーの小切手を確認している。
アクアベール家の末っ子は、ウィンクを飛ばした。
問題なかったという合図だ、それに今日は機嫌も良いらしい。
「実際、悪に付くつもりなんて全く無いんだけどね。私はただ、研究費用を守っただけだよ。黒髪さんには後で返してもらうけど、今の彼に返済の目処があるわけじゃないから。これは、ちょっとした投資。あ、良い子は真似しないようにね? 普通に警察来ちゃうから」
たまに訳の分からない言葉を話す時があるが、こんな時は何もせずジッと相手の出方を窺うだけでいい。昔、調子に乗って口を挟んだ時があったが、さっきの新人と同じように小指を飛ばされた。
その後は能力を買われて、同じように治してもらった。
あの新人にもいい勉強になっただろう。見かけで人を判断するな、と。
「……ところで、あの黒髪の少年は何者で?」
ずっと気になっていた。
アクアベール家の三姉妹に対し、一切物怖じすることなく思うままに振る舞う少年だった。
彼女達と同年代で、且つかなり打ち解けているようだったはず。
マリンは、人差し指を立てて唇に当てていた。
「内緒よ、オーナーさん。この意味、わかるよね?」
俺は一瞬で察し、再び頭を下げた。
「……ッ! 失礼いたしました! 何卒ご容赦をッ!」
「いいよ、許してあげる。私は優しいからね~」
アクアベール家の天才は、四億五千万ゼニーの小切手を懐にしまい、扉の取っ手をつかんだ。
「今日の晩御飯は、な~にかっな~。じゃあね~」
その足取りは、今日の晩ご飯を楽しみにする少女そのものだった。
しかし見た目に騙されてはいけない。あの怪物の尻尾は、どこに落ちているのか分からないのだから。




