姉に勝つなんて、百年早い
マリンに逃げられた結果、俺は途方に暮れていた。
だが、まずは手元にある火種を消さなければならない。さっきマリンから奪い取った『二枚目の本物のブラックカード』と『偽物のブラックカード』を取り出した。
「女神様、どうかこの二枚を利用停止にしてください」
天を仰ぎ、女神へと必死の祈りを捧げた。
祈りが通じて手の中の一枚――本物のカードから黒い冷気が噴き出した。禍々しいほどに放たれていた漆黒の輝きがスッと失われ、重厚だった手触りも消えていく。安っぽいプラスチックのような質感へと変貌し、魔力が完全に抜け、ただのゴミと化したのだ。
けれど、もう一枚の偽物には変化がない。
いったいなぜ? と考える間もなく、目の前が光って一枚の紙切れが落ちてきた。
『ただのクレジットカードだから、マリン本人に利用停止させてね? 管轄外だから手が出せませんでした。ごめんね? 女神より』
「あのクソ妹め!」
分かってて黙ってやがったな!
とりあえず本物の方はハサミで切り刻み、細かくなった破片をゴミ箱の底へ放り捨てた。これで三つあったブラックカードのうち、二つは消滅したことになる。
ただのクレカは、マリンに意地でも停止してもらうしかない。
ひとまず俺が預かっておくことにした。
安堵したのも束の間、部屋の中央に一台だけ、電源が落ちていないモニターがあることに気づいた。
まるで面白がるように、わざとらしくライブ映像が映し出されている。
「ミスト姉さん、何の映像だ?」
アクアベール家の次女は面白眼鏡を取り出してツインテールを振り回している。
姉の行動は考えるだけ無駄だ。無視だ無視。
「うーん何だろう? いろんな人が札を挙げてる。万? 億? 何かの数字?」
モニターから、興奮した実況の声が響き渡る。
『さあ、異世界オークション目玉商品の現在価格は十億ゼニー! 勇者の聖剣に驚愕の値を付けたのは……最前列! アクアベール家の長女、ティア様だぁーー!! 他の参加者が出した五億ゼニーから二倍の額を容赦なく叩き付け、全く寄せ付けなーい! さて、ここで前半は終了だ! 勇者の娘が聖剣を取り戻すかぁー!? それとも別の参加者が聖剣を手に取ってしまうのか!? 後半も乞うご期待!』
映っていたのは、ミストやマリンと同じ水色の髪と紫色の瞳を持った少女だった。
水色の髪をポニーテールにして、紫色の瞳は冷たく鋭い。
「なんでティアちゃんが? 買い物に行くって言ってたとは思うけど」
やっぱりか。一番居てほしくない場所にアクアベール家の長女を発見してしまった。
「買い物って、オークションかよ! 行くぞミスト!」
「行くってどこへ!? それより私お腹減ったんですけど!」
頼むから、空気読んでくれ。こっちは、オマエの腹ペコ属性に付き合って暇は無いんだよ!
「後でいくらでも作ってやるから! とりあえず、ティア姉さんを止めないと!」
「え~、お腹が減って力が出ないよう」
「とりあえずこれ食っとけ!」
マリンの部屋に落ちていた、よく分からないお菓子をミストの口にねじ込んだ。チョコやマシュマロ、クッキーが混ぜられたザ・ハイカロリーなお菓子である。もぐもぐタイムを一瞬で終えたミストは、すぐに元気になった。単純すぎて泣けてくる。
「よし、準備OK! オークション会場に行けばいいんだよね?」
「そうだ、早く案内してくれ」
「ごめん、道分からないや」
本当に期待を裏切らないアホお姉様だ。
「頼りないな、お姉様!」
「でも大丈夫、ティアちゃんの匂いを辿れば着くと思うから。レッツゴー!」
怖いことを言う変質者に先を行かせて、俺たちは屋敷を飛び出した。
王都の目抜き通りへと駆け出すが、ミストが犬のように道を這いつくばって進むせいで進度は遅い。
何事かと周囲の注目を集めていて恥ずかしいが、背に腹は代えられない。
試しに聞き込みもしてみたが、オークション会場の場所は誰も知らなかった。秘匿されているらしく、ライブ映像は見られても一般公開はされていない。道行く人たちは誰も知らないようだった。
「まだか!?」
「うーん、もう少し掛かりそう。あと五分?」
「二度寝したい朝の気分じゃ困るんですが! 早くしないと生活費が」
焦る俺たちの頭上を、大きな影が覆った。
「お兄ちゃんたち~、何やってるの~? 早くしないと、ティア姉のブラックカードでたくさん買っちゃうよ?」
見上げれば、豪華な魔導船が優雅に空を滑っていた。
「マリンちゃん!? その船どこから!」
「日本には良い言葉があるよね? 能ある鷹は爪を隠す。身内にも手札は隠しておくものだよ。お兄ちゃんに私のカードが奪われちゃったのは痛いけど、本命はティア姉のオークションだからさ。早くしないと、お金使い込んじゃうよ? 会場で待ってるから早く来てよね! ばいば~い★」
マリンは余裕たっぷりにティーカップを掲げ、こちらを見下ろして手を振っている。
魔導船が加速し、一気に遠ざかっていった。
呆然としていた俺をよそに、ミストはジッと魔導船が向かう先を目で追っていた。
「OK、商業区の方だね」
ミストは瞬き一つせず、一点を見つめ続けている。
「わかったのか?」
「もちろん。私は体が特別頑丈に生まれてきたからね。魔力がない分、五感も意味不明なくらい超人だからさ。貴族の家っぽいけど、魔力で結界が張ってある。でも私には関係ないから安心してよ、弟くん」
妹はどこまでも俺をコケにしたいらしいが、ついにオークション会場を突き止めた。
「付いてきてよ、ソウタ」
ミストは地面を踏み鳴らして、家屋の屋根に飛び乗った。最短距離を最速で駆け抜けていく。
俺も後から追っていくが、付かず離れず距離を一定に保ち続けるだけで精いっぱいだ。
それでも、なんとか喰らい付く。
「いいね、ソウタ君。スピード上げるよッ!」
まだ上がるのかッ!? ヤバい! と思う前に限界まで脚に力を込める。
すると不思議な事に身体の中で何か熱いものが脚に集まり始めた。
無我夢中で走り続けた結果、ミストに追いつく。
「やっぱり、さすが私の弟くんだ。異世界に来てすぐに身体強化の魔法が使えるなんて。でもね?」
すぐ隣を走っていた姉が消えた。
「姉に勝つなんて、百年早い」
さらに距離を稼がれた。
いつまで経っても追いつくことなく、どんどん距離が離れていく。
息を切らしながら目で姉を追い続けると、既に目的地に到着したらしくミストが止まっていた。
「おつかれ、ソウタ君。でも、まだまだだね」
姉は少しも息を乱さず、八重歯を覗かせていた。満足したように俺を見ている。
俺は地面に倒れ込み、天を仰いだ。




