たとえ差し違えてでも
「あ、あんたねえッ……、寒空の下に、パジャマ姿の私を数十分放置して……! 今の今までッ、どこに行ってたのよ!!」
殴る。ただひたすらに、私は自分の相棒をぽこぽこと殴りまくる。
拭いきれない未知なる恐怖をどうにか掻き消したくて、声にならない声を絞り出しながらムサシを殴打する。
当の本人は何も言わず、表情すら変えず、ただ主人にされるがままの犬みたいになっていた。
「おまけに変なのに絡まれるしッ、し、しかもいろいろ触られたしッ!! あ……!あ、あのまま、殺されちゃうかと思ったんだからあ!!」
「だが、すんでのところで助けただろう? 最も適した瞬間、且つ華麗にな」
「格好良く助け出すタイミングを伺うなあ!!!」
「駄目か?」
ぼこお!と、ここまでで一番強い拳をムサシの腹筋辺りにクリーンヒット。
まるで鉄板を殴ったかのような感覚で、なんとも涼しい顔をしているのが腹立たしい。
その上こっちの手が痛くなってきて、それが苛立ちに拍車をかけるのだ。
「そ、それに、えっと、それに……!」
これまでの人生で経験した事のない恐怖が極限を越えた時に、脳裏に浮かんだ顔は誰だったか。私は誰の名前を呼ぼうとしていたのか。
「なんで! ……よりによって、アイツの……!」
——春野蒼太。
中性的な顔立ちにくっきりとした二重。身長はやや低くて痩せ型。
いつもへらへらしてて。情けない表情を浮かべながら頬を掻いてるようなヤツで。
他人に興味が無さそうなくせに意外と人を見ていて。
わざわざ言わなくてもいいような、余計な事を言って私の調子を狂わせる。
本当に腹の立つ男。
親友の茉瑠奈が大好きだった男。
そして、茉瑠奈を殺して、私達の楽しかった日常を壊した男。
よりにもよって私は、そんな男の顔を思い浮かべて、そればかりか名前を呼んで助けを乞おうとしていた。
なんて浅ましくて恥ずかしいやつなのだろうか、私は。
込み上げてくるのは、自分への激しい怒りと殺意。そして何より、茉瑠奈への裏切りを行為を平気でしようとしていた事実に対する後悔の念。
できるのであれば、今すぐにでも自分自身を殺してしまいたい。
我が身可愛さに。
茉瑠奈の仇である男の名前を呼ぼうとしていた愚かな自分を、竹刀でぼこぼこに打ちつけて殺してしまいたかった。
「——あ、あぁ、うわあああぁぁぁッ!!!」
混ぜこぜになった、行き場のない感情達を受け入れる事ができなくて。
絶叫に近い声を上げながら、ムサシの分厚い胸元に拳を振り下ろした。
時計台の針は深夜の三時を指している。
当たり前のように人気の無いショッピングモールの広場に、私の荒い息遣いがやたらと鮮明にこだましていた。
「少しは落ち着いたか」
言われてはっとなる。
ムサシの静かだけど力強い一声で我に返ると、自分が大粒の涙を流している事に気がつく。おまけに鼻水まで。
ああ、なんて情けない。
「ごめんね。 ……ちょっと甘えてたみたい」
ムサシの羽織っている黒いぼろ布みたいな服が、ちょうどよく目の前で揺れていたものだからそれでごしごしと顔を拭く。
「お、お前……」
「でも、もう大丈夫。 めちゃくちゃに叫んで、殴りまくってたら、いろいろすっきりしたから!っていうか、殴ってごめん」
そう言って顔を上げると、ムサシは怒ってるわけでもなく、困ってるわけでもなく。ただ静かに私を見据えて立っていた。
「そうか。 ならば、ここからが本題だ。 ……先ほど俺が斬った異形——あれこそが、今後お前が相手取ろうとしている死神だ」
「……死神」
「やり方が少しばかり手荒かったのは謝る。 だが、口であれこれと説明するよりも、体で体験させた方が友恵にとって有効だと思ったからからこそ、あの場に一人で立たせていたわけだ」
悔しいけどムサシの言う通りで。
長々と説明されるよりも、直で体感した方が理解が早いタイプだと自分でも思う。
なるほど。
行き当たりばったりの行動だと思っていたけど、私の事をよく考えてくれていたんだなと少し感心する。
「この時間に、このような人気の無い場所。 女一人立たせておけば、あのような手合いを引っ掛けるのには苦労しないからな」
実際に、目玉がひとつだけの気色悪い死神に絡まれたわけだけど。
体をあれやこれやと弄ってきたあいつは、ムサシに斬られると綺麗さっぱり消えてしまった。
「……死んじゃった死神はさ、さっきみたいに消えて無くなるの?」
「そうだな。 皆一様に、死ねば俺もああなる」
そこでひとつ気になった。
「ねえ。 アンタは死神で、私は契約者?ってやつで……、死神が死んだあと、契約者はどうなっちゃうわけ?」
死神が死んで。
残された契約者のその後がなんとなく気になった私は、素朴な疑問をムサシに投げかけた。
「良い質問だ、友恵。 そこが本題の中で一番の肝であり、お前が知っておかなくてらならない重要な——」
ムサシの言葉を遮るように。
鳥とも、犬とも例えられない、悲鳴にも似た金切り声。
鼓膜にべっとりとこびりつくような、本能的に不快を感じる声が広場全体に響き渡った。
それを耳にしたこちらまで、圧迫感を感じて全身に鳥肌が立つのがわかる。
でもどうする事もできなくて、呆然と聞いているとやがて声は途切れた。
「な、なんなの一体……!?」
声の出所は、大まかに三階フロアあたりだろうか。
「頃合いか」
おずおずと見上げていた私の腰に腕を回すムサシ。
「少し跳ぶ。 掴まっていろ」
相変わらず、こちらの返答なんてお構いなし。
否応なにし私を抱きかかえると、吹き抜けの広場をバッタのように跳んだ。
すとんと着地した場所はやっぱり三階。
人気チェーン店舗が立ち並ぶフードコートエリア。
平日は学校終わりの学生で。土日はファミリー層でごった返す定番の場所。
平和な日常を象徴するような場所が、まさか血に塗れているなんて誰が想像できただろうか。
「……え、な、なにこれ……?」
ムサシの腕から下ろされた私は、そのまま膝から地面に崩れ落ちた。
完全に脚が笑っている。
立ち上がろうにも、どうやったって無理。産まれたての子鹿のように、弱々しく地面を這うことしかできない。
少しでも気を抜けば、股座から液体が漏れ出てしまいそうだった。
きっちりと並べられたテーブルと椅子に血液が飛び散っていて、床には真っ赤で広大な海が広がっている。
その真ん中に、胎児のように背中を丸めた男が沈んでいて。
あれが、先ほどの声の主なのだろうか。
「決して目を背けるな、友恵。 あれは俺が斬った死神の契約者。 ……これが、死神を失った契約者の末路だ」
頭上からムサシの声がする。
けど、その言葉を耳に入れたところで、頭が理解することを拒む。
今は胃からせり上がってくる吐瀉物を、手で口を覆ってこらえるだけで精一杯だった。
「死神を失うと、契約者は全身から血を流して死に至る。 当然、皆一様にだ」
噴き上がる冷や汗が額から頬を伝って顎から滴る。
深夜の寒気の中、冷たくなった汗の筋がいつまでも乾くことはなかった。
「俺が敗れればお前はあのような末路を辿り、無事に雨宮茉瑠奈の仇を討つことができれば、逆に春野蒼太がああなるわけだ。 どの道、血を避けることは不可能」
甘かった。
完全に考えが甘かった。
茉瑠奈の敵討ちなんて、そりゃ口では簡単に言える。でも私は、その先に待っている結末を何ひとつ想像してなかった。
仇を討つ道半ばでムサシを失えば。
あの男のように血の海に沈む最後を迎える。もちろん、逆も然り。
いずれ行き着くであろう先の光景を想像しただけで、気が狂ってしまいそうだ。
なんとも浅はかで、子どもじみた目標を掲げていたのだろうかと痛感する。
「この惨状を目の当たりにして、お前はそれでも春野蒼太の首を討ち取ると言えるのか?」
「……ッ」
仇を討つということ。
春野蒼太を、人を殺すということ。
いくら憎い人間だとしても、その人を大切に想っている人がいる。死んでしまえば悲しむ人だって、いるのだ。
それでも私は、敵討ちをしようというのか。そもそも茉瑠奈はそれで喜ぶのだろうか。
結局は、絶交に近い別れ方をした自分への呵責から解放されたいがための、自己満足なのではないだろうか。
短い時間の中でいろいろなことが起こり過ぎて、答えがまとまるどころか、滅茶苦茶になっていく。
たまらず私は頭を抱えた。
「俺はな、友恵。 辛いことに目を瞑り、平穏な日々を過ごす事が悪だとは思わん。 お前が幸せであってくれれば、それで良い」
「……平穏な、日々」
桜の木がずらりと並んだ坂の下。
私と茉瑠奈の通学路。
待ち合わせの場所には、決まって茉瑠奈が先に立っていて、少し遅れて私が到着して。
程なくして一緒に歩き出す。
登校しながら交わす、他愛のない言葉のやり取り。だけど、それがたまらなく楽しかった。
寒さに弱い私が身震いすると、柔らかい手で頬や手をさすってくれた優しい茉瑠奈。
そんな茉瑠奈の愛らしくて、たまらず抱きしめてあげたくなるような、可愛らしい笑顔が脳裏に浮かんだ。
——ああ。
それを平気で手放して。
挙句に彼女を失った今になって、愚かな自分はようやく思い知る。
あたりまえのようにあった茉瑠奈と過ごす毎日は。
私にとって何にも変え難い、幸せで平穏な、宝物のような日々だったのだと。
そんな幸せな日常を、茉瑠奈の笑顔を奪ったのは誰だったか——。
「……やってやろうじゃない……」
大義名分を並べ立てて、所詮は自分の罪から目を背けたいだけだろう、と。
笑われて、後ろ指をさされたって構うもんか。
確かに、私が茉瑠奈にしてしまった行為を並べれば、春野と同罪なのかもしれない。
けれど、彼女を大切に想う気持ちは紛れもない本物。
この気持ちはだけは誰にも否定させない。
だからこそ。
あの笑顔を奪った罪は命で償ってもらう。
「絶対に討ち取ってみせる……、たとえ差し違えたとしても!」
決意を固めるように。
己を奮起するように、真っ直ぐに言葉を飛ばすと脚の震えが自然と消えた。
「ならばもう何も言うまい。 その悲願成就のために、俺は全力で刀を振るのみ」
静かに笑むムサシが差し出してくれた手を借りて、私はようやく地に立った。
「なに、心配するな。 この俺がいるのだから、差し違える未来など万にひとつもない。 お前を絶対に死なせるものか」
なんて心強い言葉だろう。
安心感があって、こちらを優しく包みこむような言葉が、私に理由のない自信を与えてくれる。
この死神と契約を交わした記憶はない。
だけど、これだけは断言できる。
私の相棒がムサシで本当に良かった、と。
「……ありがとねムサシ。 改めて、これからもよろしく」
少し気恥ずかしい気持ちを乗せながら、私はムサシに右手を伸ばした。
「おう」
それに応えて、私の手を握りしめてくれるムサシ。
握手だ。
行く先に待ってるのが険しい道のりだとしても、二人でならきっと乗り越えられる。
必ず成し遂げることができるはずだと。
目の前の大きな死神を見ていると、何故だか無性にそう思えるから不思議だ。
豪奢な天窓から差し込む月明かりに照らされている私たちの影が、しばしの間ひとつに繋がっていた。
※
結局家に帰り着いたのは、朝日が登り始めた五時過ぎ頃。
ムサシを最大限有効活用して、玄関を通ることなく二階の窓から無事に帰宅だ。
いやはや。
死神にはこんな使い方もあんるだなと感心する。
いやー、便利な生き物だわ。
お母さんとお父さんには、娘の深夜外出がバレてなかったようでほっと胸を撫でおろす。
ここ最近の引きこもり生活に加えて、無断の深夜外出なんて知られようものなら、我が家がとんでもない騒動になるのは必至。
想像しただけで体が震えた。
激動のような出来事の連続で心身ともに疲れ果ててしまった私は、重たいまぶたを擦りながら少し仮眠しようかと、ベットに歩き出すと同時にあるものが視界に入る。
「ん……?」
缶ビール350ml、6缶パック。数にしておおよそ二十。
それが、部屋の隅に積まれているのだからイヤでも眠気が吹っ飛ぶわけだ。
「……ムサシ?」
「ああ、壮観だろう? 俺はこの麦酒がたまらなく好きでな」
床にどっかりと座りこみながら、ムサシは満足げに言う。
違う、そうじゃない。
そんなことを聞いているわけじゃない。
「あんたまさか……、ショッピングモールのスーパーから盗んできたんじゃ」
「無論そのまさかだが、少し語弊があるな友恵。 盗んだのではなく少し拝借しただけだ」
「どっちにしろ、それ立派な犯罪だから!」
どうしよう。
自分の死神が窃盗罪を犯した場合、どんな対応をとればいいのだろう。って、なんでこれなら寝ようとしている時に、訳のわからないことで頭を悩ませなければならないのだ、私は……!?
「お前をあの死神から助け出す前に、これだけの量を運んだのだからな。 なかなかに骨が折れたぞ」
ふう、とため息まじりに腕を組むムサシの表情が達成感に満ちていて。
なんだろう、すごく腹が立つ。
「もしかしてなんだけどさ、大量のこれを運んで往復してたから、助けてくれたのがあのタイミングだったとか……、あるわけないよねー?」
「……む?」
む?じゃない、む?じゃ。
返せ。
ちょっと格好いいかもとか。頼りになるなとか。
あの時、あの瞬間に抱いた私の感情のすべてを返せ。
「なんだっての、アンタは……」
まったくそれにしても。
こんなに感情が忙しく行ったり来たりしてるのはいつぶりだろう。
どっ、と押しよせる精神的な疲労を噛みしめながらも、でも悪い気はしていない。
久しぶりに生きているって感じがする。
そこに関しては、ムサシにほんの少しだけ感謝だな。
——後日。
スーパーの店長さんに、あれやこれやと理由を無理矢理にこじつけてひたすら謝りたおした。
頑張った。
これまでの人生で一番頑張ったんじゃないだろか、というくらい頑張った。
その甲斐もあって警察沙汰にもならず、お金も受け取ってもらえた。
生きてる心地がしないって、こういう時に使うもんなのだろうか……、はあ。




