依頼と報酬
最初にこの言葉を言ったのは誰だったか。
死神喰らいの食事の邪魔をする者には死あるのみ。
あまりにも目撃例の少ない死神喰らい故に、多少の尾ひれと背びれをつけられながらも、この噂は契約者および死神達の中で確かに存在した。
事実、邪魔をした者にあるのは死ぬ事だけ。
それ以上でもそれ以下でもない。
獲物を喰らっている最中に不意打ちをかけた者。軽い世間話を振ってしまった者。敵対グループの襲来を知らせたもの。運悪く指先が微かに触れてしまった者。
その者達は皆一様に死んだ。そして喰われた。
当然、誠次郎にあるのも死ではあったのだが。
多少の顔馴染みであり、これまでにある程度の貸し借りがあった事。
そして何より死神還しの一派である彼は、特別に好機を与えられた。
四方八方。
隙間なく爆弾が敷き詰められた地雷原。
そんな場所に立たされる誠次郎は、死神の覇王の機嫌を損ねない言葉を投じなければならなかった。
「マギアの予言を覆す……だとォ?」
怒りを含みながらも。
死神喰らいは静かに、噛みしめるように言葉を吐いた。
険しい眉間が微かに緩むと、地獄の業火の如き熱を帯びた怒気も揺らいだ。
「ああ。彼の予言を覆すなんて、並大抵の力では不可能なんだ。 ……だから、死神の覇王であるキミの力を貸して欲しい」
——死神の始祖、マギア。
この死神喰らいでさえも、耳にしたことがあるくらいの存在である。
彼の口から紡がれる予言に外れなど無い。全ては彼の予言のままに。
数年前。
興味本意でマギアの捜索及び情報収集を死神ギルドの総力を上げて行ったものの、終ぞ尻尾を掴む事は叶わない。
死神喰らいにとって、これほど屈辱的な事は無かった。
唯一掴めた事とえいば。
マギアと死神還しには何かしらの繋がりがある、という事だけ。
「てェ事はなんだァ? ギルドの配下ではなく、この俺様直々に手を貸せってェのか小僧ォ……。 グハハ、んで、取引の内容ってなァ何だ」
覇王の眼光は鋭く、依然として電流のような殺気を放ったまま。
口角を上げて誠次郎に問う。
「数日前に再誕した日本刀の死神と契約者の殺害」
刃物のような殺気で貫かれても尚、誠次郎は表情一つ崩さずに言い放つ。
張りついたような微笑みを浮かべながら、狭山友恵とムサシへの殺害依頼を。
「……わからねェなァ。 確かに日本刀の死神ってヤツァ、有象無象の中では上澄みレベルだ。 が、テメェほどの実力者なら自分でやりァ良いだろう? わざわざ俺を小間使いにして、高い報酬を払わなくて済むんだぜ?」
「マギアの予言は絶対なんだ。 先ほども言ったように、生半可な力で覆す事は絶対にできない。
——もし覆す事ができなければ、死神殺しである春野蒼太は、日本刀の死神と契約者、狭山友恵に殺されてしまう」
「……あァ?」
死神喰らいは大きく目を見開き、額に青黒い筋を何本も浮き上がらせる。
その様子を見た誠次郎は、どこか満足そうな吐息を漏らした。
「どうやら、君の秘蔵である死神の巫女でさえも、その未来を予知できなかったようだね」
「……その腹立たしい顔を今すぐにやめろ。喰われたくなかったらなァ……!」
死神喰らいにとって。
片手で数えられるくらいしかいない、全幅の信頼を置ける人員。
その中の一人である死神の巫女でさえ、見通す事のできなかった未来像。
しかし、死神の始祖にはそれが視えていた。
あまつさえ、いずれ喰らってやると狙いを定めていた獲物を横取りされるという内容とあったら、死神喰らいの腹の中で怒りがぐらぐらと沸き立つのは必然。
二つの屈辱を、今この瞬間に味あわされたのだから。
緩んでいた覇王の怒りのボルテージは瞬く間に最高潮。
常人であれば、この場から今すぐに消えてしまいたい気持ちになる事だろうが、
「浅からぬ因縁のある蒼太くんを、どことも知れぬ小娘に取られる……、君はそれで良いのかい!? 嫌だ!僕はぜぇったいに嫌なんだ!! さあ、この鬱屈とした世界から抜け出して、僕と共に未来を変えようじゃないか——!!!」
例え一歩先に地雷があろうとも、恐れ無く自分の欲望に従い思いのままに踏み抜く男。それが誠次郎だ。
瞬間。
暴力的な衝撃を纏いながら、死神喰らいは地面を蹴る。その様はさながら、辺り一面を暴風が駆け抜けるが如く。
それと同時に、腕が軽く振り下ろされると、誠次郎の頭は宙を舞っていた。
鮮血の飛沫は小雨のように。
胴体と頭を切り離されても尚浮かべているのは気味の悪い薄ら笑い。
鮮やかな切断面から飛び散る血液が尾を引いて、やがて頭部は死神喰らいの掌の上に、包まれるように着地した。
「図に乗り過ぎだ小僧ォ……、テメェなんざ喰う価値もねェ。 粉微塵になるまで握りつぶしてやるよ」
爆食かつ悪食である覇王に喰らわれる事なく、ただ命を破壊される。それは何にも変え難い、最大級の侮辱に他ならない。
手に軽く力を入れる。だというのに、脆弱な人間の頭部はまるで地面に落下した木綿豆腐のように、ぐにゃりといとも容易く変形してしまう。
およそ人間の人体から発する事が無い音を響かせながら、ぱっくりと開いた脳天から飛び散る脳漿、露わになる脳みそ。
加えられた圧力で行き場を失った眼球が右往左往したのちに瞼から零れ落ちる。
この世界から、諸星誠次郎という存在が消えかけた刹那。
それら全て、胴体も含めて突如発火した。
死神喰らいは舌打ちをひとつすると、その場から大きく飛び退く。
燃え上がる火柱が瞬く間に空間全てを焔で飲み込むと、灼熱の向こうから傷ひとつ無い綺麗なままの誠次郎がゆったりと立っていた。
「……相変わらず面倒くせェ能力だぜ」
「この力は僕が成した罰の象徴。 死ぬ間際の痛みはそのままに、この命が尽きるまで永遠と蘇り続けるんだ。
死にたくても死なせてもらえない、まるで呪いのような力だよね」
呟くようにそう言う誠次郎は、珍しく皮肉めいた笑みを浮かべた。
「そういやァ、大事な報酬の内容を聞いてなかったなァ……。この俺様をこき使おうってんだ。 それ相応の対価は用意してあんだろ?」
八つ当たりのように。
誠次郎を一度殺した死神喰らいの怒りは一旦静まり、打って変わって冷静な口調で問う。
「依頼を受けてくれる気になったのかい?」
「俺はマギアという死神を知らねェ、見た事もねェ。ソイツの予言が外れねェだのなんだの、正直鵜呑みにする気もねェ」
だがな、と死神喰らいは続ける。
「知っての通り、死神殺しとはそれなりの因縁がある。奴がそこらの有象無象に喰われるッてんなら、この俺様直々にマギアの予言ってのを捻じ曲げてやるよ……! まァ、とどのつまりは報酬次第だがな」
どこか気に食わない誠次郎の依頼通りに動くのは正直癪である。
マギアの予言も半信半疑。
だが、何人もの死神とその契約者を喰らってきた覇王だからこそわかる。
目の前に立つ男が、こちらを都合良く動かすための嘘八百並べ立ていないという事を。
——ならば敢えて望み通りに動いてみようではないか。
その末に、マギアの予言とやらの真偽は自ずと視えてくるはずだ、と死神喰らいは考える。
しかしながらこれは依頼。
相応の報酬が約束されなければ受ける事はできない。何故なら、これは遊びではなく生業だからだ。
依頼を断った未来で。
死神殺しが日本刀の死神に殺されてしまうのであれば、それはそれで構わない。
喰らう価値のない男だった。
ただそれだけの事だったのだが、
「——これまでに告げられたマギアの予言を全て君に共有しよう。そして、新たに告げられる予言は逐一伝達する。
君の野望の全容は知る由もないけれど、それを成し遂げるための糧にしてくれればいい」
「ほォ?」
報酬内容は予想の遥か上のも。
とあれば、断る選択肢は自ずと消えた。
「なかなか魅惑的な報酬ではあるが……、テメェはそれで良いのかァ?予言を俺に流している事が死神還しに知れりァ、ただじャ済むわけがねェだろゥがよ」
側から見ればそれは自殺行為に等しい。
事実上、この世の死神と契約者の頂点に君臨する、あの死神還しへの立派な敵対行為を誠次郎が実行しようとしているのだから。
この男を突き動かすものは何か、死神喰らいはふと気になった。
「僕は最初から、彼の一派に加わったつもりはないよ。迷惑な話だけど、勝手に混ぜられただけだ。
それに、君がこの世界をどうしようかなんて興味は無いし、邪魔をするつもりも無い。
ただ彼が、春野蒼太くんが生きていてくれさえすれば、それで良いんだ……!」
まるで蒼太が眼前にいるかのように。
誠次郎は目を細めると、目一杯に伸ばす。
「端的に言えば、これからも彼の生き様を眼に焼き付けたいのさ」
「気色の悪いヤロォだな」
「僕は、僕の欲望のままに生きる。それだけの事。それ以外のあれやこれやは、まったく持ってどうでもいい」
ふ、と恍惚とした笑みを浮かべる誠次郎。
腑に落ちたわけではないが、彼を突き動かす原動力が大まかにわかった。
そして、相も変わらず理解不能な男であり、決して解り合う事のできない男だとも再確認した。
ともあれ、
「……交渉成立だァ。 当日の手筈はオメェに任せるぜ。 言う通りに動いてやるから感謝しろ」
あれだけの報酬を提示されたのだから、ひとまずは依頼を受領した。
「協力感謝するよ、死神の覇王。 それじゃあ、この件については追って連絡しよう」
軽く頭を下げて、満足げな口調でそう言う誠次郎は姿を闇に溶かそうとする。
「——ッと、ひとつ言い忘れてたぜ。 戦とあっちャあ何があるかわからねえ。 ……勢みで死神殺しを喰っちまうかもしれねェが、そん時、テメェはどうするつもりだ」
そんな誠次郎の脚を、死神喰らいの一言が鷲掴みにした。
鈍い音を立てて奥歯を噛み鳴らす。
誠次郎の痩せた体から、どす黒い殺気が一気に噴き上がる。
その様を見た死神喰らいは、鋭い犬歯を露わにするほど口角を上げて嗤った。
「全身全霊で阻止する。 ……例えそれが、死神の覇王であっても、ね」




