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君と過ごした五ヶ月間  作者: スプーン
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7/8

六、

 「―お姉ちゃんの手が、動いたんです。」

 茉莉ちゃんのそんな電話を受けて、俺は居てもたってもいられず病院へ車をぶっ飛ばした。小春ちゃんの手が動いた?自殺してから五年もの間、心臓しか動いてなかったのに?そんな、馬鹿な。車を運転しながら、松春が事故から奇跡の生還を果たした日の出来事を思い出した。

目覚めた松春が事故のことをよく覚えていないというので、まさか記憶障害でも起きているのかと、俺は焦って色々なことを質問した。

 「えっ?えっ?ちょお待ってや。それじゃ、小春ちゃんのことは?」

 「…?」

 松春が目を覚ましたとおばさんから聞いて一緒に病室へ駆けつけた小春ちゃんをちらりと見てから、まさかでも忘れるわけないだろうと何の根拠もないのに決めつけて、何気なく聞いただけだったのに。

 「一之瀬小春!分かるやろ!?」

 「…知ら、ねぇ。」

 そんな答えが返ってきた瞬間、俺は思わず小春ちゃんの方を振り向いた。彼女は茫然とそこに立ちつくしているだけだった。

 医者に聞けば、事故で強く頭を打った後遺症だと言われた。打ちどころが悪ければ本当に危なかった、とも。そしてそれを聞いた松春のおばさんが急変したのだ。

 母子家庭だったこともあり、おばさんの松春への溺愛っぷりはすさまじいものだった。松春も別に反抗することもなく、二人は本当に仲のいい親子で。でもだからこそ、松春があと少しで死ぬところでした、なんて医者から聞かされたものだから、きっと、おばさんの中でなんとか繋ぎとめていた糸が耐えられずに切れてしまったのだ。

 「あんたのせいよ!」

 「ちょ、おばさん何やって…!」

 おばさんは松春が眠る病室から小春を引っ張りだし、人気のない病院の裏庭まで連れ出すと、未だ茫然として視線の定まらない小春ちゃんを突き飛ばした。

 「あんたが…!あんたが、松春をあんなひどい目に合わしたのよ!どうしてくれんのよ!」

 「おばさん、やめぇって!」

 さらにおばさんが小春ちゃんに襲いかかろうとするのを、なんとか止める。おばさんの怒りによる力はとてつもなく強く、油断すればおばさんよりも背の高い俺が後ろに倒れそうだった。

 「聞いたでしょ!松春、もう少しで死ぬところだったのよ!あんた、あんたがあの子と一緒にいなかったら!」

 松春が小春ちゃんと付き合い始めたとき、おばさんはそれはもう自分の娘のように小春ちゃんを可愛がっていたのを知っている。「松春」に「小春」ダブル春コンビね、と茶化したり、小春ちゃんが松春の家に遊びに行ったときは鍋でもてなしてくれたんだと嬉しそうに小春ちゃんが話していた。それがこんなにも豹変してしまうなんて。

 「なんであんたなんかをかばったのよ…!なんであんたがかすり傷で、あの子が重体なのよ!なんで、なんでよ!もういや、消えてよ!あんたの顔見たくない!消えて!」

 おばさんは叫ぶだけ叫ぶと、泣きながらどこかへ走り去ってしまう。それに対し小春ちゃんは病室にいたときからずっと無言で、宙を見つめているだけ。その時の俺はおばさんを追いかけるべきなのか、小春ちゃんのそばにいてやるべきなのか、どうするべきか分からなかった。

 「…小春ちゃん、大丈夫か?とりあえず、家に帰って休んだほうがええ。なっ?おばさんは俺がなんとかしとくから。」

 「…あぁ、はい…。」

 結局、俺は茫然としている小春ちゃんに声をかけただけで、おばさんを追いかけることにした。取り乱しているおばさんが次に何をするのか分からなかったからだ。松春の病室に戻っていたおばさんは、眠る松春の手を握って静かに泣いていた。

 「…おばさん。」

 「…智ちゃん、どうしよう。私、止められなかったの。言ったらだめだって、小春ちゃんのせいじゃないって、大丈夫、すぐに松春はあなたのこと思い出すわよって、そう元気付けてあげなくちゃ、いけなかったのに…。誰かのせいにしないと気が済まなくて…。智ちゃん、私…、どうしよう、あの子のこと傷つけた…!深い傷、負わせちゃった…!」

 「おばさん、小春ちゃんは大丈夫…と思います。あの子、おばさんのことすごい好きだし、おばさんがあんなことを言ってしまったのも、きっと分かってくれると思います。」

 違う。小春ちゃんは大丈夫なんかじゃない。おばさんが言ってしまったことは、きっとおばさんの言う通り心をえぐってしまっている。

 おばさんが落ち着くのを待ってから、俺は小春ちゃんの自宅へと向かった。原付で向かい、小春ちゃんの自宅であるマンションの駐車場に止めて、ヘルメットを抱えたままエントランスへ向かおうとして、なにやらマンションの裏に人が集まっているのに気が付いた。人だかりの中心で「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」と叫び声が聞こえる。その人だかりの中心を覗くまえから、嫌な予感はしていたのだ。

 中心にいたのは、血まみれになった小春ちゃんとと小春ちゃんに必死に声をかける茉莉ちゃんだった。

あの時の判断が正しかったかどうかは分からない。けれど、小春ちゃんの傍についてやることなく、家に帰した結果、彼女はマンションから飛び降りていた。だから、五年経った今も、俺はずっと小春ちゃんと、松春に罪悪感を感じている。


 「お姉ちゃんの手を握っていたら、少しだけ…、少しだけだけど、ぎゅって握り返してくれたの…。医者は半信半疑だったけど、でも絶対に動いたのよ…。」

 「…うん。松春のときみたいに、奇跡の生還が起こるのかも知れへんな。」

 「…起きて、くれるかな、お姉ちゃん。」

 床に座りこんだまま、さらにぎゅっと茉莉ちゃんを抱きしめる。頭をなでて、手を繋ぐ。

 「起きんとあかんやろ。だって、茉莉ちゃん、ずっとずーっと小春ちゃんのこと見守って来たんやから。…起きてくれへんと、俺も困る。」

 昏睡状態の小春ちゃんが五年間もチューブに繋がれ命をつないできたのは、何もかも茉莉ちゃんのおかげだ。金銭面で言えば、海外で働く茉莉ちゃんたち両親の支えもあるが、茉莉ちゃんだってモデルという仕事をこなして、その稼いだお金の大半を小春ちゃんのために費やしている。他にも目が覚めるように小春ちゃんの体を動かしたり、お風呂に入れたり、伸びた髪や爪を切るのも全部茉莉ちゃん一人でやっている。そんな小春ちゃんの世話を焼く茉莉ちゃんを俺もずっと見てきたのだ。茉莉ちゃんと知り合った、小春ちゃんが自殺を図ったあの日から俺はずっと茉莉ちゃんの傍で見てきたのだ。

 だから、茉莉ちゃんが報われないと俺が嫌だ。そして、小春ちゃんが起きてくれないのも嫌だ。いつまでたってもあの時のことを謝れないじゃないか。

 そんな時だった。それから数日たって、松春から連絡がよこされたのは。


 「…おばさんさ、小春ちゃんが自殺したって聞いて耐えられんくなったんやろうな。自分のせいで小春ちゃんを追いこんやって。それで、小春ちゃんから逃げたくなったんやろ。俺や他にも何人か…松春が混乱するから、小春ちゃんのこと絶対言わんといてくれ、て頼まれて…。松春ん家にあった小春ちゃんが写った写真、おばさん全部捨ててさ。」

 その写真を撮ったのも小春ちゃんなんやで、と智芳が説明してくれているが、俺の耳にはほとんど入ってこなかった。今はただ、ベッドで眠る一之瀬の顔をじっと見ていたかった。

 「それと、松春。」

 「……なんだ。」

 「その…、ごめん。」

 「今度はなんだ。」

 「…松春が動けんかったとき、小春ちゃんのこと守ってあげられんくて、ごめん。」

 「…いや…、もうそれだって時効だろ。気にすんな。」

 注射で栄養剤を取り込むだけの一之瀬は、幽霊の時とは違って痩せており、幽霊との時と同じように白い顔をしていた。呼吸器のおかげで呼吸ができており、上下する胸と、ピッ、ピッという電子音だけが一之瀬が生きていることを示していた。

 今、一之瀬の病室には、俺、智芳、そして一之瀬の妹・茉莉しかいない。茉莉と会うのは初めてだ。なにせ、一之瀬は「茉莉は美人だから、惚れられたら困る」と言って会わせようとしなかったからだ。茉莉も俺と初対面なのだが、俺の事をよく知っていた。

 「お姉ちゃん、いつも城戸先輩の話ばかりしてましたから。何が好きで何が嫌いで、数学が得意だけど英語はからっきしだめだって。」

 「こいつ…いらねぇことばっか言いやがって…。」

 「…だから、なんだか初めて会った気がしないです。だから、あの、ちょっと聞いておきたいんですけど…。」

 茉莉は一之瀬に似ているようで似ていなかった。ふわふわした髪、顔立ち、は似ているものの、髪は長いし、背は高いし、泣きぼくろがある。そして何より、無表情だ。

 「…なんだ。」

 「一応確認なんですけど、姉のこと、忘れてたんですよね。本当に思い出したんですか?」

 「あぁ。」

 「…じゃあ、あの、姉の事、本当に好きだったんですか?」

 「茉莉ちゃん、何ゆうてんの?こいつ、見た目は冷たそうな男やけど、小春ちゃんのことは本気で…ほんき…、あれ、本気やったよね?」

 智芳をしばきたくなったが、でもそういう反応が返って来ても仕方ないかもしれない。

 「…言っときますけど、姉は城戸先輩のこと本気で好きでしたよ。城戸先輩の写真コレクションを私に見せびらかして、自分の部屋でもいつも眺めてにやにやするくらいには。正直、気持ち悪かったですけど。」

 「茉莉ちゃん…。」

 「でも姉は、城戸先輩に嫌われているとも思ってたみたいです。それでもいつかは好きになってもらうんだっていつも張り切ってました。」

 (…一之瀬は、ずっとそう思いながら俺と一緒にいたのか。…知らなかった。)

 眠る一之瀬の顔を見て、またズキリと心が痛んだ。

 「…本気で、好きだったよ。こいつから告白されて、それから好きになったけど。」

 

 今年入学してきた子の中に子供みたいな体型だけどかわいい子がいる。そんな噂が2学年の間で広まっていた。俺は全く興味がなかったが、ある日空手サークルの道場で一人練習していたら、そいつが現れた。

 「あ、あの!」

 「…あ?…あ、お前…。」

 ひと目見て、こいつがうわさになっている奴だと分かった。確かに、背が俺の胸ぐらいまでしかなくて、顔立ちのいい、ふわふわした頭で細い体の一年生。

 「あ、あの、私、えと、き、城戸先輩にひと目ぼれしたんです!付き合って下さい!」

 ―それが、一之瀬だった。あとあと聞けば、偶然空手をしている俺を見かけ、それ以来密かに俺が空手をしているところを隠し撮りをしていたのだという。始めは何とも思っていなかったが、別に断る理由もないからと、俺は「おう、」という一返事で一之瀬と付き合うことになった。

 一之瀬は全力でアタックしてきた。全身から「好きです」オーラを放出させ、「城戸先輩、城戸先輩」と犬のようについてくる。人間と言うのは不思議なもので、好意を寄せられたら寄せられた分だけ、自分も相手に好意を抱くことがある。俺も、そうだった。だが、俺は一之瀬のように愛情をストレートに表現できる人間じゃない。というか俺はそもそもそういう方面は苦手だった。だから一之瀬が言いよってきても適当にあしらったり、いつまでも名字で呼び続けたり、「好きだ」なんて言ったことがなかったのだ。

 「…照れくさかったんだよ。だから冷たい態度になって、一之瀬にそう思われても仕方ねぇンだよ。…けど、冗談で付き合ってたわけじゃねぇし、別にこいつのことが嫌いだったんでもねぇ。じゃなきゃ大学時代ずっと付き合ってねーよ。」

 「…そう、だったんですか。…なら、いいです。今も、」

 「今も好きだ。…つーか前よりも…。」

 幽霊である一之瀬と過ごした五ヶ月間。あれから俺は煙草を吸うときは窓を開けるようになった。自炊も、買い物も、洗濯も掃除もちゃんとするようになった。履歴書も書いて、一之瀬がいない間に面接だって受けに行った。今はまだ返答待ちだけど、そこが不採用だったときのために、新しい履歴書も用意し、他の会社だって見つけてある。ちゃんと、前に向かって歩いている。唯一やっていないことは婚活ぐらいだろう。

 ―一之瀬。お前のおかげで俺はやっと動いたぞ。もう、お前にじゃがいもの皮むきが下手だとか、身だしなみをちゃんとしろとか、働けとか、言われなくてももう俺は一人でやっている。…けど。

 「…けどな、婚活なんか、ぜってぇしてやらねぇぞ。」

 一之瀬の小さい手を、両手でぎゅっと包み込む。

 「…松春?」

 「俺が倒すのは面接官だけで十分だ。それにあの特等席だって、他の誰にも座らせねぇ。」

 「松春、お前さっきから何の話してるんや?」

 「最近家に帰ってもよ、静か過ぎて居心地悪りぃんだよ。いつもガキみたいにはしゃいでいて、犬みてぇに「松春さん松春さん」って言ってきて、俺の母親みてぇに世話やいて、天然で、笑って、叱って、言い争ってまた笑ってくれる奴がいねぇから。」

 ―だから、どうか。どうか目を開けてくれ。一之瀬がいなくなって一週間、俺にとっては長すぎる。もうあの家で一人で料理作るのも、ゲームするのも、自己PR考えるのも辛いから。静か過ぎて、辛いから。

 一之瀬の手握ったままコツン、と額に手を当てて、泣きそうになるのをなんとかこらえた。どうしようもなく辛いのだ。打てば返ってくるような、そんな相手が傍にいて欲しい。それは、一之瀬以外ありえない。だから、どうか―。

 「…お姉ちゃん…?」

 ぽつりと、茉莉の声が病室に響く。

 ぴくりと、何かが動く。

 ―ありがとう、なかなか面白かったわよあなたたちのドラマ。

 どこからともなく聞こえてきた声に思わず「えっ。」と顔を上げるが、そこには俺と智芳、茉莉以外誰もいない。

 「今度はどしたん?」

 「いや、今誰かの声が…。」

 「…ねぇ、お姉ちゃんが…。」

 ―目を開けてる。

 「…。」

 「…一之瀬?」

 さっきまで眠っていたはずの一之瀬の目が、開いている。天井を見たまま、涙を流して。

 「…お姉ちゃん?」

 「―一之瀬。」

 俺と茉莉の声に反応し、ゆっくりと一之瀬の視線がこちらへ向く。そして、ぴたりと、目が合った。

 「…私、ずっと、松春さん、って呼んでみた、かったんです…。」

 五年間ずっと話していなかった一之瀬は、舌っ足らずだが、懸命に口を開いた。

 弱弱しいけれど、俺の手をぎゅっと握り返す一之瀬の手。さっきまで冷たかったのに、じわりじわりとそのぬくもりが伝わってくる。

 「いち、のせ。」

 「こんにちは、松春さん、あ…、久しぶり、の方がいいの、かなぁ。」

 今度こそ、俺は涙があふれるのを抑えることが出来なかった。

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