三、
「長い。」
「……。」
「長い長い長い、長過ぎます。」
季節は春が過ぎ、世間ではやれ梅雨だ台風だと騒がしい。ミレイが来てからもう二月が経とうとしている。今日もまた、目を覚ますとミレイがいつもと同じようにビーズクッションに座って(浮いて?)いた。窓を開け、外に向かって朝の一服を済まし、パンをオーブンで焼いて食べていると、ぶつぶつとミレイがそうつぶやいた。
「…何がだよ。」
一人暮らしだった二月前と違い、ミレイがいる生活にだんだんと慣れてきた。最初は何度も「まだいたのかよ」って驚いたりうんざりしていたけれど、それもなくなった。あれから何度かミレイと喧嘩をし、俺が数日家に帰らないこともあったけど、いざ帰ってみるとやっぱりミレイはいつもの場所にいて何事もなかったように「おかえり。」と言い、そして「働け。」とも言った。少しばかり嬉しく感じたのが、一気に冷めた。
ミレイはふわ~と俺の方へ寄ってきて、ビッと俺の頭を指差した。正確にいうと、髪を。
「髪、長過ぎます。前はそんなに長くなかったじゃないですか。」
「だからなんでテメェ俺のこと知って、」
「切りに行きましょう。」
「…あン?」
「ほったらかし過ぎです。それじゃあ履歴書用の写真撮れませんし、女性受けが悪いと思います。」
ミレイに言われるがままヤッホーワークに登録し、ミレイとあれやこれや言い合いながらもいくつかの企業に目星をつけた。正直言って、自分でも驚いている。前はあんなにやる気が出なかったのに、今じゃミレイに言われるがままとはいえ少しずつ前進している自分に。だらだらしていた俺の尻をたたくおかん、みたいな。気に入らないがそれが助けになっているのも事実だ。
そして次に俺がやらなければならないことは履歴書だ。俺にとって面接よりも履歴書のほうが厄介だ。なんだよ長所って。なんだよ自己PRって。そんなもん自分じゃ分かんねーよ。
ミレイに指摘されて洗面台に立ってみると、確かに髪一つに結べるくらい伸びている。もう何ヶ月も髪の毛を切っていないから当たり前だが、以前茶色に染めていたものも、もう毛先以外は黒くなっている。
「…それに、勝手にスーツを見させてもらったんですけど。」
「またお得意の覗きかよ。」
「扱いが雑すぎますよ。あちこち虫に食べられてます。押し入れの中の防虫剤、もうとっくに効果切れてますから!それに松春さん、前より痩せちゃってますから、サイズも合わないんじゃないんですか?」
「…で?」
何となく先は予想できるが、とりあえず聞いてみる。ミレイは腰に手を当ててなぜか自信に満ちた顔をしてこう言い放った。
「今日やることその①、美容院に行く。その②、新しいスーツを買いに行く。その③、明日の晩ご飯を買いに行く+防虫剤を買いに行く。…はい、決定。拒否権なし、さ、服着替えてください。」
ミレイが言っていることは癪に障るが確かに正しい。いずれ面接を受けるときに今の外見じゃまずいので、黒いTシャツにジーンズというラフな格好で俺は近所の美容院へ向かった。予約もせず向かったのだが、運よく空いていてすぐにカットしてもらえることになった。
「今日はどうされますか?」
「あーとりあえずカットで…。」
「どのくらいまで切ります?結構伸ばされてますけど…。」
「松春さん、松春さん、そこの雑誌の表紙の人ぐらいまでガッツリ切ってもらいましょうよ!」
椅子に座る俺の周りを漂っていたミレイが、楽しそうに「これですこれです」とカット台に置いてある雑誌を指差す。ベリーショートのようだが、もうこの際なんでもいい。要望も特にないので、その雑誌を手にとって「この人ぐらいで。」と美容師に告げた。
―それから一時間後。
「ありがとうございましたー。」
肩まで伸びていた俺の髪はすっかり短くなっていた。ワックスで少し髪の毛がはねるようにしてあるが、それを見たミレイはかなり満足したようだ。
「…なんつーか、首がスースーする…。」
「かっこいいですよ!松春さんはやっぱりロングじゃなくてベリショが似合います!」
「そりゃ、どうも。」
褒められて悪い気はしないのだが、ちょっと照れる。でも長かった前髪もバッサリ切ったので視界も良好だ。髪を切ったのは正解だった。
「さっ、次は〝スーツの秋山″に行きますよ!」
〝スーツの秋山〟までは家から少し距離があるのでバイクで行くことにした。このバイクはミッション仕様で大学生のときにアルバイトをして買ったお気に入りの相棒だった。久しぶりに動かすが、エンジンをかけてふかしてみると勢いよくエンジン音が響く。
「うわ~、後ろに乗ってもいいですか?」
「…お前、乗れんの?」
「できるできないじゃありません。乗るんです。」
ヘルメット…はミレイに必要はないか。バイクにまたいでちらっと後ろを振り向いてみると、ミレイは嬉しそうに笑って横向きで座っている(ように見えた)のでつられて口元が緩んだ。エンジンをふかし、久しぶりにバイクを道路に走らせる。
(形だけだが、)バイクで2人乗りなんて大学生以来久しぶりだ。以前もよくこうやって誰かを後ろに乗せて出かけた気がする。
(…誰を乗せたんだっけ…。大体同じ奴が後ろに乗っていた気がするんだけど…。)
誰かを乗せたのは覚えている。けど、そいつが誰だったか思い出せない。いつも、…そう、俺は休日によく遠出してて、その出かけるときに誰かが自分も行くから乗せてくれと言ってきた。けど、俺は面倒で、なぜかそいつを乗せるのが恥ずかしくて、言い合いになった。別に誰だっていいのだが、思い出せないとそれはそれで気になってくる。
結局誰だったのか思い出せないまま、〝スーツの秋山〟に到着した。
「いらっしゃいませ!」
「うわ~すごいすごい、スーツたくさんありますね!」
「(小声で)そりゃ専門店だから当たり前だろ…。」
「お客様?何かございましたら遠慮なくお呼び下さい。」
「あー、すいません、ちょっとサイズ測ってもらいたいんすけど。」
大学を卒業して、俺の体力は落ちていた。それに最近までまともに食事をしていなかったせいで、ミレイの言う通り確かに俺は痩せていた。だからまず、自分のサイズを計測してもらい、それに合うスーツのコーナーを見てみた。そしてここでもミレイと俺のセンスをかけたスーツ論争が起こる。いざ、スマホを耳に当てて応対する。
「絶対コ・レ・で・す!ストライプは乙女のキュンキュンポイントなんですよ?これなら絶対にモテますから!ハーレム作れますから!」
「別にスーツにそんなポイントいらねぇよ!別に婚活しに来たんじゃねぇし。独り身に対する嫌みか?普通でいいんだよ、このグレーのでいい。」
「ならなおさらですよ、婚活含めての就活ということで!あと松春さん、それおじさんみたいですから。このストライプのにしましょう。純白ホワイトのYシャツに爽やかブルーのネクタイを合わせればもう最強です。」
「なんで戦隊レンジャーみたいになってんだよ。俺は一体何を倒しに行くんだ。」
「素敵女子と面接官です。」
それから小1時間かけてスーツを買い、スーパーで食材と防虫剤、消臭剤(煙草の匂い対策に買っとけと言われた)を購入し、ようやく俺は家へ帰った。今日の晩ご飯はさんま、味噌汁、かぼちゃの煮付けだ。また、ミレイともめるだろうが、もうそれは日常茶飯事となっていた。最近、ミレイとのやり取りが心地いい。そりゃ本気で腹の立つこともあるけれど、以前とは全く変わってきている。
以前は、それはもうミレイがうっとおしく、相手にするのも疲れて何度出ていけ、出ていきませんと言い合いをしたことか。けど、今はおかん的ポジションに加え、ミレイに対して何か別の感情が自分の中に芽生え始めていることをひそかに感じていた。それは多分、見知らぬ幽霊から家族的存在にランクアップしているのだろうと、この時の俺はそう思うことにした。




