第4話 初めての実戦
「そこだ!」
アランは地面を蹴り、木剣を振り下ろした。
しかし、その一撃が届くことはなかった。
レオンハルトはわずかに身体を傾けると、アランの剣を軽く受け流す。勢い余ったアランの身体が前へ流れた。
「まただ……!」
「力みすぎだ。剣を振ることばかりに意識を向けるな」
「分かってるよ!」
「分かっている者の動きではなかったがな」
レオンハルトの淡々とした返答に、アランは頬を膨らませた。
今日もまた、一本も取れなかった。
何度挑んでも、レオンハルトには届かない。攻撃を仕掛けても簡単にかわされ、隙を突こうとしても、気づけばこちらが体勢を崩している。
「くそー……。もう少しだったのに」
「そうか?」
「そうだよ! 今のは結構いいところまでいっただろ!」
「確かに、以前より踏み込みは鋭くなった。剣の振りも安定してきている」
「本当か?」
「ああ。お前は確実に強くなっている」
その言葉に、アランの表情が少し明るくなる。
だが、すぐに視線を落とした。
「でも、師匠にはまだ一本も取れない」
「焦る必要はない。今のお前に必要なのは、目の前の課題を一つずつ乗り越えることだ」
レオンハルトはそう言って、アランの頭に大きな手を置いた。
「いつか師匠の隣に立てるくらい、強くなりたいんだ」
「……そうか」
「それに、いつまでも師匠に守られてばかりじゃ嫌だからな!」
アランは顔を上げ、まっすぐにレオンハルトを見つめた。
骸骨の顔から表情を読み取ることはできない。それでも、アランには師匠がどこか優しく見えた。
「ならば、鍛錬を怠るな」
「もちろん!」
そう答えたアランだったが、胸の奥には小さな焦りが残っていた。
もっと強くなりたい。
師匠に認められたい。
そして、いつか本当に隣に立ちたい。
その思いは、アランの中で日を追うごとに強くなっていた。
*
昼を過ぎた頃。
レオンハルトが家の中で作業をしているのを確認すると、アランはそっと外へ出た。
腰にはいつもの剣を携えている。
「ちょっとくらいなら大丈夫だよな……」
誰に言うでもなく呟き、森へと足を踏み入れた。
師匠には内緒だ。
自分の実力がどれほど通用するのか、確かめてみたかった。
いつも修行している場所から少し離れ、木々の間を進んでいく。
すると、不意に視線を感じた。
アランが顔を向けると、少し離れた木の陰に一匹の魔物が立っていた。
黒白色の毛並み。狐によく似た姿。そして、額には小さな模様がある。
「お前、前に会ったやつだよな?」
アランは警戒する様子もなく、小さく手を振った。
魔物はしばらくアランを見つめていたが、やがて木々の向こうへと姿を消した。
「……何だったんだ?」
首を傾げたものの、アランはすぐに気を取り直した。
今は自分の実力を試すことが先だ。
さらに森の奥へ進んでいく。
そのときだった。
ガサッ。
茂みが揺れ、緑色の小さな影が飛び出してきた。
「ゴブリンか!」
現れたのは、粗末な棍棒を持ったゴブリンだった。
ゴブリンはアランを見つけると、耳障りな声を上げながら襲いかかってくる。
アランは一瞬だけ身構えた。
これが初めての実戦だ。
木剣ではない。本物の剣を使った、命のやり取り。
緊張で手のひらに汗が滲む。
それでも、足は動いた。
ゴブリンの棍棒を横にかわし、身体の軸を崩さずに剣を振るう。
刃がゴブリンを捉えた。
短い悲鳴を上げ、ゴブリンが地面に倒れる。
「……や、やった!」
アランは自分の剣を見つめた。
初めて、自分の力で魔物を倒した。
胸の奥から熱いものが込み上げてくる。
「よし! これならいける!」
その後も、アランは森の中で何体かのゴブリンと遭遇した。
最初こそ緊張していたものの、修行で身につけた足運びや剣の扱いを活かし、次第に落ち着いて対処できるようになっていく。
攻撃をかわし、隙を見つけて斬る。
レオンハルトとの修行で繰り返してきた動きが、確かに実戦でも通用していた。
「なんだ、結構やれるじゃないか!」
いつしか、アランの中に余裕が生まれていた。
最初に感じていた恐怖も薄れ、もっと強い魔物と戦ってみたいという気持ちが湧き上がる。
「もう少し奥まで行ってみるか」
その判断が、どれほど危険なものだったのか。
アランはまだ知らなかった。
*
森の奥へ進むにつれ、周囲の空気が変わっていった。
木々は一層密集し、足元には折れた枝や踏み荒らされた草が目立つ。
そして、鼻をつく獣臭さ。
「……何だ、ここ」
アランが周囲を見回した、そのとき。
ズシン。
重い足音が響いた。
木々の向こうから現れたのは、一体のゴブリンだった。
しかし、これまで遭遇したものとは明らかに違う。
通常のゴブリンよりも一回り以上大きな身体。全身には古い傷跡が刻まれ、手には巨大な武器が握られている。
その目には、獲物を見定めるような鋭さがあった。
「……でかい」
アランは思わず息を呑んだ。
相手はゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
その動きには無駄がない。単に身体が大きいだけではないことが、ひと目で分かった。
「まさか……こいつ、特殊個体……ユニークモンスターなのか!?」
レオンハルトから聞かされていた知識が頭をよぎる。
通常の魔物とは異なる特徴や能力を持ち、時には熟練の冒険者でさえ苦戦する存在。
目の前にいるのは、間違いなくその類の魔物だった。
「くっ……!」
アランは剣を構え直した。
逃げるべきだ。
頭では分かっている。
だが、ここまで来て何もできずに逃げるのは悔しかった。
それに、相手がどれほど強くても、自分がどこまで通用するのか試したい気持ちがあった。
「やってやる……!」
アランは地面を蹴った。
ゴブリンソルジャーが巨大な武器を振り上げる。
その動きを見極め、アランは攻撃をかわそうと身体を沈めた。
しかし、相手の動きは想像以上に速かった。
「うわっ!」
振り下ろされた武器が地面を砕く。
土と小石が飛び散り、アランは間一髪で横へ飛び退いた。
「危なっ……!」
間髪入れずに、アランは反撃に移る。
剣を握る手に力を込め、相手の懐へ踏み込んだ。
だが、ゴブリンソルジャーはそれを読んでいたかのように武器を動かす。
ガキィン!
剣が弾かれた。
「なっ!?」
直後、巨大な武器が横薙ぎに振るわれる。
「ぐあっ!!」
まともに受けたアランの身体が宙を舞った。
地面に叩きつけられ、何度か転がる。
「かはっ……!」
肺の空気が押し出され、息がうまく吸えない。
全身に激痛が走る。
立ち上がろうとするが、腕に力が入らなかった。
「くそ……強すぎる……!」
ゴブリンソルジャーはゆっくりと近づいてくる。
その姿は、まるでアランの抵抗など何とも思っていないかのようだった。
それでも、アランは剣を手放さなかった。
師匠との修行を思い出す。
何度も繰り返した踏み込み。
剣を振る角度。
そして、教わった一つの技。
「……まだだ」
アランは震える足に力を込め、なんとか身体を起こした。
ゴブリンソルジャーが武器を構える。
今度こそ、まともに受ければ終わりだ。
ならば、こちらから仕掛けるしかない。
「一閃……!」
地面を蹴る。
一瞬で間合いを詰め、全身の力を剣先へと乗せる。
鋭い踏み込みから放たれた斬撃が、ゴブリンソルジャーの身体を捉えた。
「グォッ!?」
魔物の身体がわずかに揺らぐ。
ほんの一瞬。
それでも、確かに怯ませることができた。
「当たった……!」
アランの顔に、わずかな希望が浮かぶ。
しかし――
次の瞬間、ゴブリンソルジャーの巨大な武器が唸りを上げた。
「しまっ……!」
反応が遅れた。
強烈な一撃がアランを襲う。
「ぐあああっ!!」
再び身体が吹き飛ばされ、地面に転がった。
今度は剣を握る手さえ、ほとんど動かせなかった。
「はぁ……はぁ……」
視界が揺れる。
身体が重い。
どれだけ力を振り絞っても、立ち上がれそうになかった。
ゴブリンソルジャーが近づいてくる。
巨大な武器を持ち上げ、倒れたアランを見下ろした。
「……まだ、終わってない……」
そう呟いたものの、身体は動かない。
修行でどれだけ鍛えても、実戦には違う厳しさがある。
自分がどれほど未熟だったのか。
今になって、痛いほど思い知らされていた。
ゴブリンソルジャーが武器を振り上げる。
アランは歯を食いしばった。
――師匠。
心の中で、その名を呼んだ。
そのとき。
「アラン!!」
聞き慣れた声が、森に響き渡った。
ゴブリンソルジャーの武器が振り下ろされる寸前。
一つの影がアランと魔物の間に割って入った。
「まったく……少し目を離せばこれだ」
そこに立っていたのは、レオンハルトだった。
いつもの穏やかな雰囲気とは違う。
その佇まいには、冷たく張り詰めた空気が漂っていた。
レオンハルトはアランを背に庇い、目の前のゴブリンソルジャーを見据える。
そして、腰に佩いた装飾騎士剣へと手を添えた。
「師匠……」
アランはかすれた声で呟いた。
レオンハルトは振り返らない。
ただ、目の前の敵から視線を外すことなく、静かに告げた。
「ここからは、私に任せろ」
森に、再び静寂が訪れた。




