第二話 森の奥の小さな冒険
「アラン、今日は森の入り口付近で薬草を採ってきてくれ」
朝食を終えたあと、レオンハルトはそう言って、小さな籠を差し出した。
「薬草? また?」
「また、だ。いくらあっても困らんからな」
「分かったよ。すぐに集めてくる!」
籠を受け取ったアランは、元気よく立ち上がった。
「ただし、森の奥には入るな。いつも言っているだろう」
「分かってるって。入り口の近くだろ?」
「本当に分かっているのか?」
「分かってるよ、師匠!」
アランは笑いながら家を飛び出していった。
その背中を見送り、レオンハルトは小さく息をつく。
「……まったく。元気なのは良いことだが」
そう呟きながら、彼もまた自分の仕事に取りかかった。
*
森の入り口付近には、薬草がいくつも生えていた。
アランは籠を片手に、地面を眺めながら歩いていく。
「これと、これ……あとはこっちかな」
薬草を見つけるたびに摘み取り、籠へと入れていく。
しばらくすると、必要な量は十分に集まった。
「よし、これくらいあればいいだろ!」
満足げに籠を持ち上げた、そのときだった。
「……ん?」
かすかな物音が聞こえた。
草むらの向こうから、何かが動く気配がする。
気になったアランが近づいてみると、そこには小さな生き物がうずくまっていた。
赤茶色の毛並みに、大きな耳。ふさふさとした尻尾。
見た目はキツネに似ているが、額には小さな紋様が浮かんでいる。
どうやら魔物のようだった。
「お前、どうしたんだ?」
小さな魔物は、アランを見るなり身をすくませた。
よく見ると、前足に傷を負っている。
「怪我してるじゃないか」
アランが手を伸ばすと、魔物は警戒するように後ずさった。
「大丈夫だって。何もしないよ」
できるだけ優しい声で話しかける。
しかし、魔物はアランの手を避けるように立ち上がった。
その瞬間、傷ついた前足が痛んだのか、小さく鳴き声を上げる。
「おい、無理するなよ!」
アランが近づこうとしたとき、魔物は身を翻して走り出した。
「待てって! 怪我してるんだろ!」
アランは慌ててその後を追いかけた。
魔物は小さな体を活かして、木々の間をすり抜けていく。
アランも負けじと追いかけるが、気がつけば周囲の景色が変わっていた。
木々は深く生い茂り、足元の草も背丈を増している。
「……あれ?」
そこでようやく、アランは足を止めた。
森の入り口から、かなり離れてしまっていた。
「まずいな。師匠に怒られる……」
そう思いながらも、魔物の姿を探す。
すると、少し先の木々の間に、小さな赤茶色の尻尾が見えた。
「あそこか!」
アランが近づくと、魔物は大きな木の根元で立ち止まっていた。
その向こうには、見慣れない石碑が立っていた。
古びた石の表面には、文字とも模様ともつかない不思議な紋様が刻まれている。
「なんだ、これ……?」
アランは魔物のことも忘れ、石碑へと目を向けた。
長い年月を経ているはずなのに、そこには不思議な存在感があった。
そっと手を伸ばし、石碑の表面に触れる。
その瞬間。
石碑に刻まれた紋様が、淡く光を放った。
「うわっ!」
驚いて手を離す。
光はほんの一瞬で消え、石碑は何事もなかったかのように静まり返った。
「今の……何だったんだ?」
アランはしばらく石碑を見つめていたが、やがて小さな魔物のことを思い出した。
「あっ、そうだ。お前の怪我!」
振り返ると、魔物は少し離れた場所からこちらを見ていた。
警戒心はまだ解けていないようだ。
「……今日はもう追いかけないよ」
アランは両手を上げて、敵意がないことを示した。
魔物はしばらく彼を見つめたあと、森の奥へと姿を消していった。
「またな」
アランは小さく手を振った。
そして、ようやく自分が森の奥まで来てしまったことを思い出す。
「……帰らないと!」
*
「アラン!」
森の中に、聞き慣れた声が響いた。
「師匠!」
木々の間から現れたレオンハルトを見て、アランはほっと胸をなで下ろした。
レオンハルトはアランの姿を確認すると、すぐに近づいてくる。
「怪我はないか?」
「うん。大丈夫だよ」
「本当に?」
レオンハルトはアランの肩や腕を確かめるように見た。
「どこも怪我してないって」
「……そうか」
その言葉を聞いて、レオンハルトはようやく安堵したように息をついた。
だが、すぐにその声が厳しくなる。
「森の奥には入るなと言ったはずだ」
「ごめん……。怪我した魔物がいて、それを追いかけてたら、いつの間にかここまで来ちゃって」
「理由があれば約束を破っていいわけではない」
「……うん」
アランは素直にうつむいた。
レオンハルトはしばらく黙っていたが、やがてアランの頭に手を置いた。
「お前が誰かを助けようとしたことは、悪いことではない」
「じゃあ……」
「だが、自分の身を守れない者に、誰かを守ることはできん」
アランは顔を上げた。
「分かったか?」
「……分かった。もう勝手に奥には行かない」
「よろしい」
レオンハルトはそう言うと、アランの持っていた籠を受け取った。
「薬草は十分に集まっているようだな。帰るぞ」
「うん!」
二人は並んで森を後にした。
*
その日の夕暮れ。
家の外では、レオンハルトが薪を組んでいた。
「師匠、火をつけるの?」
「ああ」
レオンハルトが片手をかざす。
すると、その手の前に小さな炎が生まれ、薪へと移った。
ぱちぱちと音を立てながら、炎が少しずつ大きくなっていく。
「おおっ! やっぱりすごいな!」
アランは目を輝かせた。
「今のが魔法?」
「そうだ。火の魔法だな」
「剣だけじゃなくて、魔法まで使えるなんて……」
アランは燃え上がる炎を見つめた。
「俺も師匠みたいになりたいな。剣も魔法も使えるようになってさ」
「簡単な道ではないぞ」
「分かってるよ!」
アランは胸を張った。
「でも、できるようになるまで頑張る!」
レオンハルトは、そんなアランを静かに見つめた。
「……そうか」
その声には、わずかな温かさがあった。
「ならば、楽しみにしていよう」
「うん!」
薪が燃える音が、静かな森に響く。
アランは炎を眺めながら、いつか自分もあんな魔法を使えるようになるのだと、胸を弾ませていた。
その夜、森の奥では古びた石碑が、月明かりの下に静かに佇んでいた。
刻まれた紋様は、もう光を放つことはなかった。




