駆け引きと嘘
そう言えばジュンコと再会した日、キャンプに戻って無事を知らせる連絡を入れたとき、安堵でひとしきり泣きじゃくったあとのアリスター博士が気になることを言っていた。曰く俺とジュンコが生まれたあの森は、正確にはギアンサルの母大樹の森、というらしい。
ギアンサル、というのは母大樹の森がある地方の呼び名で、
「ケルベロスの主な生息域は大陸中部の乾燥地帯で、ギアンサル地方では目撃例がなかったはずなのですが……竜族狩り以降個体数が増えすぎて、本来の生息域に縄張りを持てなかったケルベロスが、餌を求めて各地に散らばりつつあるのかもしれません。とすると他の母大樹の森も危険地帯になっている可能性がありますね……母大樹の森には獣狩人もほとんど寄りつきませんから」
という博士の何気ないひと言で、俺はある重大な事実を知った。
そう、このオルンダルゴ大陸には母大樹の森と呼ばれる森が複数あるのだ。俺はてっきり、自分が生まれたあの森だけが唯一の母大樹の森だと思い込んでいたのだが、博士によるとなんと大陸には十二もの母大樹の森が存在しているのだという。
「何じゃ、おんしはそんなことも知らずにひと月を過ごしておったのかえ? さよう、人間どもが〝母大樹〟と呼ぶ樹木は世界に十二本ある。そしてかの木はわしら古代竜のゆりかごじゃ。わしらは皆、前世での生を終えて生まれ直すとき、大地の氣の助けを借りるべく母大樹の下で卵になるからの」
そこにさらなる衝撃的事実をつけ加えたのは、他ならぬジュンコだった。何でもジュンコら古代竜の生まれ変わりを可能にしているのは当人──いや、正しくは当竜か?──の魂の力と、母大樹の森を生み出すほど強大な大地の氣らしい。
そして古代竜がその力を利用し、再び卵となって世に現れると、森にはある異変が起こる。それがケルベロスから逃げる最中、博士が口にしていた〝覚醒〟だ。
「古代竜の卵が生まれ落ちると、わしらの魂と大地の氣が反応して森に大きな影響を及ぼす。要はわしらの氣が大地の氣の流れに乗って、森全体に伝播するのじゃ。すると森の源素のバランスが一時的に変容し、わしらの源素組成の中で最も上位を占める源素が活性化する。ゆえにあの森もほれ、あのとおり、見るも真っ赤に燃えておるのよ。炎の属性を持つわしの魂が長く森に留まっておった影響での」
ああ、そうか。そういうことだったのか。他の森には地球の植物とよく似たものばかり生えているのに、ギアンサルの森だけが奇天烈な色彩を呈していた理由。
そこですべての合点がいった。
あの大樹は古代竜の卵を抱くから母大樹なのだ。
けれどそうなるともうひとつ、新たな疑問が頭をもたげる。
──皇属竜狩猟団。
俺がアゴログンドに生まれ落ちた日、やつらは何故森にいた?
当時俺がその問いを投げかけるとフリーダは、
「陛下に献上する竜を探し、捕らえるためだ」
と答えたけれど、やつらは剣や弓といった武器の他には、ケージやリードといった捕獲用の道具は何も携えていなかった。
ならばあのときのフリーダの答えは真実だったのか? 当時も覚えた疑問が再び強烈な存在感を主張して、心臓のあたりで跳ね回っている。
だって、もし。もしもだぞ。
俺のこの予感が当たっていたら──フリーダたちが探していたのは飼育用の竜などではなく、炎王竜たるジュンコであったなら。
そう考えれば俺が森の卵の話をしたとき、ギゼルが異様な食いつきを見せたのにも納得がいく。森が赤く染まった時点で、あそこにジュンコの卵があることは周知の事実だったわけだからな。
「どうした。何か思い出したのか?」
と、刹那、跪いた俺の頭に玉座から声が降ってくる。
フーヴェルオ・ブリッグズ・メアレスト三世。
やつは先代の狂人皇帝ゲオウェクス二世の息子であり、そんな男が竜族の救済を謳い出すなんて信じられないとジュンコは言った。おかげで俺まで考えてしまう。
もしもあの日、フリーダたちが森にいた本当の理由がジュンコだったら?
やつらはジュンコを見つけてどうするつもりだった?
前世のジュンコへの凶行を詫び、和睦を申し入れるつもりだったとか?
ああ、どうかそうであってくれ。間違っても、生まれたてで古代竜としての力を存分に発揮できないジュンコを殺すためだった、なんて答えは聞きたくない。
「……ジュンコ、」
と、俺は疑問への答えを求めて、思わず背後に控えるジュンコを顧みた。
そしてすぐに息を飲む。何故なら人の姿を取り、俺たちを真似て床に膝をついたジュンコの顔面が見るからに蒼白だったからだ。
おまけに額にはびっしりと珠のように浮かんだ脂汗。あの様子は只事ではない。
あからさまに顔を伏せてフーヴェルオを見ないようにしているし、隣で跪いたイヴもまた、尻尾を体に巻きつけて見るからに怯えた顔をしているし。
「その子供がどうかしたのか?」
と、そんなふたりの様子に気を取られた俺の背に、再びフーヴェルオの問いかけが降ってくる。ゆえに俺は玉座へ向き直り、考えた。
それはほんの数瞬の沈黙だったつもりだが、もしかすると自分で思うよりずっと長い間、俺は黙りこくっていたかもしれない。
「いえ。実は、この子が──ジュンコが森で、白い竜を見たと言っていまして」
「……白い竜?」
「はい。たぶん、俺が森で発見されたときにも見かけた白い子竜じゃないかと思うんですが。あのときは俺が錯乱して森に逃がしちまったので、あわよくば見つけ出して、今度こそ陛下に献上しようと思ったんですよ。しかし残念ながら今回の調査では発見に至りませんでした」
ああ、俺は口調も顔色もちゃんと平静を装えているか? そんな不安を抱いたまま、されど決して目を逸らすまいと、俺は玉座の上のフーヴェルオを見据えた。
仮にも一国の皇帝である男に向かって、虚偽の報告をすることが得策でないことは分かっている。意図的にジュンコの正体を隠したことがバレたら、今度こそ首が胴に別れを告げるかもしれない。
けれど俺は覚悟を決めて、嘘をつくことを選んだ。こいつらに全幅の信頼を預けるのはまだ時期尚早だと、俺のイキモノとしての勘がそう言っているから。
「……なるほど。では、森で発見できた竜はあくまで襟巻竜のみだった、と言うわけだな?」
「はい。その襟巻竜も発見できたのは一体のみで、観察も満足にできませんでしたが……しかし肉食の竜か魔獣のものと思われる糞の採取には成功し、内容物をアリスター魔獣研究所に送りました。テリサ・アリスター博士なら糞の中身を見ればそれが竜のものか魔獣のものかある程度判別がつくでしょうし、運よく襟巻竜の糞を回収できていれば、野生下での食性をある程度把握することができますから」
と、俺が五十六年間の人生で培った度胸を総動員してそう答えると、またも広間がどよめいた。どうやら高貴な血を引くお貴族様方は、生き物の生態を知るにはまず糞を調べるという基本中の基本すら知らないようで「なんと汚らわしい……!」とか何とかあちこちでほざいている。
ふん。自分だって物を食ったら必ずクソをひり出すくせに、何をカマトトぶってんだか。糞を調べるだけで汚らわしいなら、常に腹の中にクソを抱えてるおまえらは、存在自体が汚物そのものってことになるだろって話だわな。
「……そうか。して、そなたの計画を元老院で評議にかけるための準備は順調に進んでいるのか?」
「ええ、とりあえずは……屋外飼育のための放飼場をどんな設計にするかさえ決まれば、元老院の皆様の説得に臨めるんじゃないかと思います。他にも細かい懸案事項はありますが、そちらは比較的容易に解決できそうな問題ばかりですので」
「分かった。では当初の予定どおり、そなたらからの計画書の提出を待って元老院議会を招集する。計画書の内容はもちろん議会にかける前にこちらで精査するが、手抜かりのないよう心せよ。可及的速やかにことを運ぶためにもな」
「畏まりました」
ところがそこからは意外とあっさり話が進み、ほどなく謁見は終了となった。正直森での出来事やドラゴン・パーク計画の詳細について、もっと根掘り葉掘り訊かれるのではと思っていた俺は内心拍子抜けしながら、ひとまず頭を下げておく。
……なんだ。わざわざ本宮まで奴隷を呼びつけたわりに、大した話はしないんだな。それは果たして、ここにいる家臣団にドラゴン・パーク計画の概要を周知することが目的だったからなのか──はたまた俺が欲しい情報を持っていないと判断して、用がなくなったからなのか。
「リュージといいましたね」
が、とにかく話は終わったのだから長居は無用だ。
奴隷でしかも黒髪人の俺がいつまでも神聖な本宮に居座っていては皆も落ち着かないだろうし、早々に退出させてもらおう。
そう考えた俺がさりげなくフリーダに目配せし、暇を告げるよう促しかけたときだった。突然、俺を呼ぶやわらかな声が玉座から降ってきて面食らう。
空中でふわふわと揺れる羽毛のように俺を呼んだのは、言わずもがな皇妃のアイリンだった。彼女は自然な色の口紅が引かれた唇をそっと緩ませ瞳を細めると、花でも愛でるかのような優しげな口調で言う。
「そなたは実に豊かで自由な発想を持っていますね。ドラゴン・パーク計画というものも非常に興味深く、気に入りました。竜族との共生を目指される陛下のため、今後ともそなたの智恵と力を遺憾なく発揮なさい。ひいてはそれが帝国の繁栄と平和につながるのですから」
「は……はい、恐縮です……必ずやご期待に添えるよう、邁進致します」
俺は思わず声が上擦りそうになるのをこらえながら、カチコチになってそう返事をした。どうやら同じ次元に存在していることが信じられないレベルの美女に話しかけられると、人間というのは全身の筋肉が萎縮して汗が噴き出てくるらしい。
かくして人生二度目の謁見は何とか無事に終了した。
けれど、最後に投げかけられた皇妃の言葉。
あれには一体どんな意図が込められていたのだろう?




