そこにいたのは
ああ……またこんな罰ゲームみたいな服装をさせられるとは思ってなかった。
アゴログンドに来て初めてフーヴェルオに謁見した日、フリーダから譲り受けた一張羅。いや、より正確には譲られたというか「貴様のような汚らわしい罪人が身につけたものなどたとえ父の形見でも要らん」と押しつけられたんだけど。
俺は再びあの日と同じちんどん屋スタイルで、羞恥を越えた虚無の境地に至りながら馬車に揺られていた。向かいの席に並んで座ったイヴとジュンコはメイド服で許されたのに、なんで俺だけこうなった?
「なあ、フリーダ……そもそも奴隷の俺たちが、陛下に会うのにいちいち着飾る必要あるか? 奴隷は奴隷らしく、いつものみすぼらしい服を着て行った方が身分相応でよくない……?」
「たわけ。貴様は特例中の特例で、本来奴隷や罪人は宮中に足を踏み入れることすら許されぬ。セント・ソフィア宮殿の本宮は聖母ソフィアの御霊が眠る、我が国で最も神聖な場所なのだからな」
「聖母ソフィア……って、ああ、ソフィア聖教とか呼ばれる国教の……?」
「いかにも。人類の母たるソフィア・ブリッグズの末裔であらせられるメアレスト皇家は、聖母信仰の至聖所たる宮殿の守り人でもある。よって本宮には古くから穢れたものを入れてはならぬという暗黙の掟があるのだ。ゆえにどれだけ身分の賤しい者であっても、本宮に入るときだけは身綺麗にせねばなるまい。無論、私とて不本意ではあるがな」
隣の座席に腰かけながら目を合わせようともしないフリーダは、心底不服そうにフンと鼻から息を吐いた。
ソフィア聖教というのはアゴログンドにおけるキリスト教のようなもので、遥か昔に実在したという聖母ソフィアの教えを信仰対象とした一大宗教だ。
メアレスト帝国では先帝ゲオウェクス二世の時代に、このソフィア聖教以外の宗教はすべて禁ずるというお触れが出て、結果、神竜教会などの異教は一斉に排除されたとか。まあ、一般的な日本人が皆そうであるように、前世ではまったくの無宗教だった俺は宗教関連の話にはさしたる興味も湧かず、そういうものなんだなあ程度の認識だった。
しかしまさかセント・ソフィア宮殿には神殿的な宗教施設としての側面まであったとは……そりゃ敬虔なソフィア聖教信者としては、奴隷でしかも黒髪人の俺なんか宮内には入れたくないよな。
かと言って仮にも皇帝であるフーヴェルオに「じゃあおまえが会いに来ればいいじゃん」とは言えないし。となるとやっぱりここは、俺が生き恥を晒す屈辱に耐えて宮殿まで足を運ぶしかないわけだ。フッ……これもドラゴン・パーク計画実現のために乗り越えなければならない試練、か。だったら耐えてやろうじゃねえか、多少の羞恥プレイくらいな──内心は正直涙目だけど。
「フリーダ・ゴンデシャル侯爵のご到着です」
ほどなく竜の園から八キロも離れた本宮に到着すると、俺たちは一度控えの間に通され、しばらく待たされたのち謁見室へ案内された。
フーヴェルオと直接対面するのは、何だかんだで一ヶ月半ぶりか。
基本、園の運営に必要なやりとりはフリーダやギゼルを通してたから、奴隷の俺がフーヴェルオと相見える機会なんてなかったんだよな。
けれども俺は一ヶ月半ぶりの緊張に晒されながら扉を潜り、ぎょっとした。
何故なら広間の奥に設けられた、玉座を据え置くためのお立ち台──そこに座ってこちらを見下ろす人物がひとりではなかったからだ。
「えっ……え?」
と思わず口から困惑が漏れそうになるのをどうにかこらえた。
だけど相変わらず気怠げに頬杖をついたフーヴェルオの隣にいるのって、並んで玉座に座っていることや、頭に冠を乗せていること、そしてフーヴェルオと歳も近そうな妙齢の女性であることから考えて……もしかしなくても皇妃殿下、だよな?
ていうかフーヴェルオって結婚してたのかよ!?
「久しぶりだな、リュージ」
と思わぬ不意討ちに混乱した俺が、フリーダに倣って赤い絨毯に跪いたところでフーヴェルオが口を開いた。いや、なんか驚きすぎて直視するのも憚られるんだが……ま、まあ、そりゃ一国を治める皇帝ともなれば伴侶くらいいて当然だよな?
いざってときに政治がぐちゃぐちゃにならないように後継者──すなわち世継ぎをつくっておくことも皇帝の重要な役割だしな……?
「まあ……そちらにいるのが陛下のおっしゃっていた半竜ですの? お話に聞いていたとおり、ほとんど人に近い姿をしておりますのね」
と俺が必死に状況を飲み込もうとしていると、今度はひどくたおやかな女の声が降ってきた。そう、それはまさしく〝たおやか〟というひらがな四文字がこの上なくしっくりくる、やわらかく品のある声で。俺は伏せていた顔をようやくちょっとだけ持ち上げて、皇妃と思しい女性の様子を窺った。途端に、
「うおぉ……」
という感嘆の声が漏れそうになったことは言うまでもない。
何故なら、聖女。そう言われて誰もが思い描くような、聖性しか感じない女人がそこにいた。いや、マジであの麗しさはファンタジーだろ。
美しい、じゃなくて、ただひたすらに麗しい。何ならトールキンの『指輪物語』から出てきた女エルフですと言われても信じるぞ。
まるでさらさらと星が流れているかのような銀髪と淡い紫色の瞳は、見るからに高貴で神聖な色の組み合わせ。おまけに肌は透き通るように白く、よくフィクションで使われる〝雪のような〟とか〝陶器のような〟って形容はああいう肌のことを言うのだろうと、俺は覆しようのない実感と共にそう思った。
「あまりまじまじと見るな、アイリン。目が潰れるぞ」
「まあ、陛下ったらお戯れを。もし見るだけで盲いてしまうと言うのなら、今なお皇属竜狩猟団にこれほど優秀な人材が留まっていることの説明がつかないではありませんか。ねえ、ゴンデシャル侯爵?」
「……勿体なきお言葉です、皇妃殿下。狩猟団の長として、今後もよりいっそうの精進をお誓い申し上げます」
と、まるで花が喋っているみたいにふわふわと話す皇妃殿下──名前はアイリンというらしい──とは裏腹に、そう答えたフリーダの声は硬かった。
こいつがしかつめらしい口調で話すのはまあ平常運転だが、しかしいつもに増して言葉に抑揚がない。なんだ、こいつも今日は柄にもなく緊張してるのか……?
「で? その後、竜の園の運営はどうなっている、リュージ?」
「え、えっと……おかげさまで、何とか少しずつ軌道に乗ってきたかと思います。もともと園にいた二十七頭の竜のうち、十三頭は既に手遅れで助けられませんでしたが、残りの十四頭については引き続き、健康状態が回復に向かうよう手を尽くしています」
「まあ……もといた竜の半分しか助からなかったのですね。かわいそうに……」
と、俺の報告を聞いたアイリンが、物憂げに眉を曇らせて呟いた。
……今のはたぶん、俺に話しかけたわけじゃなくて、単に感想を述べただけだよな? じゃなきゃ賤しい奴隷ごときが返答していいものか困惑するぞ……。
けど助からなかった竜に対して〝かわいそう〟なんて感想が出るってことは、この人は竜にも結構好意的なんだろうか。はたまたフーヴェルオの政策を支持するためにとりあえず上辺を取り繕って、同情するふりをしてるだけ?
俺としてはできれば前者であってほしいものだが、アイリンの人柄を一切知らない現状では、まだ何とも言えないな……。
「なるほどな。うち最も健康状態のいい竜を使って、そなたの言うドラゴン・パーク計画なるものが果たして実現可能かどうか試そうとしていると聞いたが?」
「は、はい。今回の試みでは、比較的小型で脅威度も低い低級竜の襟巻竜を屋外飼育してみようと考えています。現在はそのための飼育設備をどのようなものにするか検討中で……人間と竜、双方の安全を確保しつつ、可能な限り野生に近い状態で竜を観察できる設備を整えたいと思ってます」
……と、訊かれるがまま答えてみたはいいものの。
こんなのは俺の口から聞くまでもなく、フリーダやギゼルからの報告でフーヴェルオもとっくに知ってるはずだよな? と俺は内心首を傾げた。
ところが竜の屋外飼育の話が出た途端、広間はどよめきに包まれる。
どうやらフーヴェルオはともかくとして、この場にいる家臣の多くはドラゴン・パーク計画の存在すら寝耳に水だったようだ。
あ。ってことはフーヴェルオはひょっとして、そういう計画が水面下で進みつつあることを周知するためにわざわざ俺を呼んだのか?
確かギゼルの話では元老院を構成する有力貴族と、フーヴェルオの周囲を固める宰相や大臣といった家臣団はまったくの別ものらしいからな。
「そうか。ではそなたが先日母大樹の森で調査に当たりたいと言っていたのは、その襟巻竜とやらのことだったのだな?」
「はい。襟巻竜は主に森林地帯に生息する竜で、母大樹の森での生息も確認されておりましたので、陛下に立ち入りの許可をいただいて野生下の生態調査に行って参りました。そして事前に聞いていたとおり、現地では確かに襟巻竜の生息が──」
「襟巻竜だけか?」
「え?」
「あの母大樹の森で確認できた竜は、襟巻竜だけだったのか?」
と、まったく表情を変えないフーヴェルオから尋ねられ、俺は束の間閉口した。
というのも、投げかけられた質問の意図がいまいち読み取れなかったのだ。
それは単純な事実確認のようにも思えるし。あるいは他の竜の生息状況を知ることで、竜の個体数に回復の兆しがあるかどうかを聞き出したいのかもしれない。
しかし仮にそうだとしても、残念ながら俺たちが母大樹の森で出会えた竜は襟巻竜だけだ。もちろん俺も園にはいない新種との出会いをこっそり期待していたが、現実は目標の竜を一匹探し出すだけでひと苦労というありさまだった。
だから今回はありのまま正直に答えようとして、
「……あ、」
と、不意に気づいた。気づいてしまった。
ああ、そうだ。そういや俺はあの森で他にも竜を見つけたじゃないか。
他でもない、前世で〝ジュンコ〟と名づけた神竜の末裔を。
いや、けど、まさか、さ。
もしかしてフーヴェルオは、そのことを俺に訊いている──?




