盲目の人形たち
「ゴンデシャル侯爵。そなたは残れ」
という玉座からのひと声が、リュージたちと共に下がろうとしていたフリーダを呼び止めた。まあ、何のことはない。想定の範囲内だ。
はっ、と低く返事をしたフリーダは頭を下げて、傍らにいるリュージに、
「すぐに終わる。控えの間で待っていろ」
と短く告げた。直前に皇妃から言葉をかけられ、どぎまぎしているらしいリュージはぎこちなく頷くと、ふたりの娘を連れて引き下がっていく。
念のため謁見室内にいる近衛騎士のひとりに目配せし、三人のあとを追わせた。
ちょっと目を離した隙に、何か勝手なことをされては敵わないと思ったためだ。
目が合った近衛騎士もすぐにフリーダの意図を察したようで、階の上の主君を仰いだ。すると彼も無言で顎をしゃくり、言外に「行け」と合図する。
「ですが驚きましたわ、陛下。まさかあれほどの惨状を呈していた竜の園の運営を立て直してしまう者がいるなんて……あの奴隷、ヤマタ・リュージといいましたか。初めは黒髪人の奴隷をお傍に置かれると伺って案じておりましたが、彼ならばきっと──」
「アイリン」
と、リュージとふたりの娘が去ったあと、見知った顔ばかりになった謁見室で、無邪気に声を弾ませたアイリンが自らの主人──フーヴェルオへと微笑みかけた。
ところがフーヴェルオは依然玉座に頬杖をついたまま、美しい妻を一顧だにすることもなく、平板な声色で彼女の歌を遮ってしまう。
「その話はあとだ。そなたはもう下がってよい」
「ですが、陛下」
「下がれ、と言った。近衛騎士団長」
「はっ」
「ゴンデシャル侯爵とふたりで話がしたい。今すぐ人払いを」
「畏まりました」
有事に備えて玉座の傍らを守っていた皇属近衛騎士団の団長が、磨き上げられた鎧を鳴らしながら敬礼し、忠実に主命を遂行した。
謁見室に集められた多くの家臣たちは、先程フーヴェルオとリュージが話していた計画について一刻も早い説明を望んでいるように見えたものの、皇帝の命令には逆らえない。ゆえに静々と引き下がっていく彼らの中に、悄然と瞼を伏せたアイリンの姿を見て、フリーダは暗い愉悦が心臓をくすぐるのを感じた。
「いかがでしたか、陛下」
ほどなく主従ふたりのみとなった謁見室でフリーダは尋ねる。
ほんの数人の家臣が詰めかけた程度では埋まりようもないほど広々とした謁見室はしかし、ふたり以外の誰もいなくなるとやけに声が反響した。
「あの子供だ」
対してフーヴェルオの返答は早く、短い。
己の主君が言葉を飾ることを好まず、果断と即断を尊しとするたちであることはフリーダも承知しているものの、この答えにはいささか驚いた。
「あの子供……というと、リュージが〝ジュンコ〟とか呼んでいる?」
「ああ。恐らく間違いない。やつは私の魂に触れた」
瞬間、あまりにも明確な答えを耳にして、フリーダは背筋がぞくりと疼くのを感じた。が、それは決して恐怖や怒りゆえではない。
ついに見つけた、という事実がもたらす昂揚がそうさせたのだ。
「では、やはりリュージ……やつが我々を欺こうと」
「いや。そこまではまだ断定できない。彼奴すらも古代竜に騙されている可能性があるからな」
「た、確かにそういった可能性も完全には否定できませんが、しかし──」
「やつにはまだ利用価値があると言ったはずだ。泳がせておけ。それよりも……」
と、不意に言葉を途切れさせたフーヴェルオが、彼の魂を象徴するかのごとき真紅の前髪の下からじっと視線を注いできた。その眼差しが何を言わんとしているのかすぐに察したフリーダは、床に片膝をついたまま颯爽と頭を下げる。
「心得ております。あとのことはお任せを」
「ああ。抜かりなきようにな」
「無論です。すべては陛下の御心のままに」
自らの足もとを見つめたままそう答えれば、玉座の上でフーヴェルオが頷いた気配があった。あわよくばこの件を利用して、リュージも皇宮から排除できるのではという思惑は外れたが、まあいい。先月手に入れた暗号の解読も未だ進展しておらず、やつの真のもくろみを暴くには時間がかかる。とすればふさわしい処遇を決めるのは、すべてが白日の下に晒されたあとでも遅くはないだろう。
「しかし、陛下。先程のあの様子では、宰相や大臣たちから早々に説明を求める抗議があるかと拝察しますが」
「ああ……だろうな。面倒だが仕方あるまい。リュージの計画を元老院へ持ち込む前に、ある程度の根回しは必要だ」
「ですが宰相閣下は未だ竜族の保護に懐疑的です。計画の全容を知ればより危機感を募らせて、元老たちにも何らかの働きかけをするかもしれません」
「だから先刻の場にアイリンを呼んだ。あれは私の言うことには決して逆らわないからな。たったひとりの愛娘から熱心に説得されれば、公爵も折れざるを得まい」
「なるほど……そこまで見通されてのご采配でしたか。お見逸れ致しました」
今回、フーヴェルオが何故アイリンとリュージを引き合わせたのか疑問に思っていたフリーダも、それを聞いて合点がいった。確かに皇妃アイリンは彼の忠実なる人形だ。自分の意思というものを持たず、ただひたすらに従順であることだけが、皇妃としての己に課せられた使命だと信じ込んでいる。
対して父親のリチャードソン公爵は、先帝によって強化されすぎた皇権に危機感を覚えている人物だ。今のままでは先代のような過激な独裁が許容され、後世に何らかの禍根を残すのではないかと危惧している。いや、あるいはリチャードソンはフーヴェルオさえも先代と同じ独裁者と見なしているのかもしれない。
だが先帝とフーヴェルオは決定的に違う。血がつながっただけの赤の他人だ。
フリーダにはその確信があった。少なくとも、極めて身勝手な理由で父を殺した先帝とフーヴェルオを同列に語られたくはない。
あの日、日も当たらない牢獄で誰にも知られることなく処刑された父の無念を晴らし、ゴンデシャル家の名誉を守ってくれたのは他ならぬ彼なのだから。
「しかし宰相閣下の説得は皇妃殿下にお任せするとして、他の貴族派諸侯は簡単に納得するでしょうか」
「リチャードソン公爵が黙ればやつらも黙ろう。所詮は誰かの権力の陰に隠れなければ何もできない弱者の群だ。何より多少の気骨がある者も、私の前に引きずり出してしまえば嫌でも納得せざるを得まい──こうなってみると、あの日天王竜に狙われたのはある意味僥倖だったな」
果たしてそれは自嘲か皮肉か。そう言って彼がわずか口角を上げたのを見て、フリーダは思わず顔を伏せた──僥倖?
確かに捉えようによってはそうかもしれない。おかげでフリーダたちはジュンコと名乗る少女の正体に気づき、鬱陶しい貴族派諸侯を黙らせる力も得た。
されどその代償はあまりに大きすぎたと言わざるを得ない。
偉大だった父。ギゼルの兄。そしてフーヴェルオに約束されていたはずの未来。
すべてがあの日を境に失われてしまったのだから。
(だが……まだ取り戻せるものもある)
ゆえにフリーダは戦うと決めた。
どれほど困難な道のりであろうとも、己が魂を捧げた主のために。
(必ず、私が……お救い致します、陛下)
ロレンソンでも、マルテンスでも、ヘッドでもなく。
今もフーヴェルオにとって唯一無二の理解者である、このフリーダ・ゴンデシャルこそが。




