その塔が崩れる前に
俺の中にあるドラゴン・パーク計画の構想はこうだ。
まず、現在皇宮で〝竜の園〟と呼ばれる離宮があるエリア。
あの庭園一帯を丸ごと改造し、巨大な動物園にする。竜の園がある庭園──正式にはミザール庭園というらしい──の広さは、見取り図によれば約百ヘクタール。
ヴェルサイユ宮殿庭園と比べると八分の一の面積しかない計算になるが、動物園としては充分すぎる広さだ。地球最大級の動物園と言えばアメリカのブロンクス動物園が有名で、あそこの面積がだいたい百ヘクタールくらいだったはず。
でもって確か、東京ディズニーランドとディズニーシーの敷地面積を合わせるとちょうど百ヘクタールになるとどこかで聞いた。つまりミザール庭園でなら、日本の狭い動物園では実現不可能だった自然に近い環境での展示が可能になる。
広大な屋外放飼場と、展示する竜の生態に合わせた環境エンリッチメント。
こいつを実現させることで、生の竜の姿が見られる動物園を作るんだ。
普段自然の中で竜たちがどんな風に暮らしているのか、そいつを間近で見て知って、生態への理解を深めるためにな。
「──いいか。そもそも人間の〝恐怖〟って感情は、分からないことから生まれるものだと言える。俺たちが本能的に暗闇や死角を恐れるのは、見えない場所に何がいるのか分からないからだし、死を恐れるのも自分が死後どうなるのか分からないからだ。この理屈は何となく分かるよな?」
「ええ、まあ……確かに一理あるわね。私は医者だから、これまで何人もの患者の死を看取ってきた。中には〝人は死んだらどうなるのか〟と、息を引き取る間際まで怯えていた人もいたわ。彼らにとって最も恐ろしいのは、病や怪我による痛みでも苦しみでもなく、死、そのものだった。少なくとも私にはそう見えたわね」
「ああ。そしてだからこそ俺たちは分からないことを調べ、研究し、不安や恐怖を克服しようとする。〝分からない〟と拒絶するだけじゃ、永遠に同じ恐怖を味わい続けることになるからだ。で、俺はこう考える。竜と人間の関係も同じで、お互いをもっとよく知ることができれば、人類が竜に対して抱く恐怖心や嫌悪感が薄れるんじゃないかってな」
言って、俺は右手に握っていたミザール庭園の見取り図を、ここぞとばかりに机に広げた。アリスター博士の研究室にある研究机は、様々な器具を並べられるだけの広さがあるおかげで、A1サイズの見取り図を広げてもまだ余裕がある。
そいつを思い思いの方角から、ギゼルやラドニアたちが覗き込んだ。
と同時に皆が息を飲んだのを俺は見逃さない。ま、当然の反応だよな。
何せ広げられた見取り図には、俺が〝こんな動物園を作りたい〟と描いたドラゴン・パークの完成予想図がびっしりと書き込まれている。
もちろんまだ願望の域を出ない、構想の段階だけど。
これでもメアレストを発つ前に夜なべして考えたんだぜ?
博士を絶対に説得できるだけの材料がほしかったからな。
「こ、これは……リュージ、貴君はまさか、あの竜どもを屋外で放し飼いにするつもりでいるのか? よりにもよって陛下のおわすセント・ソフィア宮殿で、そんな暴挙が許されるわけが……!」
「いや、放し飼いとはちょいと違う。ちゃんと竜が逃げ出さないよう工夫を凝らして、飼育用の囲いを作る予定だ。こいつを〝放飼場〟っていうんだが、各放飼場にはもちろん竜舎もつける。竜舎ってのは主に夜の間、竜たちを収容する建物のことな。天気の悪い日なんかは、そこで屋内展示ができるようにするつもりだ。技術的に可能かどうかは要検証だけど……」
「待って。その〝展示〟というのはどういうこと? 私の解釈が正しければ、〝展示〟というのは美術品や蒐集物を人に見せるために飾ることよね?」
「ああ、そうだ。この世のあらゆる生物は、自然という名のアーティストが生み出した奇跡の芸術品。だからそいつを大衆に向けて展示する。皇帝のペットとしてただ飼い殺しにするんじゃなく、竜の生態や魅力を世界に発信するための超大型学習施設を作るんだよ。それが俺の思い描くドラゴン・パーク──人間と竜が共存する世界の箱庭版だ」
そう言って、俺は自信たっぷりに図面の上へ手を置いた。広げた五本の指の先では、俺が想像で描いた竜っぽい何かと人間が垣根を隔てて見つめ合っている。
竜と人間の共存に必要なのはまずこれだ。
竜のことを知り、身近に感じ、恐怖の対象ではないと知らしめること。
むしろ竜も人間と同じように生きていて、興味深い習性を示したり、驚異的な能力を持っていたりする。そいつをいかに魅力的に展示して人々の関心を集めるか。
竜に対する恐怖や嫌悪感が、一体どんな生き物なのか、どうしてそんな進化を遂げたのかという興味に変わればこっちのもんだ。
そこから少しずつ竜を取り巻く問題や、彼らと共存するために必要な知識を人々に開示していく。そうしてアゴログンド人の意識を少しずつ変革するんだ。
姿形や生きる領域が異なるだけで、俺たちは同じ〝生命〟なのだと。
まずはそれを知ってほしい。
生命ってのは例外なく不思議で複雑で、とても美しいものだから。
「い、いや……だが待て。貴君は今、竜を大衆に向けて展示すると言ったな。つまりミザール庭園を開放し、人々を自由に出入りさせるつもりでいるのか? そのようなこと、皇宮警備の観点から許されるわけがなかろう! 離宮とは言え、竜の園もセント・ソフィア宮殿の敷地の一部なのだぞ!」
「なら場所はミザール庭園でなくてもいい。メアレストの郊外でも、もっと別の土地でもな。ただ飼育されてる竜はあくまで皇家の財産であって、勝手に殺したり盗んだりできないってことを分かりやすく示すために、皇宮の敷地内に作った方がいいんじゃないかと思っただけだ。竜を狙う密猟者やなんかがいるならなおさらな」
「そ、そうは言ってもだな……歴代皇帝が愛した庭園を勝手に潰して作り変えるなど言語道断だし、別の場所に作るとしても、これほど大規模な施設を建造するとなれば莫大な資金がいる。陛下はもちろん、宮廷を動かす貴族たちが賛成するとはとても思えん。たかが竜の飼育にそこまでの金を費やすなど……」
「貴族連中がなんて言うかは知らないが、少なくとも陛下は竜の園の運営について〝金に糸目はつけない〟って言ってたろ。竜との共存のために必要なことなら、いくらでも資金を注ぎ込んでいいってな」
「た、確かに陛下はそうおっしゃるかもしれないが──」
「貴族がそれに反対するって言うんなら、パークを収益化すればいい。つまり竜を見に来る人間から見物料を取って利益が出るようにするんだよ。もちろん最初のうちは赤字だろうが、パークが無事に完成すれば、ここはアゴログンドで唯一の〝竜が見れる動物園〟になる。となれば間違いなく世界中から客が集まるはずだ。で、上がった収益でさらに新しい竜を保護したり、研究をしたりする。謎だらけの竜の生態を解き明かし、どうすればより共存しやすいか探るためにな」
「竜を研究……確かに自然に近い環境での竜の飼育が可能になれば、これまでよりずっと生態を観察しやすくなる……野生下での調査では、そもそも対象となる竜を見つけるのに時間がかかりすぎるし、追跡にも限界があるから……」
「ああ。でもって順調に研究が進めば、竜の繁殖も夢じゃない。どんな環境下でどうやって子を産み育てるのか、そいつが分かれば個体数を増やせる。で、パークで飼い切れないくらい繁殖できるようになったら、生まれた子を野生に帰す試みをするんだ。人に育てられた生き物を野生で生きていけるようにするのはぶっちゃけかなり難しいが、研究に研究を重ねれば、いつかは方法を確立できるはずだからな」
実際、地球でも絶滅が危惧される生き物を飼育下で繁殖させ、野生に帰すという試みが繰り返し行われていた。
日本ではトキやコウノトリ、ライチョウなんかの野生復帰事業が有名だったな。
どうしてそうまでして生き物の絶滅を防ぐ必要があるのかと疑問に思う人間もいるだろうが、ひとつの種が地上から消えるということは、生態系に計り知れないほどの影響を及ぼす。でもってその影響は最終的に人間に跳ね返ってくるんだ。
人間だって結局は地球という名の方舟に揺られ、他の生き物と一緒に暮らす運命共同体。ニホンオオカミが絶滅した日本では、天敵がいなくなったシカやイノシシが増えすぎて毎年農作物にとんでもない額の被害が出ていたし、一時期遺伝子組み換えによる撲滅計画が取り沙汰されていた蚊も、幼虫であるボウフラが川や池を掃除する役割を担っているがために、絶滅すれば水質汚染が進んで大変なことになると言われていた。
つまりすべての生命には与えられた役割があり、だからこそ必然的にこの世に生まれたということだ。生物同士の見えないつながりはいわゆるダルマ落としみたいなもので、どれかひとつでもピースが欠ければ、繊細なバランスの上に築き上げられた生命の塔が崩れ落ちてしまう危険が生じる。
だから動物園は、単に珍しい動物を愛でるための施設じゃない。
生物多様性がいかに重要なものであるかを訴え、どうすればそれを守れるのか研究し、教え、実現するための場所。
少なくとも俺はそう信じて、己の半生を飼育員としての使命に捧げた。
そして今、アゴログンドでもきっと同じことができるはずだ。
三十余年もの間、動物たちと共に歩んだ前世の記憶と知識があれば。
「す、すごい……確かにこの計画が実現すれば、人々の意識改革と絶滅問題への対処に同時に取り組めます。とても合理的で、しかも方法が体系化されている。人々に竜への理解を深める場を提供しながら、同時に研究や保護活動のための資金確保までできてしまうなんて……まるで夢のような計画です!」
「で、でも、実際そんなにうまくいきますかね? せっかく巨万の富を費やしてこれを作っても、本当に見に来てくれる人がいるとは限らないじゃないですか。むしろ竜を見に行くなんておっかなくて、誰も足を向けないかも……」
「そうか? 俺は意外とうまくいくと思ってるぞ。たとえば〝ドラゴン・パークを見学すると、漏れなく皇属竜狩猟団の団長と握手できる!〟みたいな特典をつければ、少なくともメアレストの人間は喜んで殺到するだろうし」
「なっ……き、貴君はフリーダ様まで見世物にする気か!? そのような侮辱は私が許さんぞ!」
「い、いや、見世物っていうか、帝都でのフリーダの人気を逆手に取って集客しようってだけで……別に握手できる相手は皇帝陛下でもいいし……」
「余計悪いわ! リュージ、まさか貴君はこの計画に乗じて、陛下やフリーダ様の暗殺を企てているのではなかろうな!?」
「ん、んなわけないだろ! 今のはあくまでたとえだよ、たとえ! 要は客を集める方法なんかあとからいくらでも考えられるだろって話で、本当にやるわけじゃないから、な!? だから一旦剣から手を離せって! な!?」
たとえ話を真に受けたギゼルが剣把に手をかけたのを見て、俺は慌てて宥めにかかった。そもそもフリーダはともかく、フーヴェルオはドラゴン・パーク計画を実現するための大事な大事な出資者なんだから、暗殺なんか企てたところで俺には何のメリットもない。
……というようなことを必死で説明したら、ギゼルは依然不信の眼差しを湛えながらも、ひとまず斬殺を思い留まってくれた。ふう……ま、まったく、これだからジョークの通じないお坊ちゃんは困るぜ。危うくチビるとこだったっつーの。
「……だけどひとつ疑問があるわ。現皇帝は何故そうまでして竜族を守りたがっているの? あれほど竜を憎んでいた先帝の背中を見て育ちながら」
ところが俺の決死の説得が功を奏した頃、そんな問いを投げかけたのはラドニアだった。直前までじっと腕を組み、机上のドラゴン・パーク完成予想図を見つめていた眼差しは一転、敵意とも呼べ得る疑惑を乗せてぴたりとギゼルを睨み据える。
「そもそもフーヴェルオ三世は幼い頃、竜に攫われて死ぬ思いをしたと聞いたわ。先帝が竜を殺しすぎたせいで古代竜の怒りを買い、共に連れ去られた兄を目の前で殺されたとね。それが本当なら現皇帝は、自分の名声を擲ってまで肉親の仇を救おうとしていることになる。けれど私は、そこがどうも腑に落ちないのよね」
「……は? ふ、フーヴェルオが竜に兄弟を殺された……!?」
まったく予想していなかったラドニアの証言に、俺は度肝を抜かれ絶句した。
が、直後、すぐに「あ、やべ」と失言に気づいて口を押さえる。
というのもついフーヴェルオを呼び捨てにしてしまったからで、またギゼルに無礼を咎められると思ったのだ。
が、予想に反して今回は何故だか説教が飛んでこなかった。さてはギゼルもラドニアの話に気を取られて聞き逃したかと、内心ほっとしながら視線を送る。
しかしそうして見やった先のギゼルは、ぎょっとするほど暗い眼差しで研究室の床を睨んでいた。いつも取り澄ました顔で小言を垂れるこの男がそんな表情をするところを、俺は初めて目にした気がする。
「……確かにその話は事実だ。だがひとつだけ間違っている」
「間違い?」
「ああ。陛下と共に竜に攫われ、殺されたのは陛下の実の兄君ではない。いわゆる乳兄弟──すなわち陛下の乳母の息子だ。そして死んだ兄の名は、ハゲネ・ブルグントという」
「……え?」
「ぶ……〝ブルグント〟って、まさか……!」
急に自動翻訳機能が働かなくなってしまったのだろうか。ギゼルの言うことを理解できず、立ち尽くすばかりの俺に代わって、アリスター博士が口もとを覆った。するとギゼルは瞑目し、一度だけため息をついて、女みたいに長い睫毛を上げる。
「ええ、そうです。ハゲネ・ブルグントは我がブルグント伯爵家を継ぐべく生まれながら──十七年前、陛下を守って天王竜に食われた私の兄です」




