巻き込まないでいただけませんか?
ヘスペルがクリソプルに雇われたのは、今から四年くらい前のことらしい。
つまりクリソプルがブルーと出会う一年前のことだ。
アゴログンドにはフリーの傭兵や竜狩人、竜術師なんかが仕事を仲介してもらうための『傭兵組合』なる組織があるらしく、ヘスペルはそこで護衛の依頼を引き受けてクリソプルと出会った。
傭兵組合というのはまあ、平たく言えば、フリーの傭兵たちが仕事にあぶれて食いっぱぐれないよう手を取り合い、創設した互助組織だ。
もともとは狭義の意味での傭兵だけが集まる組織だったらしいが、いつしか竜狩人や竜術師なんかも加わり、武力で食い扶持を稼ぐ人間の職業安定所みたいな様相を呈するようになった。もっともギゼル曰く、組合に所属する連中の中には何らかの事情で公的機関──たとえば皇属竜狩猟団とか騎士団とか──にいられなくなった前科持ちやあぶれ者も少なくないとか。
ゆえに傭兵組合には、大手の傭兵団などでは絶対に受けつけてもらえないブラックな依頼が持ち込まれやすいらしい。闇医者なんて非合法な肩書きを持つクリソプルの護衛なんかは、まさにその好例と言えるだろう。
「──要は傭兵組合などというものは、なり損ないの傭兵や竜術師ばかりが集まる怪しげな組織だということだ。所属しているのは実力も不確かな者ばかりで、よほどの事情でもない限り、あんなところに依頼を持ち込む人間などまずいない。もっと分かりやすい言い方をするなら、落ちこぼれの吹きだまりだな」
「い、いや、たとえそうでもおまえ、そこまでハッキリ言うことないだろ……実力はあるのに、何らかの理由でちゃんとした組織に入れなかったやつだって中にはいるかもしれないし」
「実力が確かで経歴にも人格にも特に問題がないのなら、正式な組織に所属できない方がおかしい。まあ、中には組織の規則やしがらみに縛られるのが嫌で自由を選んだ物好きもいないとは言い切れないが、自らまともでない道を選ぶ時点でお里が知れるというものだろう?」
「う、うむ……いや、けど傭兵の組織に竜狩人まで所属してるってのは意外だな。陛下が竜の狩猟を禁じた今じゃ、竜狩人なんてもはやお役御免だろ? 現に狩猟団だって本来の役目から下ろされて、竜の保護活動に駆り出されてるわけだし」
「表向きには人間から手を出すことはなくなったとは言え、今も竜害に苦しんでいる地域はある。そういった地域から竜を遠ざけ、民の命や財産を守るのも我々の仕事だ。中には密猟を請け負う恥知らずな狩人もいるという話だが……」
「はあ!? 密猟!?」
「竜の鱗や角、体毛などは非常に希少性が高いことから、今も高額で取引される。不老長寿の薬になるからという理由で獲れたての竜の肝を欲しがる輩もいるしな。そういう連中は国家の法など意に介さない。組合の竜狩人が受ける依頼など、むしろそちらの方が主流かもしれんぞ」
ギゼルの口撃にどんどんへこんでいくヘスペルを見るに見かねて、とっさに振った質問からとんでもない話題が出た。皇帝の命令さえも無視して竜の密猟に走る輩がいるなんて……くそっ、結局異世界も地球と同じかよ。
金や欲に目がくらんだ人間どもには進歩がなく、いつの世もやることが同じだ。
その行いがあとでどんな災いを引き起こすかなんて考えもしないで、ただひたすらに己の利益と快楽だけを追い求める。でもってそういう連中が犯した罪の報いを受けるのは、大抵が後世に生きる無関係の人々と相場が決まってるんだ。
たとえば一七〇〇年代から始まったラッコの乱獲で海藻の森が死に、陸地が海に飲み込まれて頭を抱える現代のアメリカ人みたいにな。
「……だけどラドニアさんは竜族狩りが終わったあとも、そういう連中から竜を守るためにひとりで戦ってきたんだ。何度も危険な目に遭いながら、それでも竜たちのために自分のすべてを捧げてる。あんな強くて優しい人を罪人扱いする連中がいるなんて、未だに信じられないよ。おまけに今まで散々追い回しておきながら、今度は皇帝の道楽のために手を貸せなんて……まったく虫がよすぎて呆れるね」
ところがそこへ、ヘスペルが先程の報復と言わんばかりの嫌味を吐き出し、ギゼルの眉がぴくりと動いた。アリスター魔獣研究所の応接室で向かい合って座るふたりの間には、心なしかバチバチと火花が散っている。ああ……せっかくこの険悪な空気を何とかしようと孤軍奮闘してたのに、俺の努力が水の泡じゃねえか。
こういうとき、事勿れ主義で気遣い屋の日本人って損だよな……と口の端を引き攣らせつつ、俺は明後日の方角へ視線を泳がせた。その先の壁にかけられた小さな振り子時計が、間もなく十六時を回ることを示している。
クリソプルと博士が解剖室に入ってからもうすぐ二時間が過ぎようとしていた。
ふたりがブルーの手術を終えるまでの間、成功を祈るくらいしかできることのない俺たちは現在応接室で待機している。
あまりにも手持ち無沙汰なので、博士の書斎や魔獣の飼育小屋を覗きに行こうかとも思ったが、部外者が無許可で上がり込むのは気が引けて結局思い留まった。
が、敵愾心丸出しの野郎ふたりに挟まれて、こんなに居心地の悪い思いをするくらいなら、今からでもどこかに逃げ込むべきなんじゃないかという気がしてくる。
あるいは外の森をぶらぶらしてくるとか。ああ、そうだ、それがいい。
少なくとも俺はこのギスギスした空気にこれ以上耐えられそうにない。
イヴなんか途中で待つのに飽きたのか、ふわあと大あくびをしたと思ったら、日の当たる窓辺の床にうずくまって気持ちよさそうに寝始めたしな……。
いや、寝るならせめて昨日泊めてもらった客室を使いなさいと一度は起こしにかかったものの、当人はまるでどこ吹く風。至福の表情ですやすやと寝息を立てて、濃紺のメイド服が埃にまみれるのも構わず熟睡している。
すぐ傍に竜狩人がいるってのになんてザマだ。完全に野生を失っている。
檻を出てたった数日でこの堕落っぷり。大物なのか、はたまた単に危機感が薄いのか……ブルーの例を見てもそうだが、竜ってのはきちんと面倒を見てやれば、案外人になつきやすい生き物なんじゃないか?
過去には竜と共に生きた人間もいたって話だしな……。
「道楽ではない。陛下は先帝の過ちを正すべく、臣民の激しい非難に晒されながらも真摯に竜族問題と向き合われているのだ。そもそも為政者が変われば国の方針も変わるのは致し方ないこと。それを〝道楽〟などと邪推して、国父たる陛下のご叡慮に寄り添おうともしないとは、同じメアレスト人として恥ずかしいぞ」
「へえ~、何だかいかにも侵略者っぽい言い分だな~。温室育ちのお兄さんは、今も大陸のあちこちに帝国を憎んでる亡国の民がいることを知らないのかな? かく言う僕も北の砂漠の生まれだから、自分を帝国人だと思ったことってぶっちゃけ一度もないんだよね~」
「ほう、つまり筋金入りの非国民ということか。傭兵としての実力だけでなく、メアレスト人としての誇りさえ持たずに生きているとは驚きだ。ならば貴君は逆に何を持ち得ているのだろうな?」
「た、確かにメアレスト人としての誇りはないけど、僕だって傭兵としての自負くらいあるさ! こう見えてラドニアさんと一緒に色んな修羅場を乗り越えてきたんだから……!」
「そうか。では一体どれほどの修羅場を潜り抜ければ、戦闘中に武人でも何でもない女人に不意を衝かれて昏倒できるのか、ぜひともご教授いただきたいものだ」
「あ、あ、あれは不可抗力だろ!? 真剣でやり合ってる最中に丸腰の女の子が飛び込んでくるなんて、誰が予想できるんだよ!?」
「言っておくがアリスター博士は御歳五十七歳の淑女だぞ。〝女の子〟などという侮辱的な呼び方は慎みたまえ」
「ごっ……五十七!? あんたどうせ嘘つくならもっとまともな嘘をつけば!?」
「博士の年齢を偽ったところで、私に何の得があるんだ? 貴君こそもう少し頭を使って喋った方がいい」
「ぐああああ! ああ言えばこう言う! リュージさん、何なんですか!? 何なんですかこの人!? 存在すべてがイケ好かないんですけど!?」
「い、いや……俺もそこは否定しないけどな……」
俺はヘスペルの意見に同意しつつも、巻き込まれたくない一心で言葉を濁した。
当のギゼルはと言えば勝ち誇ったように腕を組んでふんぞり返っているし、そんなやつの態度を見てヘスペルはますます激していくし、こんな状況なのにイヴは依然すやすやだしでもはや事態は収拾がつかない。
ああ、うん、もうダメだ。やっぱりここは旅に出よう。
今にも腰の得物を抜いて殺し合いを始めそうなふたりのことは放っておいて、俺は未知なるアゴログンド生物との出会いを求め、遥かなる旅へ──
「──あなたたち、うるさいわよ」
ところが解脱の境地へ至った俺が、ソファから腰を上げて旅立とうとしたまさにそのときだった。突然突き放すような女の声が聞こえたと思えば、一瞬視界が真っ白になり、直後、俺たちの頭上から大量の水が降ってくる。
ザッパァン!と豪快な音を立てて降り注いだ冷や水を、俺とギゼルとヘスペルの三人はものの見事に頭から浴びた。おかげで直前まで飛び交っていたふたりの口論は止み、あれほど騒がしかった応接室に水滴の滴る音と沈黙だけが降り積もる。
……え? 今、何が起こった? ていうか、なんで俺まで?
「……クリソプル。貴様、次期伯爵たる私にこのような暴挙を働くとは何事……」
「これで少しは頭が冷えたでしょ、伯爵閣下。一番平和的な方法で不毛な口喧嘩を終わらせてあげたんだから、むしろ感謝してちょうだい。そんなことより博士、申し訳ありません。研究所の床と備品を濡らしてしまって……」
「い、いえ、大丈夫です! 竜術を使えば乾かすのは一瞬ですし……」
「……え? 竜術? 今のが竜術なの? 何もないところからいきなり水が降ってきたんだけど?」
「あら、リュージは竜術を見るのは初めて? 今のは空気中に存在する無素を水素に変えたのよ。何もないところから水が生まれたように見えたのはそのせいね」
「へえ、そいつはすげえや。でもできれば、全身ずぶ濡れにならずに済む状況で見てみたかったな……」
俺はいかなる感情も抑揚も排した口調でそう告げて、濡れそぼったソファの上でうなだれた。アゴログンドの女ってマジで容赦なさすぎないか?
ほどなく俺たち三人は、博士が慌てて運んできてくれたタオルで体を拭きながらブルーの手術の結果を聞くことになった。気づけばクリソプルが戻ると同時にイヴも目覚めていて──水が降ってきたときに跳ね起きたのだろう──俺が頭から被ったタオルをわしわしと両手で動かしている。
たぶん、いつも風呂上がりにエレノアが自分にしてくれるのを真似しているのだろう。ただしイヴの場合は力が強すぎて、俺は頭皮ごと髪の毛を持っていかれるのではないかという不安を覚えながら、痛みに耐えつつ口を開いた。
「で、クリソプル。どうだったんだ、ブルーの手術は?」
「おかげさまで成功よ。いざというとき輸血ができないから不安だったけど、博士が竜術を使って出血を最小限に抑えて下さったから……たぶん大丈夫だと思う。あとは予後を見守るだけね。まずは無事に麻酔から覚めてくれれば安心できるわ」
「おお……! そうか、やったな! で、問題の卵は?」
「そっちも無事に取り出せて、今は魔獣用の孵卵器に入れてある。形状や状態から見て、孵化する可能性は充分にある……と、思うわ。結果は数ヶ月先まで様子を見てみないと何とも言えないけど」
「へえ、レントゲンだけじゃなくて孵卵器まであるのか……! けど卵を孵すのに適切な温度とか、転卵の問題とかあるだろ。その辺は大丈夫なのか?」
「温度については博士が事前にブルーの体温を計って、近い温度に設定して下さったわ。羽毛竜は寒冷地に棲んでいるから、竜族の中では珍しく抱卵するの。だから親竜の体温よりも少し高いくらいの値に設定しておけば大丈夫なはず……」
「羽毛竜と同じ生息域で暮らす鳥類も同じくらいの温度で卵が孵るんです。ブルーの予後がよければ本人に抱卵させるのが一番でしょうが、容態が落ち着くまでは私とクリソプルさんで卵の面倒を見ようと思います。問題は転卵ですけど……」
「ええ。ブルーが卵を抱けなければ、私たちが代わりに転卵する必要がある。だけど転卵を止めるべき時期が分からないの。小型竜の卵はだいたい三ヶ月程度で孵化することが分かっているけど、羽毛竜に限定した正確なデータではないから……」
「そうか……なら三ヶ月を目安にしつつ、ブルーが自分で卵を孵せるのを祈るしかないな。俺も自動転卵機能がない孵卵器を使ってた時代には、しょっちゅう園に泊まり込んで、手動で転卵してたもんだ。だから孵化作業ならある程度手伝えると思うし、俺たちの手でブルーを立派な母親にしてやろうぜ。な!」
いよいよ剥ぎ取られそうになっている頭皮をタオルの上から押さえつつ、俺はそう言ってニカッと笑った。というのも手術が無事成功したというのに、クリソプルがまだ不安そうな顔をしていたからだ。
だから少しでも安心させてやりたい一心で、俺は努めて能天気に振る舞った。
安い気休めだったかもしれないが、しかし多少は効果があったようだ。
その証拠に、クリソプルは眼鏡の向こうで伏せられていた視線を上げると「ありがとう」と微笑んだ。うむ……まあ、アレだ。美人の姉ちゃんにあんな顔でお礼を言われると、何やらすごくいいことをした気分になるな、うん。
「おい、待て、リュージ。貴君は今〝園に泊まり込んで卵の世話をしていた〟と言ったか? それは一体いつの話だ?」
ところが照れ隠しに頭を掻いてたら、無粋にもほどがある横槍が入った。
ギゼル・ブルグント。クリソプルの竜術のおかげで水も滴るいい男になった未来の伯爵閣下が、いかにも胡散臭いものを見るときの目つきで俺を睨んでいる。
フッ……まあ、そうだな。ここは素直に認めよう。
今のは俺がアゴログンドに来てから一番の失言だったと。




