それは少女か化け物か(★)
まるで頭から真鍮が生えているみたいだった。
頭の左右、蟀谷のあたりから一本ずつ。
それはインパラの角のように根もとで捩じ曲がりつつ上に向かって伸びている。
が、右の角は先が折れていて、金属が砕けたような断面を晒していた。
ひと目でまったく手入れされていないことが分かる髪の毛も、真鍮を細く細く梳いたような色味をしている。今はボサボサで伸び放題だが、洗って櫛を入れてやれば本物の金属のごとく輝きそうなプラチナブロンド。
そのブロンドの下から、涙を湛えて見つめてくる瞳は青い。空の色だ。
俺はふたつの眼窩に嵌まった青空に囚われたまま呆気に取られて立ち尽くした。
──人間? いや、違う。
確かに見た目は人間の少女そっくりではあるものの、いつの間にか俺の右腕を抱きかかえた両手には鋭すぎる爪が生え、白い肌はところどころ鱗で覆われている。
髪の色よりもやや色素の薄い金の鱗は、少女の腕だけでなく体のあちこちを部分的に覆っていて……あ。ていうか、この娘……ひょっとして全裸じゃないか?
まだまだ成長途中と思しいふたつの胸の膨らみも、体毛の見られない下半身も、一部が鱗に覆われているせいで一瞬分からなかったものの。その鱗がない下腹部にはヘソが見えるし、痩せ細った胸部には肋骨が浮いているのが分かる──
「ちょ、あ、え……うえぇっ!?」
一体何から驚けばいいのやら、情報過多のあまりフリーズした頭で俺は仰け反り悲鳴を上げた。まずなんで檻の中に女の子がいるのか不明だし、けど人間なのかどうかも怪しいし、おまけにずいぶん痩せてるし全裸だしどうなってんだこれ!?
が、見るからにテンパりまくっている俺をよそに、少女は依然右腕を捕まえたまま、決して放そうとはしなかった。
それどころかそんなに力を入れたら折れてしまうのではないかと心配になるほど細い腕で、ぎゅうっと力いっぱい俺の腕を抱き締め顔をうずめる。いや、あの、何がどうなってるのかサッパリなんだがとりあえず──当たってますよ!?
俺の手の甲が、つまり、その、胸のやわらかい部分に!
とは言えこれは不可抗力、俺だって好きで触ってるわけではないというかむしろ偶然当たってしまいました的なアレであって、訴えられても強制猥褻罪やら迷惑防止条例違反やらには該当しませんよね弁護士さん!? 冤罪ですよね!?
「ほう、驚いたな。口もきけぬ化け物が涙を流すとは、さような人間の真似事ができたのか。泣き落とし……いや、あるいは色仕掛けのつもりか?」
ところが動転したままエア弁護士に向かって必死に無実を主張していると、不意に嘲りを含んだ声が響いた。そこでようやく我に返り、はっとして振り向けば、あれほど頑なに廊下との境界を跨ごうとしなかったフーヴェルオが一歩こちらへ踏み出してくる。途端に俺の腕を掴んだ少女の肩がびくりと跳ねた。
顔を上げ、乱れた髪の間からフーヴェルオを見やる瞳は怯えている。
体もガタガタと震えていて、奥歯が音を立てるのが聞こえた。
抱き締められた右腕からは恐怖がありありと伝わってくる。
ゆえに、俺は、
「おい、待て。話はまだ終わってないぞ」
そう警告するが早いか、近づいてくるフーヴェルオから少女を隠すように鉄格子の前に立った。右腕を掴まれたままなので多少動きにくいものの、少女が小柄なおかげでフリーダほど恵まれた体躯を持たない俺でも一応肉壁にはなれる。
「リュージ! 貴様、何度口を慎めと言えば……!」
「悪いな、フリーダ。俺はどちらかと言えばジェンダー問題には敏感な方だが、今はおまえんとこの皇帝陛下と男と男の話をしてる。女は引っ込んでろ」
「なっ……!」
「おい、陛下。俺は尊敬に値する相手にしかヘイコラできない社会不適合者でな。つーわけで無礼講でいかせてもらうが、あんた、なんで人間まで檻に入れて飼ってんだ? もしやそういうアブナイ性癖をお持ちで?」
「……ほう、興味深い発言だな。そなたにはソレが人間に見えるのか?」
今にも剣を振り翳して襲いかかってきそうなフリーダとは裏腹に、フーヴェルオは意外にも冷静だった。が、こいつもこいつで猫を被るのをやめたのか、口の端に薄い嘲笑を浮かべると、顎を上げて見下すような視線を投げかけてくる。
なるほど、やっぱりコレがこいつの本性か。とは言えフーヴェルオが投げかけてきた疑問にも一理ある。たった今、俺の背後で震えている少女は果たして人間か?
「……この娘が人間でなけりゃ、何だって言うんだよ?」
「言っただろう。其奴は化け物だ。人間と竜が交わって生まれた混血児。アゴログンドでも他に例のない、半人半竜のまざりものだ」
「は……半人半竜……!?」
馬鹿な。そんなことがありえるのか?
少なくとも地球における生物の法則では、遺伝子の構造が異なる異種間同士の繁殖は不可能だ。近縁種同士の交雑ならば稀に成功するものの──例えばライオンとトラの合いの子であるライガーや、ロバとウマの雑種であるラバなど──あまりにも遺伝的にかけ離れた生き物は交配できない。
これには染色体の数だとか糖鎖だとか難しい理由が色々あるのだが、とにかく人間のメスに犬の精液を注入しても決して人面犬が生まれたりはしないように、まったく異なる生き物同士が交わって合成獣が生まれるなんてことはありえないのだ。
だというのにアゴログンドでは、見るからに種族が違う人間と竜の間にも子どもが生まれるって? 何がどうなればそんなことが可能なんだ?
最初から分かっちゃいたが、ここでは地球の常識なんてまったく通用しない。
その事実を改めて思い知らされた俺は、愕然と言葉を失い立ち尽くした。
「其奴はそなたと同じく、母大樹の森で倒れていたのを狩猟団の者たちが見つけて連れてきた。ゆえに出自は定かならぬが、竜格の高い竜の中には人に化けるものがいる。恐らくはそうして人にまぎれた竜と、人間が交わって生まれたイキモノだろう。それを檻に入れて飼育していただけのことだが、何か問題が?」
「な……何か問題が? って問題しかねーだろーが! たとえ半分でも人間の血が入ってるってことは、この娘にだって人並みの知能や感情が備わってる可能性が高いってこったろ? なのに服も与えず檻にぶち込んで家畜同然に扱うとか、倫理観どうなってんだ!? 人権団体に訴えられるぞ!」
「……ジンケンダンタイ? 何者のことを言っているのか知らんが、今や大陸で唯一の皇帝たる私を裁ける者など居はしない。何故なら私こそが帝国の法であり、裁きを下す者だからだ。ヤマタ・リュージ。その私にそなたが働いた数々の無礼は、万死に値するぞ」
まるで地上の万物を睥睨するかのごとく顎を上げ、フーヴェルオは目を細めた。
ああ、二十一世紀生まれの俺には理解し難いが、これが世に聞く絶対君主制ってやつか。たったひとりの人間の言葉ひとつで人が死んだり、存在ごとなかったことにされる世界。ここでは人権という概念すらそもそもまだ生まれていないのだ。
つまり、アゴログンド人の知性は未だケモノにほど近い。
自身の群や縄張りを害する者は、問答無用で敵視し力で捩伏せる。
オオカミのような鋭い牙も、チーターのような瞬発力も、ゾウのような巨大さも持たない脆弱な人類が、生存競争を生き延びるべく手にした〝叡智〟という名の最大の武器を真っ向から否定した姿だ。
そう思うと、こいつらへの恐怖よりも哀れみの方が遥かに勝る。
ゆえに俺が無言で佇んでいると、フーヴェルオは何の抵抗もないのを不審に思ったのか、小首を傾げて口を開いた。
「どうした。墓碑に刻む言葉のひとつでも遺さんのか?」
「あー……それってつまり辞世の句を詠めってことか? なら俺は北条氏政の句が好きだ。吹きと吹く風な恨みそ花の春、紅葉も残る秋あらばこそ、ってな」
「……今、なんと申した?」
「いや。俺が単に北条氏政のファンだってだけの話だから気にするな」
「そなたの言動はほとほと理解に苦しむな。命が惜しくはないのか?」
「そりゃ死にたくはねえさ。けどな、ヒトって生き物は可能な限り争いを減らし、お互いに理解し合ったり、助け合ったりして種全体での存続を目指すべく言葉を手に入れた。なのにその言葉が通じないんじゃ為す術なしだろ。竜にとっての毒や、馬にとっての駿足みたいに、人間が生き残るための唯一の武器がソレなんだから」
こいつらとは生きる時代が違いすぎる。
ゆえにこれ以上は何を言っても無駄だろうと感じて、俺は運を天に任せた。
残念ながら俺にはこいつらを蹴散らして逃げられるだけの武器も腕っ節も土地勘もない。かと言ってここで命乞いをしたところで、檻に入れたまま飼い殺しにされる竜たちを看取る仕事を死ぬまでやらされるだけ。
だがそんなのは俺の飼育員としてのプライドが許さない。
やるからには竜と人間の本当の意味での共存を目指す。そのためにはこいつらの意識を変える以外に方法はないのだ。まあ、結果荒療治が過ぎて殺されそうになってるわけだが、こうまでしてダメなら俺にできることはもう何もない。
あとは一日も早く、アゴログンドでもフランス革命ならぬメアレスト革命が起こることを祈るだけだ。あの事件もまた人類が次の進化へ進むための切符を手に入れた、歴史の転換点だったから。
「……なるほど。この私に向かって吠えた度胸と言い、なかなかに気骨ある男のようだ。いや、あるいはただの無知ゆえの蛮勇か。どちらにせよよい見世物だった。よって──此度の不敬については特別に目を瞑るとしよう」
「な……!? へ、陛下!?」
ところが、数瞬の沈黙ののち。
俺に下った裁定は、まったく予想もしていなかった恩赦だった。
これには当の本人はもちろん、フリーダやお付きの兵士たちまで仰天している。
特に直前まで俺の首を刎ね飛ばそうと息巻いていたフリーダは目を白黒させて、急な心変わりを見せたフーヴェルオの背中に訴えかけた。
「へ、陛下、お戯れを……! 其奴はご聖旨に刃向かい、天威に傷をつけた不届き者にございます! それを何の罰もなくお許しになるなど……!」
「ほう。私の正気を疑うか、ゴンデシャル侯爵。さすれば不敬罪に問われるのは、此奴ではなくそなたということになるが?」
「い……いえ、滅相もございません……! 陛下のご慈心は聖母ソフィアさえも讃嘆する美質にございます。なれど其奴が陛下に働いた非礼の数々は、帝国の臣としてあまりにも許し難く……!」
「そなたの忠心は天晴れだが、しかしその志に偽りがないのなら、黙って矛を収めるべきではないのか。他でもないそなたの主君が、許す、と言っているのだぞ」
刹那、ぞっと背筋を舐め上げるような悪寒が走った。いきり立つフリーダを顧みたフーヴェルオの眼光はあまりに冷たく、表情ひとつ変えずに人を殺しそうなすごみを帯びている。もしやこれが世に言う〝殺気〟というやつなのだろうか。
唯一にして絶対の君主に睨まれたフリーダは、みるみる青ざめるとついに得物の切っ先を垂れた。森で見せたヒョウのごとき猛々しさはどこへやら、今のフリーダはまるで叱られた飼い猫だ。それを見て満足したのか、フーヴェルオは小さく鼻を鳴らすと、改めて俺を振り向き告げた。
「リュージ。そなたの亡状は度し難いが、言い分は理解した。ゆえに改めて勅を下そう。我らを得心させたいのなら、そなたの信ずる〝共存〟の形を我が前に示せ」
「……!」
「言葉を繕うだけならレウクロッタにもできる。矯飾の才しか持たぬ無能に興味はない。生き存えたくばせいぜい励め。使えぬ穀潰しだと分かれば即刻、先程の不敬の代償を払ってもらうぞ」
……くそ。相変わらず偉そうな態度と小難しい言い回しが鼻につく若造だ。
だがどうやらこいつは思ったほど話の分からない男でもないらしい。
さすがは大陸を丸々ひとつ治めているだけのことはある。オルンダルゴ大陸とやらがどれくらいの大きさなのかは知らないが、少なくとも日本やイギリスのような島国の規模ではないだろう。こいつは若いながらにそれを統治する皇帝なのだ。
とすれば相応の器を持っていて当然か。てっきり地位やメンツに固執する狭量な男かと思ったが誤解だった。今はまだこんなありさまではあるものの、こいつはこいつなりに本気で竜との共存を考えてる……ってことか。
そうだとしたら、俺も大人げない態度を取っちまったな。
すっかり威勢を透かされたばつの悪さを感じつつ、俺は一度頭を掻くと、心を入れ替えてフーヴェルオへと向き直った。
「あー……ご恩情に感謝します、陛下。さっきの非礼についてはお詫びのしようもございませんが、ご期待には必ず応えてみせますよ」
「ああ。そうあることを願っている。私を失望させるなよ」
不敵な口ぶりで最後にそう言い置くや、フーヴェルオは髪と同じ真っ赤なマントを翻した。そうして「行くぞ」と命じれば、フリーダも兵士も頭を垂れて粛々とあとに続く。もちろん去り際のフリーダからは殺意の眼光を向けられたが……まあ皇帝のお許しを頂戴したからには、とりあえず殺される心配はないだろう。
たぶん。きっと。恐らく。
「はあ……どうにか首の皮一枚でつながったが、こいつは前途多難だな。さてはて何から手をつけたもんかね……」
衰弱した竜の世話。劣悪な飼育環境の改善。共に働く飼育員の把握と掌握。
とにかくやることは山積みだ。早速作業にかからねば早々に無能のレッテルを貼られて、第二の人生からも強制退場させられかねない。
……とは言えまず、一番の問題はやっぱコレかな。
そう結論づけた俺は困って再び頭を掻きつつ、ちらと背後を振り向いた。そこでは未だ俺の腕を掴んで放さない半竜の少女が、涙目でこちらを見つめている。
▼インパラ
アフリカ東部~南部のサバンナに生息する中型ウシ科動物。体長120~160cm。
ウシの仲間は蹄の後ろに副蹄と呼ばれる踵のような蹄を持つが、インパラにはこれが存在しないため、本種のみでインパラ属を構成する。
なお日本国内でインパラを飼育展示している動物園はゼロ。
テレビのアフリカ動物特集などでよく取り上げられる動物であるため知名度は高いものの、飼育困難種であることなどを理由に輸入の目処が立っていない。
参考・画像引用元:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%A9
https://www.youtube.com/watch?v=IQ8FP5iGm9w
▼ライガー
父がライオンで母がトラの雑種動物。現在までに確認されている個体はすべて人工飼育下で誕生したもの。ライオンとトラの生息地は主にアジアとアフリカで分断されているため、野生下での交雑は現時点では確認されていない。
ライガーとは逆に父がトラで母がライオンの場合は「タイゴン」と呼ばれる。
なおライガー、タイゴン共に遺伝上の問題でオスはまったく繁殖力を持たない。
メスにはまれに繁殖力のある個体が発生し、ライオンやトラとの間に子をもうける場合がある。しかしさらに生まれた子はオス・メスともに生殖機能がないため、以後の繁殖はできない。日本では1994~2004年の間、宇都宮動物園(栃木県宇都宮市)にて飼育展示されていた。
参考・画像引用元:
https://en.wikipedia.org/wiki/Liger
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC
▼ラバ
雄のロバと雌のウマの交雑種。逆の組み合わせ(雄のウマと雌のロバの配合)で生まれる種は「ケッテイ」と呼ばれるが、ケッテイに比べてラバは育てるのが容易であり、体格も大きいため、古代から世界の広い範囲で飼育されてきた。
ライガーと同じく遺伝上の問題で繁殖力は持たない。
なお2021年現在、日本国内でラバを飼育している動物園は存在しない。
参考・画像引用元:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%90




