拝啓、母上様
「うーん……」
と腕組みをしてうなる俺を、向かいのソファの真ん中にちょこんと座った半竜娘が目を丸くして見つめていた。……うん。まあ、悪くない。
急遽用意できた服が皇宮のメイド服しかなかったせいで、若干の犯罪臭がしなくもないが、少なくとも全裸よりは遥かにマシだ。絶対に。
そこはセント・ソフィア宮殿の離宮に当たる〝竜の園〟と同じ庭園内にあるもうひとつの離宮。アルコル宮と呼ばれるその宮殿は、竜の園まで徒歩二十分くらいのところにあるかなり小さな建物で、俺はここを当座の住居とするよう命じられた。しかし宮殿と言えば聞こえはいいものの、どうやらアルコル宮はずいぶん長いあいだ使われることなく放置されてきた建物らしい。
竜の園のおまけのような形で佇むアルコル宮は、よく言えば歴史の重厚さを感じさせる建築物、悪く言えば古くて汚くて埃っぽい幽霊屋敷という感じだった。
現に俺たちが中へ踏み込んだときには、扉を開けるなり大量の埃が巻き上がってやばかったし。天井の隅や柱の陰は打ち捨てられたクモの巣だらけ。
ただ置きっぱなしの家具や美術品には埃避けの布が被せられていたおかげで、ソファやベッド、テーブルなんかは布さえ取ってしまえば辛うじて使えそうだった。
今日はそれらを使って何とか凌ぐとして、明日は大掃除からスタートだな……。
「しかしまあ、とりあえず檻から出して連れてきたはいいものの……」
正直竜の園の管理云々以前に、まず住環境の整備から手をつけなきゃならないという時点で頭が痛いのだが。加えて目の前に座る半竜娘の扱いに困った俺は、ひたすらにうなり続けていた。何しろ今、色褪せた若葉色のソファに向かい合って座る彼女は、見た目こそ少女に酷似しているとは言え生態不明の生き物だ。
聞いたところによればあるのは発声器官のみで、言語能力は皆無。ゆえに意思の疎通を図るのもひと苦労。おまけに小柄な見た目に反し、一度暴れ出すと手に負えないレベルの凶暴さを発揮して、既に何人もの怪我人を出しているという。
「見た目は人間なら十四、五歳くらい……か? そんな子にとりあえずメイド服を着せてる時点で事案だってのに、いきなりひとつ屋根の下で生活とか道徳的にどうなんだ……? 絵面的には完全にアウトだけどな……」
などとぶつぶつひとりごちながら、俺はため息と共に顔面を撫で下ろす。
が、そこで慣れ親しんだ頬の弛みや、ジョリジョリしたヒゲの剃り痕がないことに気がついて、あ、そういや俺若返ったんだった、とようやく思い出した。
精神年齢は五十六歳のままだから、どうも頭からすっぽ抜けてしまうのだが、今の俺ならこの子とふたり暮らしでも絵面的にはギリギリセーフか。
二十歳と十四、五歳なら、まあ、兄妹くらいの年の差だ。これなら小児性愛者と後ろ指をさされ、あらぬ噂を立てられる心配もないだろう……たぶん。
「いや、けど、果たしてこの子を人間として扱っていいのかどうか……」
などと悩みながら、俺は改めて少女を見やる。
アルコル宮へ移ってからの数時間でボサボサだった髪の毛は整えられ、スッキリとしたショートボブに。汚れていた体も風呂に入れてしっかり清め、一応人間性と呼べ得るものを附与することには成功した。
だが人間と他の生き物の合いの子なんて、果たしてどう扱うのが正解なのか。
見た目はほとんど人間だから、どうしてもヒトとして面倒を見たくなってしまうが……そうすることが彼女にとって最善なのかどうか分からない。
何故なら彼女はアゴログンドでも他に例のない存在だとフーヴェルオが言っていた。それだけでも差別や迫害の対象になり得ると言うのに、ただでさえ竜が虐げられている世界で、竜と人間のハーフがヒトとして認められるのか?
日本では昭和五十年代まで、様々な身体的障害を持って生まれた人々が〝ヒト〟ではなく〝見世物〟として扱われていた例もある。
現状、生命の尊厳などなきに等しいアゴログンドで、下手に人間社会への適応を促せば、この子もまた同じような末路を辿ってしまうのではないか……。
実際、竜の園ではもっと最悪な形でそうなりかけていたわけだし……かと言ってヒトの姿をした彼女を〝野生に帰す〟ってのもなんか違うよな……。
「うーん……せめて出自だけでも分かればなあ。俺と同じで母大樹の森にいたところを拾われたって話だが、親はどうしたんだ? 森ではぐれたのか、あるいは捨てられたのか、死別したのか……」
「……?」
「……仮に身体の成長速度が人間と同じだとして。この歳まで言葉を喋れずに育ったってことは、やっぱり幼くして親とはぐれたと考えるのが順当だよな。口のつくりは犬歯が鋭い以外は俺たちと同じに見えるし、舌や首の形状も違わないから、喋ろうと思って喋れないことはないはず……」
「う……うー……?」
「……なあ。おまえ、名前は? 俺は竜司。竜司だ。分かるか?」
ええい、こうなったらダメで元々。まずは言葉を教えるとこから始めてみるか。
仮に言語を習得できるだけの知能があるならば、言葉を教えることで意思の疎通を図り、彼女自身から情報を引き出せるかもしれない。
親御さんの名前や出身地なんかが分かれば一緒に親を探してやれるし。
何より本人がどうしたいのか、考えを聞くことだってできるしな。
「ほら、呼んでみ。竜司だよ。りゅ・う・じ」
「……?」
「りゅ・う・じ。リピートアフターミー?」
などと意味なく英語なんかも交えつつ、俺は自分自身を指差して何度も名乗るのを繰り返した。が、どんなに根気強く呼びかけても、少女は首を傾げるだけで一向に真似する気配がない。うーん……さすがにそううまくはいかないか。
だとすりゃもっと他のやり方を考えないとな……と、思った矢先、
「リュ……ジ……?」
「!」
「リュー、ジ……リュージ……?」
「おおっ……! そう、リュージ! 俺はリュージだ! なんだおまえ、やればできるじゃねえか! えらいぞ!」
やっぱり喋れた!
ぎこちないながらも俺の名前を唱えた少女に、年甲斐もなくはしゃいでしまった。だがまるでオウムに言葉を教えることに成功したときのような気分だ。
とは言え今はご褒美としてあげられるものもない。
オウムやインコなら鳴き方を覚えるのはコミュニケーションの一環だから、わざわざご褒美をあげなくとも飼い主が喜ぶだけで鳥も喜ぶ。
が、この子の場合は他者とコミュニケーションを取った経験が希薄なはずだ。
だからご褒美がなければ自分は今、褒められているという認識が生まれないかもしれない。そこで俺は身を乗り出し、少女の頭を撫でてやることにした。
何故なら母大樹の森で出会った白竜も、頭を撫でられると安心した様子を見せていたからだ。何より哺乳類の多くは毛繕いによって親愛の情を伝えるものだし。
「……っ!」
ところが俺が手を伸ばすと、少女は怯えた様子で肩を竦めた。人間の手を見て怯えるということは、打たれる……と思ったのか。つまりこの子は日常的に、殴られたり打たれたりという虐待を受けていたということ。そう思ったら俺は喉がきゅっと窄まるのを感じ、同情なんて言葉だけでは言い表せない痛みを覚えた。
「……よしよし、大丈夫だ。いい子だな、おまえは。怖がらなくていいんだぞ」
ゆえに俺は数日前、森で白竜にもしたように、可能な限りやさしい口調で言葉をかけた。そうしながらゆっくりと、繰り返し頭を撫でてやる。
風呂に入るまではあんなにごわごわだった金髪は、どこか金属を思わせる色艶に反してやわらかかった。子猫の毛並みを思わせた白竜の鬣の感触と似ている。
そういやあの白竜は、あれから無事でいるだろうか。
俺が束の間そんな物思いに耽っていると、少女の体の硬直が解けた。
そして頭を差し出すようにうつむきながら、気持ちよさそうに目を細めている。
……うむ。どうやら俺の予想は正しかったようだな。
「……で、肝心のおまえの名前は?」
とひとしきり頭を撫でてやったあと、俺は再びソファの上に落ち着いてそう尋ねた。少女はまたしても首を傾げているが、その仕草が今は、俺の意図を理解すべく集中しているように見える。だから俺は自分と彼女を交互に指差し、ゆっくりかつはっきりとした発音で繰り返した。
「俺、リュージ。おまえは?」
「……」
「リュージ。……。リュージ。……」
「リュージ……」
そんなやりとりを何度か続けると、少女が俺の動きを真似るようにこちらを指差し、次いで自分を指差した。そこでようやく俺の質問を理解したらしい。
「イ……ヴ……」
と、ほどなく少女の口から漏れた言葉に、俺は耳をそばだてた。
「イ、ヴ……イヴ。リュージ。イヴ。リュージ……イヴ!」
「イヴ? そうか、イヴか。そいつがおまえの名前なんだな?」
「イヴ、イヴ! リュージ、イヴ!」
「よし……! 自分の名前が分かるってことは、やっぱり親がいて名前をつけたんだ。いいぞ、これで一歩前進──のわあっ!?」
ところが俺が、我が意を得たりとガッツポーズを決めた刹那。
突然、少女──いや、ここからはイヴと呼ぼう──がローテーブルの向こうから身を乗り出したかと思えば、喜び余って俺に飛びついてきた。
当然ながら、完全に不意を衝かれた俺に抵抗の余地はなく。イヴの体重と勢いを受け止めきれなかった俺は、呆気なく押し倒されてソファの座面に転がった。
「リュージ、リュージ!」
「お、おい! おまえ、ろくにメシも食ってないのにどこからそんな力が……!」
痩せぎすな肉置きは、どう見てもイヴが栄養失調に陥っていることを物語っている。にもかかわらずすさまじいパワーで俺を押し倒したイヴは、腹のあたりに馬乗りになり、嬉しそうにへにゃっと笑ってみせた。
が、それだけならまだ「しょうがないやつめ」で笑って済ませられたものの。
問題はイヴが俺の上に覆い被さり、頬に額を擦りつけてきたことだ。
さながらネコが頭をすりつけて甘えるように、ゴロゴロと喉まで鳴らして。
「ちょっ……おまっ……!?」
ヒトに近しい姿でありながら、額に臭腺を持つかのような行動と、ネコのごとく喉を鳴らせる新事実。その時点で驚愕のバーゲンセールだというのに、愛らしい少女の姿をしたイキモノに抱きつかれ、すりすりされているという現状に俺は大いにパニクった。ま、待て……待て待て待て待てッ!!
恐らくこれは竜の血に刻まれた本能的行動なのだろうが、絵面がまったくよろしくない! よろしくないどころか犯罪まである!
というか何なら顔が近すぎて、このままだと唇と唇が触れる──
「──リュージ。貴君に言われたものの用意ができたが……」
ところが俺がイヴを引き剥がすよりも一瞬早く。頭の上でガチャリと扉の開く音がして、見覚えのある男がひとり、かつての談話室らしき部屋に入ってきた。
やつの名はギゼル・ブルグント。フリーダに側近として仕える若き竜狩人だ。
が、ギゼルは扉を開けるなり目に飛び込んできた衝撃の光景に動きを止めた。
かと思えばしばし無言で俺とイヴの痴態を見つめたあと、真顔のまま踵を返し、皇属竜狩猟団の証である緑のマントを翻す。
「……失礼。邪魔をしたようだ」
「ちっ違う!! 誤解だギゼル!! そんな目で俺を見るなァァァ!!」
かくして前途多難な俺のアゴログンド生活は幕を開けた。
猥褻物陳列罪やら迷惑防止条例違反やら監護者猥褻罪やら、転生早々、きわどい犯罪の未遂を繰り返したりもしたけれど。
母さん、俺は元気です。




