奴隷デビュー
幼気な少女の姿をしたイキモノが手掴みで生肉にがっつくさまは、何とも言えない感慨を俺の胸に芽生えさせた。
「まあ、うん……ある程度予想はしてたけれども……」
真新しいクロスがかけられた食堂のテーブルには、それぞれ生肉、茹でた肉、生魚、焼き魚、そして野菜や果物の盛られた皿がある。
イヴはその中から真っ先に生肉へ飛びつくと、文字どおり飢えた獣のごとくガツガツと食い始めた。このヒトと竜の合いの子が何を好んで食べるのか分からなかったから、とりあえず無難な食べ物を一式揃えてみたのだが、やはりというか何というか血の滴るお肉にしか興味がないようだ。
猛獣のように発達した犬歯を見た時点で、恐らく肉食なのだろうなという予感はあったものの。同じく鋭い犬歯を持つサルやクマのような雑食性を見せてくれるかもというわずかな期待も捨てていなかったというか、むしろそうであることをひそかに願ってたんだけどな……。
「……なあ、ギゼル。竜ってのは基本的に肉食なのか? 雑食や草食の竜は?」
「肉以外のものを食べる竜もまったくいないわけではないが、我々の知り得る限り現存する種の大半が肉食だな。だから先帝陛下も竜族の存在を危険視され、地上からの駆逐を試みられた。竜族狩り以前は年を追うごとに、竜に捕食される人間や家畜の数が増え続ける一方だったそうだ」
「なるほどね……つまり竜は大半の種が自然界における頂点捕食者ってわけだ。恐竜みたいに種の中で多様化して捕食者と被捕食者に枝分かれしたわけじゃない。哺乳類や魚類、両生類、虫類なんかをエサとする生まれながらのハンター、か……」
「頂点捕食者?」
「そ。生態ピラミッドの頂点に君臨する、自然界で最も天敵の少ない捕食者だ。アゴログンドで竜を狩る生き物はいないだろ?」
「いいや、我々人間がいる。人間以外の生き物が竜を狩りの対象とする事例は、今のところ確認されていないが……」
「けど、人間は生態系の循環に寄与しない。つまりピラミッドからはずれた異端者だ。それを頂点捕食者とは呼ぶまいよ。食うために竜を狩ってるわけでもないし」
「生態系の循環……とは?」
「めちゃくちゃ単純な言い方をするとすれば、馬みたいな草食獣は木や草を食べるだろ。そしてその草食獣を肉食の獣が食う。んで、肉食獣が寿命やなんかで死ぬと死骸は時間をかけて土に還り、肥やしとなって草木を育む。そうして増えた植物をまた草食獣が食う……ってな具合のサイクルさ」
「……」
「けど人間は死んでも土に還らんし、植物の種を運んだり受粉を手伝ったりもしないだろ。あ、いや、鳥葬や水葬をするってんなら話は別だが」
「チョウソウ……というのが何かは知らんが、我々は死者をきちんと土に還している。ならば貴君の言う〝循環〟とやらに人類も寄与しているではないか」
「へえ。メアレスト帝国じゃ、死人は棺にも入れずに野山で土葬するのかい? 俺の言う〝土に還る〟ってのは文字どおり大地の一部となって草木の肥やしになるってことだ。墓を立てて鄭重に埋葬するんじゃ、そうはならないよな」
と、イヴがまったく目もくれない焼き魚の切り身をフォークで突き刺し、俺も口へ運びながらそう答えれば、途端にギゼルは黙りこくった。
まあ、そりゃそうだろう。なんたって地球人類ですら、マヤやエジプトといった古代文明の時代から、死者は壺や棺に入れて埋葬してるんだから。
なら、中世~近世ヨーロッパに酷似した生活様態を持つアゴログンド人が、鳥葬や水葬といった葬法を取っているとは考えづらい。
とは言えヨーロッパ圏で土葬が主流なのはキリスト教の影響だから、異世界の帝国ならワンチャン違う可能性もあるかもと思ったんだがな。
部屋の隅に佇んだギゼルが心なしか悔しげに黙り込んでいるところを見ると、俺の指摘は恐らく図星だったんだろう。
「リュージ」
ところが火を通しただけでまったく味つけされていない魚の切り身を、せめて塩がほしいな……と思いながら俺が咀嚼していると、不意に名前を呼ばれた。
気づいてふと顔を上げれば、丸いテーブルの向かいに座ったイヴが物欲しそうな上目遣いで俺を見ている。……ああ、生肉の皿をもう空にしちまったのか。
茹でた方の肉は……どうやら食べたくないみたいだな。本能的に生肉以外には手を伸ばさないってことは、体内の消化器官が人間ほど発達してないのか?
もしイヴの内臓には植物を消化する機能がないのだとすれば、逆に生肉以外は与えない方がいい。野菜や果物は与えるだけ無駄ということになるし、加熱した肉は肉食動物が健康維持のために必要とする栄養素も壊れてる場合が多いしな。
「エレノア。厨房に運び込んだ肉はこれで全部か?」
「いえ……まだ少しだけ残っています」
「ならそいつを生のまま持ってきてもらえるか。あと、塩とかの調味料なんかもあると助かるんだが……」
「……畏まりました。少々お待ち下さい」
そう言って俺に深々と一礼したのは、深い紫色の髪を前髪ごとひっつめて三つ編みにした三十がらみの女だった。
彼女の名はエレノア。竜の園で働く奴隷のひとりだ。
と言っても彼女の役割は飼育員ではなく、飼育員として駆り出される男どもの世話。奴隷たちはアルコル宮ではなく竜の園と呼ばれる離宮の二階部分で暮らしていて、彼女はそこの下女として炊事や洗濯、掃除などを任されているのだった。
……というかそもそも、アングロサクソン系の人種しかいないアゴログンドに奴隷がいることが驚きなのだが。何でもメアレスト帝国の上流階級や富裕層に使われる奴隷の大半は、かつて帝国の天下統一に抗った国の人々の子孫らしい。
エレノアも外見的には城下町で見かけたメアレスト人とほとんど変わらないのに、右手首には奴隷の証である真鍮の腕輪が嵌められている。
ちなみに俺もさっき、エレノアがイヴを風呂に入れてくれている間に同じものをつけられた。接続部分に小さな鍵穴がついていて、鍵がないとはずせない代物だ。
つまり俺もこれにてついに奴隷デビュー!ってわけだな。くそったれ。
俺は暗い目をしたエレノアが厨房へ引き取っていくのを見送りながら、俺たちの監視役であるギゼルをちくりと睨んだ。優男という言葉が服を着て歩いているかのようなこの男は、皇属竜狩猟団の団長であるフリーダの従弟にして腹心だ。
もともと皇宮での奴隷の監視は皇属近衛騎士団と呼ばれる軍隊の兵士が担当しているらしいのだが、園で俺が働いた無礼の数々に怒り心頭のフリーダは、皇帝の許可を得て自身の側近に監視を命じた。すなわち俺がまた何かやらかせば、即座に手打ちにできる状態を所望したというわけだ。
まったく失礼しちゃうぜ。竜の園で啖呵を切ったのは、皇帝の目的を叶えるために必要だったからであって、つまり俺なりの忠誠心の表れ……という解釈ができなくもないような気がしなくもないのだから、見逃してくれてもいいだろうに。
「……なんだ、その目は。私に何か文句があるのか?」
「いや、別に。ただどうせ監視されるなら、美人な姉ちゃんが来てくれた方が嬉しいなあと思っただけで……」
「馬鹿を言うな。半竜人に手を出すほど見境のない男のもとに、女性の監視者などつけられるはずがなかろう」
「だからさっきのは誤解なんだって! あれはただのスキンシップ! しかもわりと一方的な! でもって俺はどちらかと言えば被害者なの! アンダスタン!?」
「ふん。母大樹の森でも狂態を晒していた貴君が言ったところで、説得力がない」
「異議あり! あれだって自衛のために仕方なくやったことであってな……!」
「とにかく。奴隷の身分でしかない貴君にこうして離宮を与え、対等に言葉を交わすことを許している時点で破格の待遇なのだ。それを感謝されこそすれ、不満を言われる筋合いはない」
「いや、離宮を貸してくれたのはあんたじゃなくて皇帝陛下じゃ……」
「何か言ったか?」
「いえ……おっしゃるとおりです、ブルグント伯爵令息……」
これ以上こいつの機嫌を損ねれば、フリーダに要らぬ讒言を吹き込まれて、今度こそ喉笛を噛み千切ってやると殴り込まれるかもしれない。ゆえに俺は三十歳以上も年下の若造にへつらわねばならない屈辱に震えながらも、反論したい欲求を押し殺した。まあ、身体年齢は誰がどう見てもギゼルの方が年上だしな……。
「……ところで、竜の園の管理に着手する前に、他にもいくつか訊いておきたいことがあるんだが」
「何だ。私に答えられることなら答えよう」
「まず園の現状を見るに、衰弱した竜が多すぎる。あの様子じゃ単なる栄養失調ってだけでなく、何らかの病気を発症してる個体もいるだろう。それを助けるには医者がいる。メアレストには竜の病気を治せる獣医はいるか?」
「いや……そもそもフーヴェルオ三世陛下が即位されるまで、帝国では竜を保護したり助けたりすることは厳しく禁じられていたからな。竜を診られる医者というのは、帝国広しと言えどまずいないんじゃないか?」
「えっ……な、なら何か、竜の生態や病気について書かれた研究書とかは? 竜族狩りの前には竜と一緒に暮らしてた人間だっていたんだろ? だったら……」
「残念だが、竜に好意的な内容が記された書物はすべて禁書として先帝の時代に没収され処分された。その他に竜について記述されている書物と言えば我々竜狩人が教材とする竜殺しの指南書や、人類と竜の戦いの歴史を記した歴史書、あるいは真偽のあやふやな冒険記くらいだな」
「は……はあ~!? なんだそりゃ、焚書坑儒かよ!?」
「フンシ……何だって?」
「やってることが紀元前の中国レベル! いや、二十世紀にヒトラーも似たようなことしてたけれども!」
「……貴君はさっきから何を言っている?」
「先人から受け継ぐべき知識という名の財産を、空き缶みてえにポイされたことを嘆いてんだよ! ああ、獣医もいない、参考にできる資料もないってんじゃ、どうやってあの竜たちを救えばいいんだ……今のままじゃ確実に全滅だぞ……」
俺はテーブルに左右の肘をつき、文字どおり頭を抱えた。
ただでさえ大陸全土で竜の個体数が激減し、捕獲もままならないというのに、辛うじて園に収容できた個体まで失ってしまうのは何としても避けたい。
しかしそのためには竜を診られる獣医の存在が不可欠だ。
俺はあくまで飼育員であって獣医師免許は持っていないし、仮に持っていたとしても、地球の獣医学がまったく未知の生物である竜に通用しようはずもない。
だから竜の生態に精通し、あわよくば怪我や病気の治療もできる人物の協力が必要なわけだが……今のギゼルの話を聞く限り、状況は絶望的だ。
こうなったら普通の獣医でもいいから掴まえて、アゴログンドの獣医学を竜にも応用できないか試してみるべきか?
とは言え日本に獣医学という概念が輸入されたのは明治時代、つまり近代になってからだ。文明レベルがフランス革命以前で止まっているアゴログンドで、実践的な知識と技術を兼ね備えた獣医師なんて見つけることができるんだろうか?
再び呻吟する俺を、向かいからイヴが心配そうに見つめているのが分かった。
腹が減りすぎて弱っているとでも思ったのだろうか。
そこへエレノアが生肉の乗った追加の皿を持って現れると、そいつと俺とを見比べて、数瞬悩んだのちに皿ごとこちらへ差し出してきた。
「リュージ!」
……驚いたな。自分が空腹でも、弱った仲間にエサを譲る社会性もあるのか。
ってことはイヴの片親である竜は群で暮らす種だったのか?
あるいはそちらはヒトとしての本能が為せる技か。どちらにしても、俺はイヴの純粋な気遣いが嬉しいやら申し訳ないやらで、思わず顔を上げて苦笑した。
「いや、俺はいいよ。おまえの方が腹減ってるだろ。遠慮せずにたんまり食え」
「んー……んー……!」
「ほら、俺は魚があるからさ。大丈夫だって。そいつはお前の肉だ。ただし食い終わったらちゃんと手ェ洗えよ。肉汁まみれのままあちこち触られちゃ困るからな」
俺は一生懸命生肉を分け与えようとするイヴの前で、焼き魚の切り身にエレノアが運んできた塩を振りかけ、ぱくりと口に入れてみせた。
するとイヴはただでさえ大きな空色の目をまんまるにして「えっ……それ、食べれるの?」とでも言いたげな顔をしている。まあぶっちゃけ、俺も自分がいま食ってる魚が何という魚なのか、まったく知らずに食ってるわけだが。
少なくとも食卓に出されたってことは食えるんだろ、たぶん。脂は少なく、サッパリとした川魚みたいな味で、どことなくイワナやヤマメを彷彿とさせる。
唯一気になる点があるとすれば、炭火でパリパリに焼かれた皮が、エレノアの髪と同じ紫色をしてることか。……俺、マジで何食ってんだろ。
いや、こういうのは深く考えたら負けだ、うん。これでも一応、タイのバンコクへ研修に行ったときには、親しくなった現地の生物学者に満面の笑みで押し切られて、サソリやタランチュラを食うという経験もしてるしな……。
「んん……」
が、どうやら俺が焼き魚を頬張るのを見て納得したらしいイヴは、生肉の皿と俺とをもう一度だけ見比べると、いそいそと食事を再開した。
真っ赤な肉の塊にかぶりつき、とろけそうな顔をしているさまは嬉しそうで何より……と言いたいところだが、やはり若干のホラー臭を感じなくもない。
果たしてこの子の親は娘にどういう教育をしたのだろうか。
少なくとも人間ならば、娘が喜々として生肉を食い千切る姿なんて公にできないと戦慄し、せめてフォークを使う等のしつけを施しそうなものだけどな……。
「……何にせよ、やっぱ圧倒的情報不足だな」
園の管理に臨むにしても、イヴの親を探すにしても。
俺はアゴログンドや竜のことを知らなすぎる。
まずはその問題をどうにかしなければ、竜の飼育どころじゃない。
かと言って足で稼ぐにしても、頼るべき相手の情報すら皆無だしな……。
「獣医師、ではないが」
ところが俺が手にしたフォークの先をじっと見つめて考え込んでいると、不意にギゼルが声を上げた。「え?」と我に返って振り向けば、榛色の髪を整髪油でバッチリ決めた貴公子が、格子の嵌まった窓の外に視線を向けながら言う。
「ひとり、魔獣の研究をしている竜術師なら知っている。竜の研究は専門外だと思うが、彼女なら何か有益な情報を提供してくれるかもしれない」
「えっ……ほ、本当か!? けど、マジュウ……いや、マジカリストって?」
少しでも竜にまつわる情報が手に入るなら藁にも縋りたい心境ではあるものの、何せ馴染みのない単語が多すぎる。ゆえに俺がまずそう尋ねると、ギゼルは迫真の呆れ顔をこちらへ向けて、露骨なため息をついてみせた。
「……貴君は記憶があるのかないのか、まったく掴みどころがないな。記憶喪失という話が嘘なら、すぐにでもフリーダ様にご報告申し上げようと思ったのだが」
「い、いや、俺の記憶喪失はいわゆる部分健忘ってやつで……自分の名前とか一部の知識は覚えてるが、それ以外のことはサッパリな感じのアレというか……」
「はあ……まあいい。とにかく、フリーダ様の……いや、陛下の悲願を一日も早く成就させるためならば、不本意ながら紹介しよう。稀代の魔獣学者と謳われる天才竜術師──テリサ・アリスターをな」




