踊りな毛玉って…。
反響というものを、私はそれまで葉書一枚の重さでしか知らなかった。
第二回の取材から戻ると、編集部の机に段ボール箱が載っていた。
編集長が中身をひとつかみ取り出し、机の上に放った。
「うちの猫も踊る、が四百十二通だ」
写真の大半は、後ろ足で立って棚の上の何かを狙っている猫だった。
掃除機と闘う猫が踊りの名手として紹介され、金魚も踊りますという便りがあり、夫は踊りません、とだけ書かれた葉書もあった。
タンゴは箱の縁に座り、審査員の顔つきで一枚ずつ前足で脇へよけていった。
その前足が、ある葉書の上で止まった。
瀬戸内の島に住む小学五年生からだった。
鉛筆の大きな字で、おじいちゃんの物置から出てきた帽子を犬にかぶせたら歌いました、とある。
添えられた写真には、老いた柴犬が縁側で寝ていた。
頭には赤いフェルト帽が載り、耳を通す穴がふたつあけてあった。
猫の羽根がぴんと立った。
「捨てたまえ」
「知っている帽子なのか」
私が尋ねると、タンゴは箱の縁から降りて、こちらに背を向けた。
「小生は犬が嫌いだ」
答えになっていなかった。
谷口さんに電話をすると、赤い帽子に心当たりはないが、一座にいた三味線の小寺さんは確か島の人だったと教えてくれた。
葉書の差出人の姓は、小寺だった。
編集長は地図の上の島を指で叩き、経費は犬のぶんまで出すと言った。
フェリーの甲板で、タンゴは一度も海を見なかった。
港には少年が老犬を連れて待っていた。
小寺陽太と名乗った彼は、ランドセルから赤い帽子を出して、半分眠っている犬の頭に被せた。
白く濁りかけた目が開いた。
「やっと来やがったか、毛玉」
酒焼けしたような嗄れ声だった。
谷口さんの手が、私の腕を強くつかんだ。
「相変わらず品がないな」
「あんたも相変わらず小せえや。おう、そちらが丹後の姐さんかい。あっしは三味線の爺さんの箱ん中で、ずいぶん寝かされてたもんでね」
犬は尻をゆっくり持ち上げ、海のほうへ顎をしゃくった。
「踊りな、毛玉。踊らにゃ来たことになるめえ」
防波堤の上は西日で赤かった。
タンゴは舌打ちのような音を立て、コンクリートの上に立った。
いつになく固い足取りだったが、拍は正確に刻まれていった。
右、右、左と運んで、拍が空く。
その空いたところへ、嗄れた声が、はあ、と入った。
私は息をのんだ。
声はただの掛け声ではなかった。
節があり、海の向こうへ長く引いて、次の拍の手前ですっと消える。
足音と声とが交互に出ては引き、猫の踊りは、私の知らない大きな歌の一部になっていった。
陽太が口を開けて見ていた。
三拍子ぶんの波が、防波堤の下で合いの手のように鳴った。
踊りが終わっても、誰もしばらく動かなかった。
谷口さんが、ぽつりと言った。
「空いていたのは、歌の場所だったのね」
杖を握る指が白くなっていた。
「わたし、あの四年間、よその席に座っていたのかしら」
タンゴは犬を見なかった。
海を見たまま、帽子のつばを前足で押さえた。
「そこは丹後の席だ。そこの犬は、席の横で騒いでいるだけだ」
谷口さんは何も答えず、目を伏せて小さく笑った。
犬が喉の奥をくつくつと鳴らした。
「言うねえ、毛玉。三十年寝てたあいだに、ずいぶん口が上手くなったじゃねえか」
潮風が赤い帽子のつばを揺らした。
いつの間にか、陽太が遠慮がちに片手を挙げていた。
「あの、物置に、箱がもうひとつあるんですけど」
タンゴの羽根が、また、ぴんと立った。




