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踊る喋る猫と男の秋旅行計画  作者: みなと劉


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3/11

お連れの方とは?

 三日目の宿は川の向こう岸にあり、渡し舟でしか入れなかった。

 手帳の「踊る場所」の欄は、朝のうちに二重線で消され、猫の口述どおり「稽古」と書き直されている。

 団体の入らない平日で、宿の広間は好きに使ってよいと帳場が言った。

 六十畳の奥に金屏風とカラオケの機械が据えてあり、その手前で、タンゴは尾を畳に打ちつけて拍を取り始めた。

「右、右、左。そこで小生の足が空く。空いたところへ君の右を入れる」

 理屈は三歳の子どもにもわかる。

 ところが私の足は、四十七年間、歩くことにしか使われてこなかった。

 三拍目で左右がわからなくなり、四拍目には自分の足が何本あるのかも怪しくなる。

「いま踏んだので九回目だ」

 猫は尾を引っ込めて、私を見上げた。

「踏まないように避けてくれてもいいだろう」

「踊りの最中に避ける者があるか」

 そこへ襖が開いて、布団の相談に来た仲居が顔を覗かせた。

 彼女は、浴衣の裾をからげて畳を踏み鳴らす中年の男と、その正面に座っている帽子の猫を、順に見た。

 そして何も言わず、音を立てないように襖を閉めた。

 夕食の膳には、頼んでいない燗酒が一本ついていた。

 稽古は食後も続いた。

 十何回目かに足がもつれたとき、タンゴが短く舌打ちのような音を立てた。

「考えるな。押し棒を思い出したまえ」

 言われるまま、体の重みを前へ預けた。

 奈落の土を踏んだときのように、ただ次の一歩へ体を運ぶ。

 すると右足が、自分の知らないうちに、空いた拍の中へ落ちた。

 とん、とん、たん。

 足音が、初めてひとつの形に閉じた。

 穴の埋まった拍は、もう別のものになっていて、畳の下まで響いて戻ってくるように思えた。

 猫の足が止まった。

 尾も止まっていた。

 天井の蛍光灯がかすかに鳴る音だけが、広間に残った。

「半拍遅い」

 しばらくして、猫は言った。

「丹後は、もっと手前で入った」

 その名を猫の口から聞くのは初めてだった。

 尋ねたいことは山ほどあったが、相手が自分から話し始めたときは黙っているものだと、この仕事で覚えた。

 タンゴは六十畳を端から端まで、ゆっくりと見渡した。

「ちょうどよい広さだ」

 節回しが違っていた。

 猫の声のまま、誰かの口ぶりをなぞっている。

「どこへ行っても、あれはまずそう言った。駅前でも、神社の軒下でも、港の魚箱の上でも。そう言ってから、小生を呼んだ」

 私は畳の上に立ち尽くしていた。

 あの一文は、取材先で猫が呟いたのを面白がって書き留めたものだ。

 二年間、自分の思いつきのような顔をして、毎号の記事に紛れ込ませてきた。

 タンゴはそれきり口を閉じ、金屏風の前で丸くなった。

 帽子は被ったままだった。

 夜更けに目が覚めると、川の音が部屋いっぱいに満ちていた。

 私は布団を抜け出し、手帳の裏の紙入れから一枚の葉書を取り出した。

 読者からの便りはこれきりなので、捨てられずに挟んであったのだ。

 長野の女性のあの葉書である。

 差出人の住所を読み、それから手帳の四日目の欄を開いた。

 同じ町の名が書いてあった。

 机の上の地図で、猫がいちばん長く座っていた場所だ。

 文面は覚えているつもりだった。

 だが読み返してみると、ちょうどようございました、のあとには続きがあった。

 ただ、ひとりでは少々広うございました、と書かれている。

 結びの一行は、届いたときに決まり文句として読み流していた。

 お連れの方にも、どうぞよろしくお伝えくださいませ。

 私の記事に、連れが出てきたことは一度もない。

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