小生が書くとしよう
読者諸賢に申し上げる。
今月の筆者は記者ではない。
記者は東北の山あいの宿で三十九度の熱を出して寝ており、締切は明後日に迫り、編集長は電話口で、誰でもいいから書けと言った。
誰でもいいのなら、小生が書く。
キーは前足でひとつずつ押している。
誤字があれば、それは肉球の幅のせいであって、小生の教養のせいではない。
まず、連載開始以来の誤解を正しておきたい。
記者は小生を猫と書くが、正確ではない。
煮干しを好み、窓辺で眠り、帽子を取ればただの茶色い毛の塊に戻るのは、下の者である。
小生は、下の者が帽子を被ったときに現れる何者かであって、何者かと問われても困る。
下の者は若く、足が速く、字が読めない。
小生は字が読めるが、鰹節の味は下の者の舌を借りなければわからない。
持ちつ持たれつというやつだ。
さて、七つの秋の最初の旅は、到着の晩から躓いた。
記者が湯から上がるなり、脱衣所で倒れたのである。
医者の見立ては質の悪い風邪で、三日は起きられないという。
手帳の「踊る場所」の欄には、裏山の廃校の校庭と書いてあった。
谷口女史の膝で登れる坂ではない。
女史は記者の額の手拭いを替えながら、窓の外の山を見て言った。
「行っていらっしゃい。旅先で踊らなかったら、あなた、ただの毛皮でしょう」
口の減らない人である。
小生は宿を出て、ひとりで坂を登った。
ここで告白すると、自分の足で長い距離を歩くのは久しぶりだった。
世界は思いのほか低かった。
肩の上から見ていた紅葉は、下から見ると根本ばかりで、落ち葉は顎の高さまで積もり、道の先がまるで見えない。
記者という男は、歩き方に品はないが、乗り心地だけは悪くなかったのだと、不本意ながら認めざるを得ない。
校庭には錆びた鉄棒と、傾いた百葉箱があるばかりだった。
小生は真ん中に立ち、礼をして、踊り始めた。
右、右、左と運んで、空ける。
そこへ杖の音は来ない。
遅れた靴の音も来ない。
三十何年かはそれが当たり前だったはずなのに、拍の穴に山の風だけが通っていくのが、どうも落ち着かなかった。
踊り終えて校庭を見渡し、いつもの一言を述べようとして、小生はやめた。
嘘は書かない主義なので、ここには事実のみ記す。
少々、広かった。
宿へ戻ると、夜になっていた。
女史は椅子で居眠りをし、記者は赤い顔で眠っていた。
欄は埋めたのだから、踊りの義務はもう済んでいる。
それでも小生は、枕元の畳の上に立った。
理由は特にない。
下の者の足が冷えていたので、温めようとしたのだろう。
音を立てぬよう、足の裏だけで拍を運んだ。
右、右、左と置いて、空けたとき、布団の端から出ていた記者の指が、こつ、と畳を打った。
眠っているのである。
小生はもう一度運び、空けた。
こつ、とまた指が鳴った。
熱にうかされた男の人差し指が、誰に命じられたわけでもなく、拍の穴を探り当てて入ってくる。
相変わらず半拍遅い。
ただし去年に比べれば、四分の一拍ほど縮んでいる。
編集長に依頼する。
この段は本人の目に触れる前に削除されたい。
口上の言った数については、記者と女史が手帳に印をつけているらしい。
小生は数えない。
数えるのは足の拍だけで足りる。
最後に、当連載の慣例に従って一行を添える。
この宿の布団は、ひとり寝るのにちょうどよい広さである。
なお、これを書き終えたのち小生は記者の胸の上に移動するが、看病ではない。
暖を取るだけである。




