始まったのはーー落ち着かない学園生活だった
俺は指示された席へ腰を下ろす。
窓際から2列目で、教室全体を見渡せる位置だった。
前方では、レアルが教材を手にこちらを見ている。
「では、授業を始めます」
教室の空気が切り替わった。
最初の授業は土魔法理論。
魔力の流し方、属性変換、地脈との同調――内容自体は悪くない。
むしろ、基礎としてはかなり丁寧だ。
だがーー、
(……簡単だな)
屋敷の蔵書で読んだ内容ばかりだった。
周囲の生徒たちは真剣にメモを取っている。
王族ばかりの学園と聞いていたが、どうやら俺の感覚の方がズレていたらしい。
気づけば、窓の外へ意識が流れていた。
(アンナやルカが異常なんだな、やっぱり)
風魔法、魔術史――授業は続く。
そして、鐘が鳴った。
休み時間になって、張り詰めていた空気が一気に緩む。
「少しいいか?」
早速、1人の男子生徒がこちらへ歩いてきた。
短く整えた黒髪。
姿勢は真っ直ぐで、無駄がない。
どこか軍人を思わせる雰囲気だった。
「ダバナ王国第二王子、グリムベル・ダバナだ」
差し出された手を握り返す。
「ソック・ブライドです」
力強いが、不快ではない。
「結界魔法を扱えると聞いた。純粋に興味がある」
「珍しいんですか?」
「かなりな」
グリムベルは即答した。
「高等技術だ。
普通は専門の訓練をうけた魔術師が扱う。
しかも扱うには10年単位の修練が必要な場合もあると聞く」
そこまですごかったのか...。
「同じ学舎の生徒として、学園では立場より実力だと私は考える」
グリムベルは真っ直ぐこちらを見る。
「学べることは学んでいきたい、これからよろしくな」
「こちらこそ」
悪い人物ではなさそうだった。
グリムベルはふっと口元を緩める。
「それと、学園内ではただの同学年だ。堅苦しい敬語はいらない」
「分かった」
「あ、あ、あの……」
今度は後ろなら控えめな声が聞こえた。
視線を向けると先ほど目が合った少女が立っていた。
サファイアのような青みがかった髪に透き通る瞳。
近くで見ると、その儚さはさらに際立って見える。
「わ、わたしはニルキス国第一王女、エレーナ・ニルキスです……」
どこか怯えるような声だった。
「そんなにかしこまらなくて大丈夫ですよ。
僕はただの辺境伯。気楽に接してください」
明るく返す。
すると、エレーナは小さく俯いた。
「……パトリック領の件、聞いています」
声が震えていた。
「私の力不足で...本当に……ごめんなさい」
教室の空気が、わずかに変わる。
ニルキス国。
その名だけで、周囲も事情を察したのだろう。
「別にあなたが謝る必要はないでしょう」
俺がそう言うと、エレーナは驚いたように顔を上げた。
「え……?」
「やったのはあなたではないし、あなたの知らないところで発生した問題です」
それだけだ。
エレーナはしばらく呆然としていたが、やがて小さく微笑んだ。
「……優しいんですね」
「普通ですよ」
むしろ当然の話だ。
その時だった。
「へえ」
割り込むような声がした。
振り返ると、1人の男子生徒がこちらを見下ろしていた。派手な金髪に高価そうな装飾品。
露骨なほど“貴族”という雰囲気を纏っている。
「辺境伯のくせに、随分と王族に気に入られているんだな?」
嫌味を隠そうともしていない。
「サンガリア国ベラル領、デュランだ」
名乗りながらも、その目は完全に敵意を向けていた。
「結界魔法が使える、だったか?
随分と盛った自己紹介だな」
鼻で笑う。
だが、俺は特に気にせず答えた。
「信じるかどうかは、そちらの自由だよ」
デュランの眉がわずかに動いた。
挑発に乗ると思っていたのだろう。
わかりやすくて助かる。
「……ふん」
露骨につまらなそうな顔。
空気が険悪になりかけた時、レアルが割って入ってきた。
「はいはい、その辺りで」
どこか疲れたような笑みを浮かべている。
「ソック君の編入初日から問題を起こされると、私の胃が痛くなるのでやめてくださいね」
小さくため息。
どうやら、この教師は苦労人らしい。
「次の授業が始まります。席へ戻ってください」
生徒たちが散っていく。
俺も席へ戻ろうとしたら、ふと視線を感じた。
エレーナがどこか不安そうに俺を見つめていた。
俺はにっこりと微笑み返す。
妙に気になるのはなんだかほっとけない感じがするからだろうか。
ルカの粘つく視線も感じるがあえてスルー。
その後も授業は続いた。
属性相性学に魔力制御――。
内容自体は悪くない。
むしろ王立学園だけあって、講師陣の質は高いのだろう。
しかし、目新しさを感じない授業とは時として苦痛だ。
気を抜けば欠伸が出そうになる。
結局、その日は大きな問題もなく授業を終えた。
夜になって、寮の部屋へ戻った俺は椅子に深く腰を下ろしていた。
「……さすがに疲れたな」
精神的な疲労が大きい。
王族だらけの空間というのは、想像以上に気を遣う。
だが――まだ終わりではない。
机へ向かい、紙束を広げる。
インク瓶を開いて羽ペンを取った。
「さて……やるか」
書き始める。
『魔石認証手順』
『結界核の定期点検〜魔力の流れの確認〜』
『魔力供給経路の確認方法』
『結界異常時の対応手順』
結界運用に必要な項目を、1つずつ整理していく。
機能を付け足せば付け足すほど運用が重要になる。
誰か1人でも間違えれば、術式全体が崩壊しかねない。
そういう意識でいることが重要だ。
「……何をしているのですか?」
不意に声が聞こえた。
「うおっ!?」
反射的に肩が跳ねる。
いつの間にか、すぐ後ろにアンナが立っていた。
透明化を解除したらしい。
「……急に出てくるな」
「ずっと消えているのも暇なので」
悪びれた様子は一切ない。
「心臓に悪い」
「鍛え方が足りないのでは?」
「アンナ基準で語るな」
ため息を吐き、再び机へ向き直る。
アンナが横から紙を覗き込んだ。
「ウンヨウテジュンショ……ですか」
「ああ」
「こんなもの何に使うのです?」
俺は羽ペンを走らせながら答える。
「そりゃ結界の維持だよ」
術式図を描き込みながら続ける。
「僕以外の人間――例えばシバルさんにも、管理方法を覚えてもらわなきゃならない」
「なるほど」
わかってなさそうな返事だ。
「こういうのは、手順書が本当に大事なんだ」
前世の記憶がふと蘇る。
「たとえば、間違って重要な術式を消したら途端に結界が崩壊することだってある」
システム変更作業でLinuxのrmコマンドを誤爆しかけた時の冷や汗を思い出す。
あれは本当に危なかった。
「……?」
アンナはよく分からなさそうな顔をしていた。
「そういうものなんですね」
「そういうものだ」
文明が違っても、“運用ミスで壊れる”という本質は変わらない。
しばらく羽ペンの音だけが続く。
やがて、アンナがぽつりと聞いてきた。
「ところでーー学園生活は楽しいですか?」
少しだけ考える。
授業・クラスメイト・先生ーー。
「授業は退屈だな」
正直に答える。
「でも、クラスメイトは面白そうだ」
グリムベル、ルカ、そしてーーエレーナ王女。
デュランですらある意味では楽しいやつなのだろう。
「……案外、いい青春が送れるかもしれない」
そう呟くと、アンナはわずかに目を細めた。
「よくわかりませんがなんだか楽しそうですね」
「失礼なやつだな」
小さく笑い、再び羽ペンを走らせる。
こうしてミッドライト学園での初日が、静かに終わった。
翌日から本格的な授業が始まった。
この学園は座学だけではなく、実践形式の授業も多い。
ある日の光属性魔法の実習授業。
俺は広い訓練場にいた。
石造りの床には魔法陣が刻まれ、生徒たちが一定間隔で並んでいる。
前方には理事長ラースの姿があった。
光属性を適正属性にもつものは少ないため、この学園での光属性魔法の授業は理事長が自ら行っていた。
「今日は光属性初級魔法、《ルミナ》の実習よ」
ラースが軽く指を立てて詠唱する。
「――《ルミナ》」
すると指先に小さな光が灯った。
「指先から光を発生させるだけの単純な魔法。
でも、魔力操作の基礎が詰まっているわ」
淡く輝く光。
だが、その制御精度は異常だった。
光量が完全に一定で、一切のブレがない。
「光属性の適性がなくても、初級レベルなら発動自体は可能よ。もちろん、才能差は出るけれど」
そう、どんなに優秀でも2属性までというのは中級以上の魔法の話だ。
魔力操作の基礎が十分であれば、全属性で初級魔法は扱える。
ーーその基礎が難しいのだが。
生徒たちが一斉に詠唱を始める。
「――《ルミナ》」
ぽっ、と小さな光が生まれる。……が。
「うおっ、消えた!?」
「ちょ、待て、なんで爆ぜるんだ!」
「まぶしっ!?」
あちこちで失敗が起きていた。
適性属性ですら、安定して発動できる者は少なかった。
まして適性外ともなれば、初級魔法でも難しいらしい。
デュランも苦戦していた。
額に汗を浮かべながら何度も詠唱しているが、光は小さく明滅するだけで安定しない。
「くそっ……!」
苛立ちを隠せていなかった。
一方で――
「――《ルミナ》」
グリムベルの指先には、安定した光が灯っていた。
派手さはないが、魔力制御は丁寧だ。
ラースも小さく頷いている。
「優秀ね」
そして、エレーナ。
「……《ルミナ》」
恐る恐る、といった様子で魔法を発動する。
淡く青みがかった柔らかな光。
出力自体はそこまで高くないが驚くほど綺麗だった。
周囲の空気に自然と溶け込むような、不思議な光。
「すご……綺麗」
誰かが思わず呟く。
エレーナは慌てたように俯いていた。
「ソック君、あなたもやってみなさい」
ラースが面白そうにこちらを見る。
「わかりました」
軽く指を上げる。
魔力を流す。ただ、それだけだ。
「――《ルミナ》」
瞬間、閃光が走った。
「っ!?」
周囲の生徒たちが思わず目を細める。
指先から放たれた光は、初級魔法とは思えないほど強烈だった。
まるで小型の照明魔道具だ。
「……眩しすぎたか」
少し出力を落とす。
ラースが楽しそうに笑った。
「初級魔法でその出力は十分異常よ」
「加減が難しくて」
「嫌味かしら?」
半分ほど本気っぽかった。
だが――さらに異常なのは別にいた。
「じゃあ次、ルカちゃん」
「はいはい」
気怠そうに前へ出て詠唱する。
「――《ルミナ》」
その瞬間、5本の指すべてに光が宿った。
しかも、1つ1つ色味も出力も違う。
訓練場が静まり返る。
「……は?」
誰かが呆然と声を漏らした。
通常、《ルミナ》は1本の指に光を集中させるだけでも結構難しい。
それを同時制御して安定させている。
ラースですら苦笑していた。
「相変わらずね……」
ルカは肩をすくめる。
(……なんなんだこいつ)
改めて思う。
アンナといいルカといい、俺の周囲だけ基準がおかしい。
そんな日々が、しばらく続いた。
実践魔法、属性訓練、魔術理論。
学園生活にも、少しずつ慣れ始めていた頃――。
その日の夜も、俺は寮で運用手順書を書いていた。
机の上には、結界術式の図面。
羽ペンを走らせながら、魔力循環の補足説明を書き加えていく。
静かな時間だった。
「……こんなものか」
小さく息を吐く。その時だった。
――コン、コン。
窓を叩く音。
「……?」
ここ、2階だよな??
違和感を覚えながら視線を向ける。
そして、固まった...。
窓の外にーールカが浮いていた。
「こんばんは」
真紅の髪を夜風に揺らしながら、当然のように空中に浮いている。
窓の外にいるにもかかわらず、声が聞こえる。
魔法を使ってるのか?
「……」
一瞬、理解が遅れた。
「なんで浮いてるんですかね」
「飛行魔法だけれど?」
そういう問題ではない。
《フライ》系統は、移動を主目的とした魔法である。
空中で静止することは高度な魔力操作技術が要求される。
こんな自然に“空中で静止”するなんて。
しかもルカは、片手に本まで持っていた。
完全に散歩感覚だった。
「正面から来ればいいだろ」
「めんどくさい」
意味が分からない。
ルカはくすりと笑う。
「入っていい?」
返事を待たず、鍵を閉めていたはずの窓をさらっと開けて滑るように室内へ入ってきた。
着地音すらほとんどない。
「魔法で勝手に鍵をあけて入ってこないでくれよ。不法侵入ですよ」
「私は王女であなたはただの辺境伯」
「学園で身分は関係ないとか言ってたの誰でしたっけ!?」
やっぱり王女は今もわがままなんじゃないのか。
アンナとは別方向でおかしい。
「それで、何の用だ」
「理事長が呼んでるわ。私と一緒に理事長室へきてちょうだい」
なんだか、嫌な予感しかしない。
「ちなみに断る選択肢は?」
「ないわね」
即答だった。
ため息を吐き、立ち上がる。
「……アンナ」
俺は静かに呼ぶ。
すると空間が揺らぎ、透明化を解除したアンナが姿を現した。
「お呼びでしょうか」
ルカを見て、露骨に眉をひそめる。
「……窓から侵入ですか。不法侵入で撃ち落としても?」
「やめなさい」
「冗談です」
絶対違う。
「今の会話聞いてただろ。
これから理事長室へ行く」
アンナの目が細くなる。
「……またあの女狐ですか。
ソック様、私も同行いたします」
「好きにしろ」
結局、3人で寮を出ることになった。
夜の学園は静かだった。
昼間の喧騒が嘘のように、人の気配が少ない。
月明かりに照らされた中央塔だけが、ぼんやりと浮かび上がって見える。
そして――再び理事長へとやってきた。




