ミッドライト学園への入学
15歳になった。
鏡に映る自分は、少しだけ見慣れない顔をしている。
輪郭は引き締まり、目つきも以前より鋭くなっていた。子供の面影はまだ残っているが、それでも確実に“変わった”と分かる。
「……悪くないな」
小さく呟き、視線を外す。
外へ出た瞬間、空気が違った。
ブライド領は、以前とは比べものにならないほど活気づいている。
行き交う人の数は増え、荷馬車には物資が積まれ、あちこちから笑い声すら聞こえるようになっていた。
魔石運用の安定。そして王女の支援。
その2つが、この領地を確実に変えた。
特に貧しかったカルラ村の変化は顕著だった。
簡易ではあるが医療機関が設置できた。
以前なら失われていた命が救われるようになっているという。
「……やっと、回り始めたか」
ここから先は、ある程度は回るだろう。拡大の余地は全然あるが、少なくとも『基盤』はできた。
屋敷の前では、すでに見送りの準備が整っていた。
「ソック」
父上――アーノルドが低く呼ぶ。
「準備はいいな」
「はい」
短く答える。
母上――ナザリーは、どこか寂しそうに微笑んでいた。
「気をつけてね。学園は遠いし……」
「1人ではありません。私が同行いたします」
横からアンナが静かに口を挟む。
アーノルドは腕を組み、アンナを一瞥した。
「心強くはあるが、お前がいれば安心――とは言い切れん」
「心外です」
即答だった。
「ソック様に危険が及ぶ可能性は、すべからく排除いたします」
「……そうか」
父上は小さく息を吐き、アンナへ視線を向ける。
「だが、学園では油断するな。お前の正体や力はできるだけ隠すのだ。大精霊は無闇に表舞台に立つべきではない」
「……わかってますよ。あの『女狐』が変なことしなければですがね」
誰だ?と一瞬思ったが気にしないことにする。
「それと――私はこれから旧パトリック領の視察に入る。以前から準備はしていたが、本格的に統治を進める」
「戻る場所は、守っておく」
その一言には、確かな重みがあった。
母が一歩近づく。
「無理はしないでね、ソック」
「……はい」
「では、参りましょうか」
アンナが前に出る。
「移動は問題ありません。事前に下見を済ませておりますので」
「……いつの間に」
「昨晩です」
ギリギリだなおい。
「では――《フライ》」
身体が浮いた。風を切り裂き、景色が一気に流れていく。領地が瞬く間に遠ざかり、やがて屋敷も見えなくなった。両親の姿が小さくなっていく。
サンガリア王国とラウナホール王国の国境付近に独立した場所として学園は存在していた。
事前に学園から発行されたバッジを胸につけていないと結界に弾かれて入ることすらできない。
そして――朝9時。結界を無事通過でき、ミッドライト学園の門前に着いた。
そこには、すでに1人の男が待っていた。
「ソック・ブライド君ですね。飛行魔法で登場とは、また大胆ですね」
眼鏡をかけた青年が柔らかく微笑む。
年齢は30代半ばほど。物腰は穏やかで、落ち着いた雰囲気を持っていた。
「私はレアル。この学園で土魔法を教えています。そして、君のクラスの担任です」
「よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ」
軽く頷き、少し肩をすくめる。
「本来、編入はそう多くはないのですが……今回は事情がありましてね」
わずかに視線を逸らし、苦笑する。
「ラウナホールの王女殿下から、半ば強引に推薦が入りました。……正直に言うと、断れる雰囲気ではありませんでした」
「……左様ですか」
「学園側としても、無下にはできませんから」
もう一度苦笑し、門の奥を示す。
「まずは理事長にご挨拶を。こちらへ」
門をくぐった瞬間、視界が一気に開けた。
石畳の大通りがまっすぐ伸び、その先に白亜の校舎群が並ぶ。
左右には整えられた庭園と噴水、さらに奥にはひときわ高くそびえる塔――学園の中心を担う中央塔が見えた。
学生たちの姿もまばらに行き交っているが、そのどれもがどこか気品を帯びている。
王族や貴族が集う学園――その噂は、どうやら誇張ではないらしい。
案内されたのは、その中央塔の最上階。
重厚な扉の前で足を止め、ノックをすると、すぐに声が返る。
「どうぞ」
扉を開ける。
そこにいたのは、銀髪に長い耳をした1人の女性だった。
人間離れした静謐な存在感が、部屋全体を支配している。
エルフ...か?
「いらっしゃい、ソック・ブライド」
柔らかな声がした。
「私はラース。この学園の理事長よ。『光の大精霊』とも呼ばれているわ」
空気がわずかに震える。
格が違う存在だと、直感で理解できた。
なるほど、アンナが言っていたのはこの精霊のことか。
母ーーナザリーの契約しているのも光の精霊だったな。その親玉的な存在か...?
てか、大精霊ってもっとこう...レアなんじゃないのかと思うのだが。
ラースの視線がアンナへ向く。
「久しぶりね。『アーセラ』」
その瞬間、室内の空気が凍る。
「……その名で呼ばないでいただけますか」
アンナの声は静かだが、明確に温度が低い。
「土の大精霊アーセラ。ずいぶんと人に馴染んでいるようね」
「――やめろと申し上げました。」
丁寧な口調のまま、殺気だけが鋭くなる。
「これ以上その名を口にされるのであれば――ぶち殺しますよ」
魔力が軋む音がした。
それでもラースは、楽しそうに笑っているだけだった。
「あら、怖い。相変わらずね」
空気がゆっくりと戻る。
「さてと」
ラースがこちらへ視線を戻す。
「ソック卿。あなた私のことエルフだと思ったでしょ。大精霊はね、気に入った種族の姿になれるのよ?そこの『アンナ』も擬態しているのよ」
「たしかに正体を隠すには擬態した方がいいですね」
「ラース。くだらない話は置いといて、話を早く進めて」
アンナは苛立ちながら口を開く。
「はいはい、せっかちね。ソック卿、あなたのことは聞いているわ。結界に魔石……随分と面白いことをするのね」
「恐縮です」
「期待しているわよ。この学園で、何を見せてくれるのか。それにこの学園の結界も鉄壁にしてほしいわ」
その視線は柔らかいのに、どこか試されているようだった。
「……精進します」
「この学園はね、あらゆる意味で『中立』の立場なの。だからクラスには各国の王族が揃っているわ。少し賑やかだけれど――国のしがらみとか気にしないで楽しんでね」
一拍置いて、ラースは続ける。
「では、早速だけど書類を書いてもらえる?事前にある程度の経歴はルカ姫殿下から頂いているから簡潔でいいわ」
そう言ってラースは何枚かの書類を渡してきた。
俺は氏名、出身、魔術適性、過去の経歴――必要事項を淡々と記入していく。
内容自体は特別なものではないが、形式はしっかりしていた。
一通り書き終え、ラースに手渡す。
「レアル。彼らを寮に案内してちょうだい」
「承知しました、理事長」
ミッドライト学園は基本的に全寮制であり、寮生活が基本である。
しかし、国の公務等で普段は自国にいなければならない生徒もいる。
そういった生徒は寮生活の義務はないし、事前申請すれば公務で授業を休むことも柔軟にできるようだ。
(あの王女は忙しいからきっと寮にはいない...!)
そう願いながら俺とアンナはレアルに連れられ、学生寮へと向かった。
中央塔を出ると、学園の敷地の広さが改めて分かる。
石畳の道がいくつも分岐し、講義棟や訓練場らしき施設が点在していた。
寮はその中心部からやや離れた場所にあった。
歩いて数分――だが、塔からの距離としてはそれなりにある。
「学生寮は、生活と学習を切り分けるために少し離してあるんです」
レアルが歩きながら説明する。
「騒がしくなりすぎても困りますからね」
やがて視界に入ったのは、3階建ての石造りの建物だった。
装飾は控えめだが、堅牢で整った造りをしている。
「では、お部屋へご案内します」
中に入り、2階へ上がって廊下を進み、扉の前で立ち止まる。
「こちらです。今日からここがソック君の部屋になります」
鍵を受け取り、扉を開けた。
中は思っていたより広かった。
屋敷の自室と比べればやや狭いが、それでも1人で使うには十分すぎる。
ベッドが2つ、机と椅子、収納も備え付けられている。
「さすが王族が通う学園……2人でも問題ない広さだな」
「ええ。基本は相部屋ですが、編入の方には余裕を持たせています」
レアルが軽く頷く。
一方で、室内を一通り見渡したアンナが口を開く。
「……私専用の部屋は、ないのですね」
「その通りです」
レアルはあっさりと答えた。
「従者の常駐は想定されていませんので」
「問題ありません」
アンナは即答する。
「私は透明化の魔法が使用可能ですので、この空間に“存在しないもの”として待機いたします」
「そうですか」
俺はもはや驚く気にもならなかった。
レアルも一瞬だけ言葉に詰まりかけたが、すぐに咳払いをして話を戻した。
「では、午後からの授業に合流していただきます」
時計を確認し、続ける。
「荷物を置いたら、食堂にご案内します。先に昼食を済ませてください」
「わかりました」
「それでは、後ほど迎えに来ます」
そう言い残し、レアルは部屋を後にした。
荷物を簡単に整理する。
といっても、持ち込んだものは多くなくて必要最低限だ。
ふと時計を見ると、すでに昼に差し掛かっていた。
「……思ったより時間がないな」
腹も、わずかに空いている。
「レアル先生をお待たせするわけにもいきません。準備を整えましょう」
アンナが淡々と言う。
「教科書はお持ちですか?」
「抜かりない」
鞄を軽く叩く。
「なら問題ありません」
アンナは1歩下がり、静かに頭を下げた。
「では、私はここで待機しております」
「……ああ」
姿が、ふっと薄れる。
気配だけを少し残して、アンナは“見えなく”なった。
「相変わらず便利だな……」
短く呟き、俺は扉へ向かう。――昼食。
そして、その先にあるのは“学園の日常”だ。
久しぶりの学園生活。楽しまなければ損というものだ。
寮の前には、すでにレアルが待っていた。
「早いですね。では、食堂へ案内します」
そのまま並んで歩き出す。
食堂は寮からほど近い位置にあった。
大きな建物で、扉を開けた瞬間、ざわめきと香ばしい匂いが一気に押し寄せてくる。
学生の数はかなり多い。
各国の装飾等が入り混じり、見ているだけでここが“普通ではない場所”だと分かる。
「基本的には自由席です。好きなものを取って座ってください。あ、生活費は全て授業料に含まれてますので、食事は無料ですよ。食べ終わったら入り口にいてください」
「わかりました」
レアルは軽く頷くと、そのまま別の学生に呼ばれて離れていった。
食事を取ろうと列に並ぶ。
ふと――視線を感じた。
顔を上げると目が合ってしまった。
ラウナホールの王女――ルカが、こちらを見ていた。
「……」
一瞬だけ、間が空く。
そして、彼女はにこりと微笑んだ。
「こちらへいらっしゃい」
……嫌な予感しかしない。
しかし無視するわけにもいかず、俺はそのまま歩み寄った。
「ご一緒しましょう?」
「……」
顔が引き攣るのが自分でも分かる。
だが、断れる空気ではない。
「……わかりました」
席に座る。
その瞬間――周囲の空気が変わった。
ざわ、と音が広がる。
「おい、誰だあれ……」
「ラウナホールの王女と一緒に……?」
「見ない顔だぞ……編入か?」
視線が、刺さる。
「……目立ちますね」
「当然でしょう?」
ルカは気にした様子もなく、優雅に食事を取り始める。
そして、何気ない調子で言った。
「それと、その話し方」
「……?」
「敬語、やめなさい」
改めて食事をとりに行こうとする足が止まる。
「ここは学園よ。同学年同士なら、身分なんて大した意味はないわ」
さらりと続ける。
「むしろ距離を置かれる方が不自然ね。だから――普通に話しなさい」
一瞬だけ考える。
だが、この場で逆らう理由もない。
「……わかった」
短く答える。
ルカはそれを聞いて、満足そうに小さく笑った。
「ええ、その方がいいわ」
俺も適当に料理を選び、席に戻る。
その中で、ひとつだけ目に留まったものがあった。
太い麺。澄んだ出汁に近い液体。
「……」
見覚えがある。前世で好きだったうどんに似ている。
箸を入れ、口に運ぶ。
(……近いな)
完全に同じではないが、限りなくうどんに近かった。
「口に合わない?」
向かいからルカが声をかけてきた。
「いや、むしろ逆だ」
短く答える。
それを聞いて、ルカはわずかに笑みを深めた。
「気に入ったならよかったわ。最近になって取り入れられた料理なの」
「……そうなのか」
それ以上は聞かなかったがーー、この世界の食文化としては、少し異質に感じる。それだけが、妙に引っかかった。
食事を終え、席を立つ。
「このあと、レアル先生に案内してもらうことになってるからおいとまするわ」
そう告げると、ルカはあっさりと頷いた。
「そう。では、また後で」
俺は背中に視線を感じながら、食堂を出た。
入口まで戻り、そのまま壁際で待つ。
時計を見ると、まだ少し早い。
(……時間を読み違えたか)
周囲では、食事を終えた学生たちが次々と出入りしている。ざわめきの中で1人立っていると、どうしても浮く。
結局、10分ほどそのまま待つことになった。
「お待たせしました」
声をかけられ、顔を上げる。
レアルが歩み寄ってきていた。
「いえ、先生。"今来たところ"なのでお構いなく」
俺はにこりと微笑んだ。
「では、教室へ向かいましょう」
並んで歩き出す。
廊下を進み、階段を上がる。
先ほどとは違い、昼休み明けということもあって人の流れができていた。
やがて、ひとつの教室の前で足を止める。
「ここが君のクラスです」
レアルが振り返る。
「編入生として簡単に自己紹介をお願いします。あまり長くならなければ問題ありません」
「了解しました」
扉に手がかかる。そして――開いた。
一斉に視線が集まる。
王子、王女、各国の貴族子弟。
ただの教室とは思えない空気の密度だった。
その中で、すぐに目に入る存在があった。
教室の中央付近にいる真紅の髪の女性。
ルカ・ラウナホールが、静かにこちらを見ている。
食堂のときと同じ――いや、それ以上に整った、隙のない微笑み。
まるで、ここが自分の舞台であるかのような余裕だった。
「静かに」
レアルが軽く手を上げると、ざわめきが収まる。
「本日より編入してきたソック・ブライド君です。では、自己紹介を」
一歩前に出る。
「ソック・ブライドです。ラウナホール国ブライド領から来ました」
簡潔に告げる。
「魔術は、土属性と水属性を主に扱います」
ここまでは、特に反応はない。
「それと――結界魔法も扱えます」
一瞬、空気が止まった。
そして――ざわ、と揺れる。
「結界……?」
「使えるのか?」
「ただの辺境伯のくせに……」
明確な動揺。
(……そんなに珍しいのか)
内心でそう思う。
レアルが軽く咳払いをして場を整えた。
「はい、以上です。では席へ」
指示に従い、席へ向かう。
その途中――ふと、視線が交差した。
教室の右奥で1人の少女が、静かにこちらを見ていた。
サファイアのように青みがかった髪に透き通る瞳。
華奢で、どこか触れれば壊れてしまいそうな儚さを纏っている。
ただ目が合っただけなのに、足がわずかに止まる。
周囲の気配が、遠のいた気がした。
理由は分からないがーー俺はその少女から視線を外せなかった。




