王女の目的
コン、コン、と。妙に規則正しい音が鳴り響き、場の空気が張り詰める。
「……来たか」
誰に言うでもなく呟き、俺は扉へ向かう。
ほんの一瞬だけ躊躇して――扉を開けた。
そこに、真紅のドレスに身を包んだ王女が立っていた。目を奪われるとはこういうことを言うのだろう。陽の光を受けて、赤い髪が透ける。
血のようでいて、どこか宝石のように澄んだ色だった。
年齢は俺と同じくらいだが、無駄を削ぎ落とした細身のシルエットが、年齢相応の華奢さと確かな女性らしさを同時に際立たせている。
「…………」
視線が合う。にこりと王女は柔らかく微笑んだ。
完璧な、美しい笑み。だが――妙に寒気がした。
瞳の奥に、感情とも狂気ともつかない粘つくような色を感じ、思わず息を飲む。
「……突然の訪問をお許しください」
鈴の音のように澄んだ声。
よく通るはずなのに、どこか現実味が薄い。その背後で、水の気配が揺らいだ。
一歩前に出たのは老紳士――いや、“ただの人間”ではない。
「ラウナホール王国近衛、水の大魔術師セバスでございます」
空気が重くなり、見えない水が周囲を満たしているかのようだった。さらにその後ろでは、鎧に身を包んだ騎士たちが無言で並ぶ。立っているだけで、戦場の匂いがした。
「どうぞ、中へ」
俺は一歩退いて道を開ける。
王女は軽く頷き、すっと横を通り過ぎた。ふわり、と甘い香りがかすめたその瞬間――
「――ようやく、会̇え̇た̇」
耳元で、囁くような声がした気がした。
「……?」
振り返る。だが、王女は何事もなかったかのように歩いている。
――いや、違う。
確かに、聞こえたはずだ。
背筋に、じわりと嫌な汗が滲む。
それでも、確かめる術はない。気のせいだと切り捨てるしかなかった。
応接間に通すと、全員が着席する。重苦しい沈黙の中、王女が口を開いた。
「ブライド領領主、アーノルド卿。この度は事前の伝令もなく訪れた非礼、お詫びいたします。ですが、急ぎお伝えしなければならないことがありまして」
言葉は丁寧だが、その視線は――やはり、時折こちらに向く。
「滅相もございません、姫殿下。このような辺境の地に直々にお越しとは……問題はございませんか」
「ええ。父上――国王陛下には許可をいただいております。騎士団長カリムも王都に残しておりますから、支障はありませんわ」
「左様でございましたか。して、ご用件は」
「3つございます。まず1つ目は、ニルキス国の件です」
一拍置いて、王女は続けた。
「マラース族を脅迫していたニルキス国パトリック領は――我々ラウナホール王国が占領しました」
ざわり、と空気が揺れる。アーノルドは息を呑み、言葉を失った。
「……戦争、したのでしょうか」
かすれた声。
王女はゆっくりと首を横に振る。
「いいえ。“処理”です。パトリック領主にマラース族との関係を突きつけ、穏便に『取引』をいたしました。彼はニルキス国へ引き渡しています。あとの処遇は、あちら次第ですわ。ですので、地下牢にとらえているマラース族のものたちは釈放してください」
その言い方に温度はない。まるで興味がないかのようだった。
ラウナホールの王女は、かつてはわがまま娘と噂されていた。高級な料理しか口にせず、常に新品の服を求める気まぐれな存在。
少なくとも領地問題などに関わる人物ではなかったはずだ。それが5年ほど前から一変した。
政治改革に積極的に関わり、国に害をなす貴族は容赦なく排除する――そういう評判を耳にしている。目の前の人物は、確かにその噂と一致していた。
「承知しました、釈放いたしましょう。ちなみに占領は、いつ頃で?」
「昨日です。ですので、こうしてすぐにご報告に参りました。それと――このパトリック領の統治を、どなたかにお願いしたいのです。ぜひ、アーノルド卿に」
「ありがたいお話ではありますが、現状ブライド領の運営で手一杯でして……物資が行き届いていない村が複数あります。放置はできない」
「問題ありませんわ」
被せるように言う。柔らかな口調のまま、間を与えない。
「王都から補助金を出します。食糧支援も行いましょう。私の部下も派遣いたします」
「それはありがたいのですが……少しお時間を」
「アーノルド卿」
言葉が止まる。王女は微笑んでいた。
「これは国王陛下の勅命でもあります」
静かな一言。だが、それ以上の言葉は必要なかった。
「……かしこまりました」
「ありがとう。では2つ目ですが――ご子息、ソック卿」
名を呼ばれ、わずかに肩が強張る。
「あなたを私が通うミッドライト学園へ入学させます」
「……予定ではセーラ学園に通うはずですが」
「そうですか」
王女は軽く頷く。
「では補助金と食糧支援の話は白紙になりますわね。勅命には、あなたの入学が条件と明記されていますので」
「……半分脅迫ですよ、姫殿下」
思わず口にすると、王女は小さく笑った。
「では、残り半分はお願いということで」
その声音は柔らかいのに、逃げ場がない。
「ソックよ」
アーノルドが制する。
「ミッドライト学園にはこの国だけではなく、他国の王子や王女が通われる由緒ある学び舎だ。断る理由はない」
「……承知しました」
「ありがとう」
王女は満足そうに微笑む。
その視線が、一瞬だけ――はっきりと、俺に絡みついた。
「そして3つ目。ソック卿がお作りになった魔石・結界を、この目で見たいのです」
わずかに、声の調子が変わる。
「ルグニカ結界に案内していただけるかしら」
「構いません。結界は1から作ったわけじゃなく、元からあったものを改良しただけですが」
「それで十分ですわ。――今から、行きましょう」
「今から?」
「ええ。早く見たいの」
その一言だけ、妙に感情が乗っていた。
「セバス、ここで待機していなさい。私だけで向かいます」
「かしこまりました。何かあればすぐに馳せ参じます」
「ソックよ、姫殿下をご案内しなさい。アンナも同行せよ」
「かしこまりました、旦那様」
アンナが応じる。
立ち上がると、不意に背後で小さな笑い声がした気がした。
振り返ると、王女と目が合う。ほんの一瞬――何かを確かめるような視線。
すぐにいつもの微笑みに戻る。
こうして俺と王女、そしてアンナは、ルグニカ結界へ向かうことになった。
屋敷の外に出ると、冷たい風が頬を撫でた。
「結界までは少し距離があります。アンナ、頼めるか」
「かしこまりました」
アンナが一歩前に出た、その時だった。
「待って」
王女が静かに制する。
「場所を確認させて」
アンナは懐から簡易の地図を取り出し、差し出した。王女はそれを受け取り、視線を落とす。ほんの数秒。
「……なるほど」
地図を閉じて返すと、何事もなかったかのように言った。
「把握しましたわ。では、私が運びます」
「……姫殿下が?」
「ええ。問題ありません」
そう言って、こちらへ手を差し出す。
「――《フライ》」
小さく、だがはっきりと詠唱した。
次の瞬間、身体がふわりと浮き上がる。重力が緩むような感覚と同時に、魔力の流れが全身を包み込んだ。
「掴まって」
断れる空気ではない。俺とアンナはそのまま身を任せた。
直後、視界が弾けた。風が叩きつけ、地面が一気に遠ざかる。アンナの飛行魔法と同等――いや、それ以上の速度で景色が流れていく。
アンナとの移動に慣れていなかったら失神でもしてたかもしれない。
アンナは相変わらず無表情だったが。
「……速いな」
思わず呟くと、すぐ耳元で声がした。
「そうかしら? これくらい、普通ですわ」
距離が近い。風の中でもはっきり届く声。その違和感を抱えたまま、俺たちは一瞬でルグニカ結界へと到着した。
「……ソック様!」
シバルが駆け寄ってきたが、王女の姿を見た瞬間、言葉を失う。
「ラウナホール王国の王女だ。結界の視察に来られた」
「……っ、失礼いたしました!」
慌てて頭を下げるシバルに、王女は柔らかく言う。
「構いませんわ。結界を見せていただけるかしら」
「は、はい。こちらへ」
案内され、結界の前へと進む。淡く光る膜が領地を包んでいた。
「……綺麗ね」
王女が呟く。
「ソック卿、魔石の作り方を見せていただける?」
「わかりました」
俺は足元の土に手をかざした。
「――《アース・リファイン》」
静かに呟くと、土が震え、不純物が弾かれるように分離していく。水分や有機物が削ぎ落とされ、純度の高い鉱質だけが残る。それを圧縮し、掌の上に均質な石を作り出す。
「これだけではただの石です」
続けて木へ視線を向け、内部から樹脂を滲み出させる。温度と圧を操作し、粘度を整えると、とろりと黄金色の液体が流れ出た。
「石は流すだけ、樹脂は閉じ込めるだけ。両方が必要です」
石の内部に細かな溝を刻み、魔力の通路を形成する。そこへ樹脂を流し込み、内側から固定する。最後に魔力をゆっくり流し込む。循環を確かめながら――回る。内部で魔力が巡り始めた。
「これで完成です」
王女はじっと見ていたが、「なるほど」と小さく呟いた。
次の瞬間、両手に魔石が現れる。一瞬だった。生成の過程が見えない。
「……」
魔力量も異常だが、それ以上に違和感が強い。
「詠唱……していない」
思わず口にすると、王女は当然のように頷く。
「その方が、早いでしょう?」
無詠唱。あり得ない領域だ。
結界魔法の術式等詠唱を必要としない魔法は存在するが、基本属性の魔法は最低限魔法名の詠唱が必要となってくるはずだった。
隣でアンナの気配がわずかに変わる。明らかな警戒。
「ただーー、今この場にある魔石には、太陽光で魔力を補充したり、『指紋』で触れる人を識別できたりするのよね?私が今作った魔石にはそんな機能はない.....。ほんと、すごい発想ですわ」
「よろしければ、術式をあとで教えましょうか?」
「ええ、ぜひとも。あと、結界も見せていただくわ。強度を確認したいの」
王女は歩み寄り、指を伸ばした。次の瞬間、指先から細い光が走り、結界に触れる。穴が開いた。
「……は?」
この結界に、こんな容易く。だが、開いた穴はすぐに塞がる。
「自己修復機能……さすがですわ」
満足そうに頷く王女を前に、言葉が出ない。
「ソック卿。この結界、とても優秀ね。いずれは王都から各地の結界を管理したいの。状態の把握や記録、必要なら遠隔での調整も含めて」
「……遠隔操作、ですか」
「ええ。一元管理よ。そのためにも、あなたの技術は必要になるわ」
視線が向く。
「学園で、楽しみにしています」
わずかに熱を帯びた声。
「……光栄です」
それしか言えなかった。
「では、戻りましょう」
帰りもまた一瞬だった。
それからの日々は慌ただしく過ぎていく。
結界の調整と補強、時折入る王女の視察、魔法と剣の修練。気づけば時間は流れ――15歳。
学園へ向かう準備が整った。
ミッドライト学園。
あの王女が待つ場所へ――俺は向かうことになる。




