王女来訪
地面が、低く唸った。
ズン……ズン……と、規則的な振動。
「……来るな」
森の奥、闇の中から複数の気配が近づいてくる。
次の瞬間――ドゴォォン!!
木々をなぎ倒しながら、巨大な影が複数飛び出した。10体はいる。
「ストーンボア……!」
岩のような外皮。鈍い光を帯びた牙。それが、一直線に結界へ突進してくる。――だが。
「――《アース・バインド》」
アンナが一歩前に出て、魔法名を唱える。その一言で、地面が応じる。
ボコッ!!
地面から土の腕が突き出し、ストーンボアの全身を絡めとる。抗おうとするが、そのまま土が固まり、動きを封じた。
アンナは表情一つ変えずに、次の魔法を重ねる。
「――《アース・スパイク》」
ズガガガガガ!!
地面から無数の石槍が突き上がる。絡めとられたストーンボアは、そのまま串刺しとなり――絶命。
一瞬だった。10体が、呼吸一つ乱さず消し飛ぶ。
「……さすがだな」
思わず呟く。これが、大精霊。単純な制圧力なら、間違いなく規格外だ。
「気づいてると思いますが、まだいます。このまま殲滅しますね」
アンナが淡々と言う。
その視線の先――森の奥から、さらに10体ほどの気配。再び、振動。同じように、一定の間隔でこちらへ突進してくる。
(やっぱりな……)
動きが揃いすぎている。ただの群れじゃない。アンナが再び手を上げかけた、その時。
「――待って、アンナ」
「……はい?」
わずかに首を傾げる。
「そいつらは、通していい」
「……通す、ですか?」
「結界まで誘導してくれ」
一拍の沈黙。だがアンナはすぐに理解したのか、あっさりと頷いた。
「かしこまりました」
アンナは前に出る。だが今度は殲滅ではなく――“捌く”。最小限の土壁を展開し、進路だけを調整する。ストーンボアの群れは、そのまま誘導されるように結界へ向かっていく。
「そのまま――来い」
俺は結界に視線を向けた。
ドゴォン!!
ストーンボアが結界に突進した瞬間――
バチンッ!!
空気が弾けた。結界が、一瞬だけ強く光る。
次の瞬間――
ズドンッ!!
目に見えない衝撃が、群れに叩き返された。
「――っ!?」
1体だけじゃない。突進した個体を起点に、周囲のストーンボアまでまとめて弾き飛ばされる。
さらに――
ガガガガガッ!!
連鎖するように、同種の個体へと攻撃が走る。一瞬で、残りのストーンボアは地面に叩き伏せられ――動かなくなった。
「……今のは」
アンナがわずかに目を細める。
「自動防護魔術、ですか?」
「ああ。さっき仕込んでおいた」
俺は肩をすくめる。
「攻撃された対象だけじゃなくて、“同じ種類”もまとめて判定して叩くようにしてる」
「同じ種類……?」
「魔力量と体格、あと反応パターンでな。似たやつをまとめて弾く」
前世の感覚で言えば――同じ発信元をまとめてブロックするようなものだ。
「……なるほど」
アンナが小さく頷く。
「効率的ですね。無駄な反応がありません」
「結界は“全部に真面目に反応する”からな。そこ削った」
正直、試したかっただけだが――結果は上々だ。
そのとき。
「……これは……」
後方から、シバルの声がした。いつの間にか駆けつけていたらしい。目の前の光景に、言葉を失っている。
「結界が……反撃を……?」
「少し細工しました」
軽く答える。
「問題は――こっちだ」
俺は森の奥へ視線を向けた。
「操ってる奴は?」
アンナは、いつも通りの無表情で答える。
「すでに捕らえています」
「……は?」
「最初の《アース・バインド》で、まとめて拘束しました」
「いや、ストーンボアだけじゃ――」
「約300メートル先です」
さらっと言う。
「地中から拘束していますので、逃げられません」
(俺も大体の場所は感知してはいたが……やっぱり規格外だな)
俺は軽く息を吐いた。
「シバルさん」
「は、はい!」
「ここをお願いします。念のため見張りを」
「承知しました!」
シバルはすぐに姿勢を正した。
「アンナ、行こう」
「はい」
俺たちは、森の奥――拘束された“操っている者”の元へ向かった。
森の中に踏み入るたびに、土の匂いが濃くなる。アンナの言っていた場所は、すぐだった。
「……あれか」
木々の間。地面に半ば沈むようにして、1人の男が拘束されている。土の腕が体に絡みつき、完全に動きを封じていた。
「逃げようとはしていませんね」
俺は近づく。男は若い。20歳前後か。褐色の肌に、筋肉質な体。髪は短く刈られている。
腰には、奇妙な笛がぶら下がっていた。
「……お前が、操ってたのか」
男は一瞬だけ目を伏せ、それからこちらを睨んだ。
「……知らねぇ」
「いや、その笛」
俺は指をさす。
「それ、マジックアイテムだろ」
「……」
わずかに反応した。
「中級までの魔獣なら、複数まとめて操れるタイプ。しかも同時制御型……結構レアだぞ」
森の中で見かける代物じゃない。
「普通は1体制御でも十分なのに、群れ単位で動かせるってことは……相当金かかってるな」
「……」
沈黙。だが、否定はしない。
「まあいい。聞き方を変える」
俺はしゃがみ込む。
「お前、どこの連中だ?」
一瞬の沈黙。やがて、男が小さく吐き捨てた。
「……マラース族だ」
(やっぱりか)
ルグニカ大森林の奥に住む、ドワーフ系の部族。土の精霊を信仰する森の民だ。
そのとき――
ガサッ!!
背後の茂みが揺れた。
「そこまでだ」
低い声。振り返ると、数人の男たちが立っていた。中央にいるのは、白い髭を蓄えた老人。その両脇には、武器を構えた護衛が二人。
「族長……」
拘束されている男が呟く。空気が張り詰める。だが次の瞬間。族長の視線が、アンナに向いた。
「……っ!?」
目を見開く。
そして――
ドサッ。その場に膝をついた。
「……申し訳、ございませんでした……!」
護衛たちも慌てて続く。
「――土の大聖霊様」
横を見る。アンナは、わずかに眉をひそめた。
「……違います」
少しだけ強い口調。
「私はそんな大した存在ではありません」
族長が何か言いかける。
「あと、信仰とかやめてください。面倒です」
ぴしゃり。
「私はただのメイドですので」
(無理があるだろそれは)
族長は困惑しつつも、深く頭を下げた。
「……無礼を、お許しください」
「別に怒ってはいません」
興味なさそうに返す。
「事情を聞かせてください」
俺が口を開く。
「なぜ、こんなことをしたのでしょうか?」
族長は静かに頷いた。
「……我らの責任です。だが、選択の余地がなかったのです」
「どういう意味だ?」
「我らは……ニルキス国と交易をしています」
鉄製の道具、保存食、薬。森では中々手に入らない物資を、あちらに頼っているらしい。
「その供給を止めると脅されました」
「……従わなければ、冬を越せない、と」
重い話だ。
「1つ、聞かせてください」
俺は視線を細める。
「なんでブライド領と取引しなかったのですか?」
族長は少しだけ目を伏せた。
「……結界維持に、多くの力を割いておられると聞いております」
「……」
「領主様の周辺は豊かですが……外縁の集落までは、物資が十分とは言えません」
「……なるほど」
「我らが求める量を、安定して取引するのは難しかったのです」
防衛優先。そのしわ寄せが、外に出ている。
(……放置できないな)
俺は立ち上がる。
「この男は実行役ですね?」
族長は頷いた。
「はい……詳細は、私が把握しております」
「じゃあ――両方来ていただきたい。これは国同士の問題になりますので」
族長は一瞬だけ迷い――やがて、深く頭を下げた。
「……承知いたしました」
俺はアンナに視線を向ける。
「拘束はそのままでいい」
「かしこまりました」
アンナが頷く。
「じゃあ屋敷に帰るか」
森を背に歩き出しかけたところで、アンナが一歩前に出た。
「――歩く必要はありませんよ」
「……あ」
「全員まとめて運びます」
さらっと言うな。
「いや待て、何人いけるんだそれ」
俺は思わず聞く。
「そうですね……100人くらいなら問題なく」
「多すぎだろ」
「では――《フライ》」
体がふわりと浮いた。俺だけじゃない。拘束された男も、族長も、その護衛たちもまとめて宙に浮く。
「な、なんだこれは……!?」
「空を……!?」
族長たちがざわつく。
「行きますよ、れっつごーあげいん」
「いやちょっ――」
ビュオッ!! 一瞬で加速した。
「だから、速いって!!」
「問題ありません」
アンナは平然としている。その後ろで――
「うおおおお!?」
「風が……! 目が……!」
族長たちが完全に涙目になっていた。風圧で顔がぐしゃぐしゃになっている。
(……まあ、そうなるよな)
俺も普通に涙が出てる。
「もう少し、加減……!」
「次から気をつけます」
次がある前提なのか。
「というかさ」
俺は風に目を細めながら言う。
「転移魔法ってのもあるよな。あれ使えば一発じゃないのか?」
「ございますが」
アンナは即答する。
「ただし、座標の特定が非常に難しく、誤差が出れば壁の中に転移する危険もあります」
「怖すぎるだろそれ」
「さらに魔力消費も激しいため、短距離であれば《フライ》の方が圧倒的に効率が良いです」
「なるほどな……実務的にはそっちか」
――数分後。屋敷の前に、ふわりと着地した。
「……速すぎるだろ」
「便利ですよね」
「否定はしないけどな……」
「では、私はシバル様に報告してまいります」
「ああ、頼む。結界の方も気になるしな」
「往復になりますが、すぐに戻ります」
「頼りにしてる」
「お任せください」
アンナはこくりと頷くと、再び魔力を練り上げた。
「ソック様も、後で練習しますよ」
「……了解」
「では――《フライ》」
次の瞬間、アンナの姿は一瞬で空へ消えた。
俺は軽く息を吐く。そして、族長たちに向き直った。
「私たちは屋敷に入りましょう。父上に報告いたします」
「……承知いたしました」
族長が静かに頷く。
俺は2人を連れて屋敷の扉を開けた。
屋敷に入ると、わずかに空気が張り詰めた。
この屋敷にいる使用人は、アンナともう二人のメイドだけだ。
そのうちの1人がこちらに気づき、足を止める。
「……ソック様?」
視線が、後ろにいる族長たちへと向く。
「少し事情がある。父上は?」
「二階の応接室にいらっしゃいます」
「わかった」
それだけ伝えて歩き出す。
族長と男も、黙って後に続いた。
2階の応接室については、この5年で屋敷の間取りは一通り頭に入っているため迷うことはない。
階段を上がり、廊下を進む。
張り詰めた空気のまま目的の扉の前で足を止め、軽くノックする。
「入れ」
低く落ち着いた声。
扉を開ける。
「戻りました、父上」
アーノルドが書類から顔を上げた。
その視線がすぐに、俺の後ろ――族長と男へと向けられる。
「……説明してもらおうか」
空気が、一段重くなる。
俺は一歩前に出た。
「結界の異常、その原因について報告があります」
ストーンボアの異常行動。結界への継続的な負荷。
そして、それが人為的である可能性。
加えて、捕らえたこの二人のこと。
一通り簡潔に話し終えると、しばしの沈黙が落ちた。
「……なるほどな」
父は腕を組み、低く唸る。
「ニルキス国が裏で動いている可能性、か」
「確証はありませんが、状況証拠は揃っています」
父の視線が族長へと向く。
族長は静かに頭を下げた。
「……我らの責任です」
短い言葉だったが、十分だった。
「よし」
父が立ち上がる。
「その者たちは地下牢へ入れろ。厳重に拘束する」
即断だった。
「結界警護の者から数人回せ。見張りは常時だ」
「承知しました」
方針は決まった。
そのまま族長たちを連れ、地下へ向かう。
石造りの階段を降りると、ひんやりとした空気が肌にまとわりついた。
地下牢は簡素だが、魔法で補強されている。
並の力では破れない。
男と族長は、それぞれ別の牢へと拘束された。
結界警護から呼び寄せた者たちにも指示を出す。
「交代制で常時監視しろ。異変があればすぐ報告だ」
「はっ!」
短い返事が響く。
これで、ひとまず逃げられる心配はない。
俺は静かに息を吐き、再び父の元へ向かう。
応接室に戻ると、父はすでに椅子に腰を下ろしていた。
「拘束は済んだか」
「はい。地下牢に。見張りも増やしています」
「よし。では、次だな。」
父の視線がこちらに向く。
「この件は、領内だけでおさまる話じゃない。王都へ報告しよう。書状を用意する。詳細は私がまとめよう」
「どのように届けますか?」
「アンナに任せる」
さすが万能メイド。
そういえば、ちょくちょく姿を見ないことがあったな。王都へ行っていたのか。
書状はその日のうちに完成した。
蝋で封を施し、父が最後に目を通す。
「よし……これでいい」
父が頷く。
「アンナ」
静かに名を呼ぶ。
ノックもなく、すぐに扉が開いた。
「お呼びでしょうか」
いつもの無表情のまま、アンナが一礼する。
「王都へ、この書状を届けてほしい」
父が差し出す。
アンナは両手で受け取り、軽く目を通した。
「かしこまりました」
「急ぎで頼む」
「問題ありません」
淡々とした声。
「往復で、3時間ほどあれば戻れます」
「……相変わらずだな」
思わず漏れる。
アンナはわずかに首をかしげた。
「通常より、少し効率が良いだけです」
アンナは一礼すると、踵を返した。
扉へ向かい――
「――《フライ》」
次の瞬間、気配が一気に遠ざかる。
窓の外には、すでにその姿はなかった。
それから3日。大きな動きはなかった。
地下牢の見張りも問題なし。族長たちもおとなしくしている。
そして3日目の昼。
屋敷の外が、にわかに騒がしくなった。
足音と複数の気配。
そして――
空気を震わせる声が、屋敷中に響き渡った。
「――告げる!!」
「拡声魔法か!」
低く、よく通る声。反射的に顔を上げる。
「ラウナホール国より、ルカ・ラウナホール姫殿下が御来訪なされた!!」
――王女が、来た。




