結界を削る敵
「――魔獣退治?」
アーノルドが眉をひそめる。
「はい、父上。以前のこのルグニカ結界は脆かったです。ただ、それを踏まえても最近の魔力切れの頻度は異常でした」
「そうだな……。私も多いと感じていた」
「おそらく、魔獣からの攻撃が激しくなっています。それで核の消耗が早まっているのでしょう」
「……だから、先に魔獣を叩くと?」
「いえ、闇雲に倒しても意味がありません」
俺は首を横に振った。
「必要なのは、傾向の分析です」
「分析……?」
アーノルドが聞き返す。
「はい。どの時間帯に、どんな魔獣が、どれくらい出ているのか。それが分かれば、対策も変わります」
「……なるほど」
完全には理解していない顔だが、納得はしたようだ。
俺はシバルに向き直る。
「シバルさん。1つお願いがあります」
「なんなりとご命令を。ソック様」
「この結界は3交代制で警備してますよね。朝・昼・晩で、それぞれ出現した魔獣の種類と大まかでいいので数を記録してください」
「……記録、ですか」
「はい。できるだけ正確に」
シバルは深く頷いた。
「かしこまりました。すぐに部下へ通達いたします」
「お願いします」
俺は新たに生成した魔石に手を置いた。
ゆっくりと魔力を流し込み、結界と接続する。
――次の瞬間。
空気が、わずかに震えた。
結界の膜が、目に見えないほどわずかに厚みを増す。
「……強化、されたか」
アーノルドが呟く。
「はい。これでさらに安定するはずです」
とはいえ――
問題の根本は、まだ残っている。空を見上げる。
夕暮れ。赤く染まる森。
その向こうに、何かが潜んでいるような気がした。
その日はそこで切り上げることになった。
「シバルさん、お気をつけて。1週間後、ご報告をお願いします」
「承知しました。ソック様」
シバルは深く頭を下げた。
「必ず、有益な情報をお持ちします」
俺と父は馬に乗り、領地へと戻る。
屋敷に戻ってからの数日間、俺は机に向かっていた。
「ソック様、今日はここまで覚えていただきます」
「多くない?」
羊皮紙いっぱいに並ぶ文字を見て、思わず顔が引きつる。
「基礎ですので」
「基礎が多すぎるんだよ……」
前世でもそうだったが、俺はどうにも“文字を覚える”のが苦手だ。プログラムのコードは書けた。
だが英語は壊滅的だった。
つまり――
「規則があるなら覚えられるんだけどな……」
「規則?」
アンナが首をかしげる。
「同じ意味なら同じ形、みたいなやつ。例外が多いと無理」
「それは……言語ですから」
正論で殴られた。
俺は渋々ペンを動かす。だが、すぐに止まる。
「……これとこれ、何が違うんだ?」
「発音と意味が違います」
「いや、見た目ほぼ同じじゃん」
「違います」
「いや同じだろ」
「違います」
「……」
「……」
しばらく無言の攻防が続いたあと、アンナがため息をついた。
「ソック様」
「はい」
「これは、避けて通れません」
真面目な顔だった。
「結界の術式を正しく扱うには、文字の理解が不可欠です」
「……そうくるか」
「はい」
アンナはこくりと頷く。
「単純な結界を一から構築したり、少しだけ機能を付け足すだけならば、ソック様は感覚でどうにでもできると思います」
「どうにでもって......。なんとかなりはしたけど」
実際、昨夜もそうだった。
核を追加するだけとかだったら問題ないと謎の自信があった。
「ですが」
アンナの声が少しだけ低くなる。
「他人が構成した結界を作り替える場合は、話が別です」
「……どう別なんだ?」
「術式の“意味”を理解しないまま触れれば――」
「暴発する可能性があります」
「……それは、洒落にならないな」
思わず顔が引き締まる。
あの規模の結界が暴発したら、被害は想像したくない。
「はい。ですので、読み間違いは致命的です」
「なるほどな……」
俺は羊皮紙を見下ろした。
ぐにゃぐにゃした文字列が、急に“危険物”に見えてくる。
「ちなみにアンナは?」
「私は結界魔法は使えません」
あっさりと言われた。
「使えないのに教えてるのか」
「はい。読み書きはできますので」
にっこりと微笑まれる。
「ソック様が壊す前に止める係です」
「物騒だな」
「冗談です。申し訳ないですが私は逃げます」
逃げるんかい。そこは主人を守ろうよ。
「……はぁ」
ため息をつきながら、ペンを握り直す。
「つまりこれは……ある意味命がけの勉強ってわけか」
「少し大げさですが、方向性は合っています」
アンナが頷く。
「大丈夫です。ソック様ならできます」
「その根拠は?」
「これまでの行動です」
即答だった。
……プレッシャーがすごい。
「……せめて、規則くらい見つけるか」
「それは良い心がけです」
アンナが少しだけ嬉しそうに言った。
アンナとの勉強は夕方から夜にし、朝はある場所へ向かうようにした。
屋敷の裏手にある訓練場。
朝の空気は冷たく、剣を握る手にほどよい緊張を与えてくる。
「……ついにやる気になったか」
父上――アーノルドが、どこか楽しそうに笑った。
「前から言っていたぞ。貴族である以上、剣は必須だと」
「わかっています。……ただ、後回しにしていただけで」
この5年間、俺がやってきたのは知識の収集と魔法の鍛錬だけだ。剣術には一度も触れてこなかった。
前世で剣道なんてしてこなかったし、剣術には苦手意識があったのかもしれない。
でもーー、父の期待には応える必要があると思った。
「魔法だけで全て解決できるとは思っていないのだな」
「はい。近距離で詰められたら終わりですから」
父は満足そうに頷くと、木剣を1本投げてよこした。
「では、構えからだ」
受け取った瞬間、わずかな違和感を覚える。
重い――というより、“扱い慣れていない重さ”だ。
「力むな。剣は振るものではない。流すものだ」
言われた通りに振るが、動きは鈍い。すぐに父の木剣に弾かれ、体勢を崩された。
その後も何度か打ち込むが、結果は同じだった。あっさりといなされ、気づけば距離を詰められている。
「……単調だな。次の動きが読みやすい」
「っ……!」
息が上がる。だが、不思議と視界は冴えていた。
(見える……?)
父の剣筋が、ほんのわずかだが追えるようになっている。
「ほう」
父の目が細くなる。
「今、合わせようとしたな」
「……少しだけ、ですが」
再び打ち合う。
今度は、完全には弾かれなかった。わずかにだが、受け止める感触が手に残る。
「悪くない」
その一瞬の手応えに乗って踏み込むが――
「まだ早い」
次の瞬間には体勢を崩され、足を払われた。
「ぐっ……!」
地面に手をつくと、父が手を差し出してくる。
「焦るな。今の判断は悪くない」
引き起こされながら、俺は小さく息を吐いた。
「剣術はすぐに身につくものではない。だが、お前には“見る力”がある。それは武器になる」
「……ありがとうございます」
父は満足げに頷き、それから少しだけ表情を緩めた。
「それに、こうして剣を交えるのも悪くないな」
「……はい」
自然と、口元が緩む。
ただ剣を交えるだけの時間が、思っていたより心地よかった。広い土地で体を動かすのは気持ちいい。社畜だった前世では久しく味わっていなかった感覚。
このまま平穏に生きたいと強く思った。
「今日はここまでだ。基礎で無理をするのが一番よくない」
「もう少しやれます」
「その意気はいいが、続きは明日だ」
そう言って父は木剣を肩に担いだ。
「……はい!」
そんな日々が数日続き、あっという間に1週間が経った。
ちょうど朝食を食べ終わったタイミングで、シバルが訪ねてきた。
「ご報告に参りました。アーノルド様、ソック様」
「ご苦労。早速教えてくれ」
アーノルドが真剣な顔で言う。
「はい。まず、魔獣の種類ですが、こちらは今までと大きな変化はありません。朝はスライムが徘徊しており、昼にはゴブリンやオークが時折出現する程度です。ですが夜は――ストーンボアが複数体、確認されています」
ストーンボア。土属性の魔力を帯びた硬い外皮を持つ魔猪だ。
群れで来られると厄介な相手である。
「して、数は?」
「おおよそですが、スライムは10体前後。ゴブリンやオークも同程度です。ストーンボアについては……15から20体ほど確認されています」
数だけ見れば、決定的な脅威とは言い難い。
単純な戦力だけが原因ではない――そう考えるべきか。
「ですが、ストーンボアには妙な点があります」
「妙な点とは?」
「他の魔獣は、攻撃してくる個体とそうでない個体に分かれます。しかしストーンボアは違います。一定の間隔で突進してきて、すぐに引く。それを繰り返しているのです」
「……ほう」
「さらに、朝日が昇り始めると、ぴたりと姿を消します。ストーンボアは本来、そこまで明確な夜行性ではありません」
なるほど。
一定間隔での突進、そして即座の離脱。
ヒットアンドアウェイ。
(まるで……負荷をかけ続けているみたいだな)
結界は攻撃を受けるたびに反応し、魔力を消費する。
それが短い間隔で繰り返されればどうなるか。
(無駄に“応答”させられて、消耗だけが積み重なる)
前世で見たことがある。
1つ1つは大したことがなくても、同じ処理を何度も強いられれば、いずれは耐えきれなくなる。
「シバルさん、父上。原因はストーンボアで間違いないでしょう。おそらく――何者かに操られています」
「ソック、私も同じことを考えていた。だが目的はなんだ? いくらストーンボアでも、結界そのものは破れまい」
「壊すことが目的ではないとしたら?」
俺は一拍置いて続ける。
「狙いは、結界の“消耗”です」
「消耗……」
「はい。一定間隔で攻撃を繰り返すことで、結界に余計な反応をさせ続ける。そうすれば、魔力の消費は確実に増える」
アーノルドがゆっくりと頷く。
「……なるほど」
「結界の維持に必要な魔力量が増えれば、当然、魔石の補充頻度も上がります。そうなれば――」
「1つでは足りなくなる、か」
「はい」
俺は静かに続けた。
「現状、天然魔石はほとんど流通していません。シバルさんも、手に入らないとおっしゃっていましたよね」
「ああ……。市場に出回ること自体が稀です」
「だからこそです」
需要だけが膨らめば、どうなるか。
「そこに“供給できる者”が現れれば、価格は跳ね上がる」
「……!」
アーノルドの目が見開かれる。
「つまり、最初からそれが狙いか……!」
「ええ。結界を壊す必要はない。ただ、疲弊させればいい」
そして――
「困ったところに“天然魔石を持っている者”が現れる」
「……できすぎているな」
アーノルドが低く呟く。
魔石が生成できるなんて話はまだ知られていない。
結界は天然魔石に頼らざるを得ないと思われている。
「ルグニカ大森林の先――ニルキス国。あそこには、天然魔石の採掘地があると聞く」
「はい。もし国境防衛を理由に持ちかけられれば、高額でも断れないでしょう」
魔石は確かに希少だ。
だが同時に、扱いづらい代物でもある。
魔力は自然に漏れ出す。持ち運びも容易ではない。
使用できる場面も限られる。
「だからこそ、使い道は絞られる」
俺は結界の方角を見た。
「――国境防衛のような、継続的に魔力を必要とする場所に」
空気が、静かに張り詰める。
「シバルさん、父上。方針は決まりました。ストーンボアを討伐します。操っている者も近くにいるはずです。魔力感知に長けた方はいませんか? 僕でもできますが」
「うむ。それならアンナに任せよう。私は屋敷を空けるわけにはいかんからな。ここで待機する」
「……え? アンナって戦えるんですか?」
「めちゃくちゃ強いぞ。彼女は――『土の大精霊』だ」
――衝撃の事実。
大精霊。
この世界に7体しか存在しない、精霊の頂点。
闇、光、火、水、風、土――そして時。
その一柱が、うちにいるらしい。
(いやいやいや……)
言っちゃ悪いが、辺境伯の屋敷にいていい存在じゃないだろ。
「それは……心強いですね。すぐ屋敷に戻りましょう。シバルさん、日没後にこちらへ向かいます。それまで結界の警護をお願いします」
「かしこまりました。では、私はこれで」
シバルは一礼し、足早に持ち場へ戻っていった。
「アーノルド様。何やら楽しげなお話が聞こえましたが、私にご用でしょうか?」
食堂に現れたアンナが、スカートの裾を軽くつまみ、優雅に首を傾げる。
「ああ。ソックと共にルグニカ結界へ向かい、ストーンボアの討伐と、操っている者の捕縛を頼む」
「かしこまりました。……にしても旦那様、バラすのが早いですよ。サプラ〜イズしたかったのに」
いや、むしろ今まで知らなかったんだが。
「もっと早く教えてくれよ、アンナ……。『土の大精霊』の力、見せてもらうぞ」
「ソック様、過度な期待は禁物ですよ。……とはいえ、久しぶりの実戦ですね。わくわく」
アンナは無表情のまま言う。
だが、ほんのわずかに声音が弾んでいる気がした。
(絶対楽しんでるだろ)
――そして夕刻。
日が沈みかけた頃、俺とアンナは屋敷の外に出た。
「じゃあ馬で向かうか。シバルが用意してくれてるはずだ。……っていうか、戦うのにメイド服のままなのか?」
「真のメイドは、いついかなる時もメイド服です」
きっぱり言い切ったあと、アンナは少しだけ顔をしかめた。
「――あと、私は馬が苦手です。上下に揺れる感じがどうにも」
「じゃあどうやって行くんだよ」
「――《フライ》」
次の瞬間、ふわりと体が浮いた。
「……は?」
視界が持ち上がる。
飛行魔法。
使える者は限られる高等魔法のはずだ。
結界魔法が使えないのが不思議だ。もしかして使えるのに隠しているのか?
「では行きますよ、ソック様。れっつごー」
「いやちょっ――」
ビュオッ!!
空気が爆ぜた。
景色が一気に流れる。
「はやっ!? ちょっ、待って! 速すぎる!!」
「これくらいすぐ慣れますよ。ソック様には才能がありますから」
「今はそういう問題じゃない!!」
風圧で涙が出る。
馬での移動が馬鹿らしくなるレベルだ。
(これ、全部アンナに送ってもらえばいいんじゃ……)
――数分後。
俺たちは結界の前に立っていた。
「お二方……少々早すぎでは? ストーンボアの出現まで、まだ時間がありますが」
シバルが苦笑する。
「あら、早すぎましたか。てへっ」
「てへっ、じゃねーよ!! 完全に暇だろこれ!!」
思わずツッコミが出る。
俺は結界の魔石の様子を確認しながら、ちらりとアンナを見る。
アンナはいつも通り、無表情で静かに立っている。
まるで何もないかのように。
(これが……大精霊)
魔獣を操る存在のことも気になる。
だがそれ以上に――
(どれだけ強いんだ……?)
純粋な興味が、胸の奥で膨らんでいく。
――やがて、夜が訪れる。
森が静まり返る。
空気が張り詰めた、その瞬間。
地面が、低く唸った。
「――来ます」
アンナが、静かに告げた。




