閑話⑧ 誓い
「……あら? ここは?」
アンナがサラに対して魔法をかけ始めてから、数十分後。
サラは、ゆっくりと目を開けた。
「お目覚めですか。サラ・アメリヤ」
「……アンナ? どうして? 私はもう……」
そこで、サラは何かに気付いた。
「……いや、これは――」
「そうですよ。これは『延命』です」
アンナは静かに答えた。
「私の膨大な魔力で、一時的にあなたの『生命力』を繋ぎ止めているに過ぎません」
「傷ついた内臓はもう修復不可能な状態でした。病気が治ったわけでもない」
「……そう。随分と余計な真似をしてくれたわね」
「……」
「そのまま死なせてくれればよかったのに」
その言葉に、アンナの眉がわずかに動く。
「逃げるのですか? この私を置いて」
アンナはサラを真っ直ぐに見つめた。
「あなたは私にメイドとは何かを教えてくださった。料理も。掃除も。洗濯も。裁縫も」
「……」
「魔法だって、たくさん教えてくださった」
アンナの瞳が細くなる。
「それなのに――最後だけ、何も言わずにいなくなるつもりですか?」
「だってあなたには、これ以上背負わせたくないもの」
「自分勝手すぎますね。ここまで私を巻き込んでおいて――あとは丸投げですか」
「丸投げだなんて人聞き悪いわね☆」
サラはいつものように笑った。
「あなたが『メイド』をやってみたいっていうから、その仕事を教えてあげただけよ♪」
「どうしてですか? どうして、私に病気のことを相談してくださらなかったのですか?」
「……」
「あの夜」
アンナの声が少しだけ震える。
「私に相談してさえくれれば――助けることができたかもしれません」
サラは黙っていた。
「少なくとも、あなたが1人で苦しむ必要はなかった」
「……もちろん」
やがて、サラは小さく口を開いた。
「あなたに余計な心配をかけたくなかったからよ」
「……」
アンナの目が細くなる。その表情から、いつもの穏やかさが消えた。
「……嘘をつくな、サラ。私のことを――信用してくださらないのですか?」
低く、静かな声だった。
サラはしばらくアンナを見つめていた。
やがて――。
「……はぁ。さすが、数多くの人間と関わってきた大精霊様ね」
サラは観念したように小さくため息をつく。
「お見通しってわけか」
サラは天井を見つめながら、言い放つ。
「病気だってことがバレれば――ブライド家の『メイド』として、いられなくなるからよ」
「何故です!?」
アンナが思わず声を荒らげた。
「病気でまともに動けない人間を、旦那様は雇い続けてくださるのかしら?」
「もちろんです! 旦那様なら――」
「私はね。ずっと、怖かったのよ」
サラがアンナの言葉を遮った。
「……」
「私にとっての『居場所』は、ここだけなの」
その声には、いつもの明るさがなかった。
「もし病気が知られて、仕事ができなくなって……解雇されて追い出されたら?」
サラは胸元へ手を置く。
「私だけじゃない。私にはリズもコレットもいる。私たちは、また居場所を失うのよ」
「旦那様はそんなことはしませんよ!!」
アンナは声を絞り出す。
「これまで旦那様がどれだけ私たちに――」
「そうかもしれない」
サラは静かに言った。
「でも、そうじゃないかもしれない」
「……」
「あの人に――夫に、王都パラキアで捨てられてから、私は誰一人信用できなくなっていた」
サラの瞳が揺れる。その言葉には、長い年月の傷が滲んでいた。
「……サラ」
「人を信じて、居場所を預けて……それで失うくらいなら。最初から、何も話さない方がいいでしょう?」
「……」
「それに――」
サラはアンナを見る。
「こんな私たちを拾ってくれた旦那様と奥様に、これ以上迷惑をかけたくなかった」
「……」
「私の意地なのよ」
アンナは俯いた。
「……せめて。せめて、私にだけでも話してくれればよかったのに!!」
サラはしばらく黙っていた。
そして――ふと、問いかける。
「アンナ。今のあなたは――『人』なの?」
「……?」
「それとも、『大精霊』なの?」
「唐突に何ですか」
「いいから、答えて」
サラは真剣な表情でアンナを見る。
「……」
アンナは答えに詰まった。
自分は大精霊だ。何百年もの時を生き、この世界の生物たちを見守ってきた存在。
けれど――。
「――正直、わかりません」
アンナは静かに答えた。
「私は今、自分が『人』なのか『大精霊』なのか……自分でも、よくわからない」
「……」
「ですが、大精霊としての使命は果たすつもりです」
アンナはサラの手を握る。
「……そう」
サラは目を閉じた。そして、ほんの少しだけ微笑む。
「それが聞けて安心したわ」
そして、サラは少し寂しそうな表情で続ける。
「アンナ。ブライド家のメイドの仕事は、もうやめなさい」
「……え?」
「もう十分に『職業体験』できたでしょ?」
サラは穏やかに続ける。
「あなたのおかげで、リズとコレットは立派に成長したわ」
「……」
「娘たちには、多大な迷惑をかけることになるけれど――ブライド家は、あの2人に任せなさい」
「まだソック様は幼いです!! 私が離れるわけにはいきません!」
アンナはすぐに反論した。
「でも、あなたは大精霊の使命を果たしたいのでしょう?」
「それは……」
「もし『引き継ぎ』をするのなら――この先、数十年あなたを縛ることになる」
サラは静かにアンナを見つめた。
「……」
「まあ、大精霊にとっては短い時間なのでしょうけど」
そこで、サラの声が少しだけ弱くなる。
「でも――あなたの『心』はどうかしら?」
「……どういう意味でしょうか?」
「あなたの『心の在り方』の話をしているの」
サラは胸元へ手を置いた。
「私は今、必死に……必死に抑えているの。『本当の願い』を、あなたに言うことを」
アンナは目を見開く。
「だって、もし言ってしまったら――」
サラの声が震えた。
「あなたを縛り付けてしまうかもしれない。『願いを託す』ということは、ある意味では『呪い』になる」
サラの瞳に、涙が浮かぶ。
「だから……」
それはアンナが今まで一度も見たことのない表情だった。
いつも笑っていたサラが。どんな時でも明るく振る舞っていたサラが。
今は――泣きそうな顔をしている。
「言わせないで……!」
「サラ……」
「さっさと、この場から立ち去りなさい!!!」
涙を堪えるように、サラは叫んだ。
「私のことなんて忘れて――あなたはあなたの道を行けばいいのよ!!」
「……」
しばらく、部屋には沈黙が流れた。
やがて。
「……わかりました。立ち去りましょう」
アンナは静かに立ち上がった。サラの表情がわずかに緩む。
安堵したのだ。これでいい。これなら、アンナを縛らずに済む。
サラがそう思った――その瞬間だった。
アンナは扉へは――向かわなかった。体を反転させ、サラを勢いよく抱きしめる。
「……っ!ちょ、アンナ……!?」
「あなたの『願い』を聞かせてください。サラ・アメリヤ」
アンナはサラを強く抱きしめたまま、静かに告げる。
「私は、あなたと『約束』がしたい。人としての『私』のよりどころは――サラなのです」
「……バカなの? 話、聞いてた?」
サラは涙を流しながら、呆れたように笑った。
「あなたには、精霊としての使命が――」
「精霊としての自分も捨てません。私は、どちらでもあります。私は我儘なので」
アンナは即答した。
「……そう」
サラは目を閉じる。
「頑固なところは――私と同じね♪」
そして、ゆっくりと深呼吸をした。
何度も何度も胸の奥へ押し込めてきたものを、今度こそ吐き出すように。
「……アンナ」
「はい」
「ブライド家のみんなと――リズ、コレットのことを……」
サラの声が震え、涙が頬を伝う。
「どうか……どうか守り抜いてほしい。それが、私からの『引き継ぎ』」
サラはアンナの手を取った。
「そして――最初で最後の『誓い』よ」
震える指を、アンナの指へ絡める。
「……誓います。サラ・アメリヤ」
アンナは、サラの目を真っ直ぐに見つめた。
「……」
「必ず、守ります」
2人は手を合わせた。そして――小指を絡める。
指切り。それは、とても小さな約束だった。
けれど2人にとっては――何よりも重い約束だった。
「……」
「……」
2人は無表情のまま、互いを見つめる。
そして――ほんの少しだけ微笑んだ。約束は、なされたのだ。
「サラ。それでは、次は皆と話してもらいます」
アンナが口を開く。
「今から旦那様たちを呼んで――」
「その必要はないわ」
「……?」
サラの身体から、突然、強い魔力が溢れ出した。
「サラ?」
アンナが眉をひそめる。
次の瞬間――。
「――っ!?」
アンナとサラを繋いでいた魔力の糸が、強引に引き裂かれた。
「な……!」
アンナの身体が大きく揺らぐ。
「何を――」
その瞬間だった。サラの口元から――赤い血が溢れた。
「……っ」
続いて、身体の至るところから血が滲み出していく。
「……!? なにっっっっをして!?」
アンナが叫ぶ。
「どうして魔力の繋がりを切ったのです!!」
「……」
サラは苦しそうに息をしながら、それでも微笑んでいた。
「私は……あなたと話ができて、よかった」
「サラ!」
「皆に対する『言葉』は……ちゃんと『手紙』にしてあるわ」
「手紙……?」
「厨房の奥を探してごらんなさい。そこにあるから」
サラは弱々しく笑う。
「サラ!!!」
アンナが手を伸ばす。
けれど――。
「アンナ」
サラが静かに呼びかける。
「最後に1つだけ、言っておくわ」
「……」
「あなたは『人』と『精霊』――どちらも選び取るつもりでも、必ず『選択』の時は来る」
サラの瞳が、真っ直ぐにアンナを捉える。
「……選択」
「その時が来たら――」
サラは、ゆっくりと息を吸った。
「『私の想い』とか、『使命』とか……そんなものは気にしないで、自分の意志で答えを出しなさい」
「確固たる、自らの強靭な意志が――いつだって、道を切り拓くのよ」
サラは最後の力を振り絞るように、微笑んだ。
「……サラ」
「じゃあ――さよなら、アンナ」
サラの瞳が、少しずつ閉じていく。
「……!」
「私、あなたと出会えて……ほんとによかった」
その言葉を最後に。サラの身体から、力が抜けた。
「……サラ?」
アンナが呼びかけるが、返事はない。
「……サラ・アメリヤ」
もう一度、名前を呼ぶ。
それでも――。サラは、何も答えなかった。
「…………」
アンナは、ただサラを見つめていた。やがて、静かにその手を握る。
もう、魔力は感じない。サラは――息を引き取ったのだ。
アンナに『誓い』を残して。
それは『呪い』だったのだろうか?それとも――。
本話でアンナの過去編は幕を閉じます。
次話から本編の続き(第63話「ブライド領襲撃戦⑩」の続き)となります。
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