閑話⑦ 最後の引き継ぎ
「旦那様!! いい加減――私をサラの捜索に行かせてはいただけませんか!?」
ブライド家の食堂に、アンナの声が響き渡った。
「サラがカルラ村に赴いてから、もう1年です!! 色々あるのは分かりますが、さすがに遅すぎます!」
「……だが、サラは手紙を定期的に寄越してきている」
アーノルドは困ったように眉を寄せた。
「『カルラ村の活気が少し戻ってきた。元気にやれている』と。そう書いてあるではないか」
「それはそうですが――」
「アンナ」
アーノルドは静かに続ける。
「私は、サラを信じている。彼女ならば、自分の身に何かあれば必ず知らせてくるだろう」
「……」
その時、ナザリーが口を挟んだ。
「でも、今までは2週間に一度くらいのペースで手紙をくれていたでしょう?」
「む……」
「ここ1ヶ月、その手紙がないのよ。さすがに心配だわ。アンナを行かせてもいいんじゃないかしら?」
「だがな、ナザリー」
アーノルドは苦々しい表情を浮かべる。
「アンナは今や我が家のメイド長だ。我が息子ソックの世話もそうだが、やってもらわなければならないことが山ほどある」
「ソックの世話なら、私たちがやればいいと思うわ」
ナザリーは穏やかに微笑んだ。
「正直に言えば、アンナに甘えていた部分が多かったと思う。それに、リズとコレットももう立派になった」
ナザリーは2人の娘へ視線を向ける。
「2人に任せてもいいんじゃないかしら?」
「……」
「旦那様」
アンナは、真っ直ぐにアーノルドを見つめる。
「カルラ村の場所なら、大体把握しています。私であれば移動にも、それほど時間はかかりません」
「サラの魔力反応に集中して、注意深く探れば― ―え?」
すると、アンナの言葉が途切れた。アンナの身体が固まる。
「どうした? アンナ」
「……バカな」
アンナの顔から、みるみる血の気が引いていく。
「どうしたのだ!?」
「この近くに―― サラがいます。とても弱い......魔力です」
アンナは椅子を蹴るように立ち上がった。
「何だと!?」
アンナはすでに扉へ向かっていた。
「申し訳ございません。すぐに外へ出ます」
そして、すぐ後ろに控えていたコレットへ振り返る。
「コレット! あとはよろしくお願いします!」
「かしこまりました、アンナ様」
コレットは深々と頭を下げる。だが、その顔はとても不安そうだった。
「アンナ!! 気をつけて!!」
ナザリーが不安そうな顔で叫んだ。
「私なら大丈夫です」
アンナはそれだけ答える。
次の瞬間――その姿が、食堂から消えた。
◇◇◇
屋敷を飛び出したアンナは、凄まじい速度で駆けていた。
木々の間を縫い、地面を蹴り、魔力の気配を追う。
サラの魔力ーー間違えるはずがない。
3年以上共に過ごした相手の魔力を、アンナが見誤ることなどあり得なかった。
「サラ……!」
やがて、森の奥から人影が見えてくる。
「――!」
アンナは足を止めた。そこにいたのは、1人の男だった。
以前よりは多少小綺麗になっているし、服も最低限は整えられている。
だが――間違いない。あの夜、ソックに包丁を突きつけた男だった。
「あなたは……!」
そして、その男の肩には――。
「……サラ?」
サラが担がれていた。あの夜と同じ、メイド服姿。
しかし今は、その服もところどころ汚れている。
身体には力がなく、男の肩からだらりと腕が垂れ下がっていた。
「サラ!!」
アンナが駆け寄る。
「サラ・アメリヤ!!」
返事がなく、目も開かない。
「……」
アンナの表情から、すっと感情が消えた。
いや、消えたのではない。
押し殺しているのだ。瞳の奥だけが、凍てつくような光を宿していた。
大精霊として幾百年もの時を生きてきたアンナ。
その彼女が、今まで一度も見せたことのない顔だった。
その顔を見た男は思わず後ずさる。
「ひっ……!」
アンナの視線は男を睨みつけていた。
「お……俺は何もしてねぇ!!」
男は慌てて叫んだ。
「それに、サラには本当に感謝してるんだ!!」
「……」
「サラが来てくれたおかげで、俺たちは飢え死にせずに済んだ! 村にも少しずつ笑顔が戻ってきたんだ!」
男は必死に訴える。
「彼女は農作物の栽培方法を俺たちと一緒に考えてくれて……それで、何とか育てられる作物を見つけて……!」
「では......では、なぜ――」
アンナの声が低くなる。
「なぜ彼女は、そうなっているのですか?」
「……わからねえ」
アンナの声は震えていた。
怒りや後悔等の様々な感情が胸の内で渦巻いていた。
けれど――その中でも一番強かったのは、自分自身への怒りだった。
(私は……その理由を心の奥底では知っている)
あの夜、洗面所で苦しそうに咳き込み、何かを吐き出していたサラ。
その光景は、決して見間違いではなかった。
気づいていたのにーーいつしか薄れてしまった。
(……私は、目を逸らしたんだ)
「数日前、突然サラが血を吐いて倒れたんだ」
男が震える声で言い放つ。
「……」
「それだけじゃねぇ。全身からも血が出て……!」
男の顔が歪む。
「村にいる数少ない魔術師が、必死に回復魔法をかけ続けた。でも……何をしても容態が回復しなかった」
「……そうですか」
アンナは目を伏せた。
「対処してくださって……ありがとうございます」
「なぁ……!」
男が縋るような声を上げる。
「俺はどうすればいい!? とにかく、頼れる場所がここしかなかったんだ!!」
「……」
アンナはサラを見る。ぐったりとした身体に力の入らない指。
それでも――ほんのかすかに感じる魔力。
「……まだ、生きています」
「本当か!?」
「ですが......。いえ、私が何とかしましょう」
アンナはサラの身体へと手を伸ばした。
「急いで屋敷へ戻りましょう」
「わ、分かった!」
アンナは素早く飛行魔法を発動し、屋敷へと戻る。
「旦那様!!」
アンナが叫ぶ。屋敷の扉が開かれ、アーノルドとナザリーが飛び出してきた。
「アンナ!」
「サラは!?」
「こちらです!」
男がサラを担いだまま、屋敷へ駆け込む。
「――サラ!?」
ナザリーの顔が凍りついた。
そして、次の瞬間。
「いや……!」
両手で口元を覆う。
「サラちゃん……!」
大粒の涙が、頬を伝って落ちていく。
「そんな……どうして……」
アーノルドも言葉を失っていた。
「……サラ」
震える声で、その名を呼ぶ。
「いったい……何があったのだ……」
男は何も答えられなかった。
ただ、サラを抱えたまま俯いている。
その時――。
「アンナ様!!」
廊下の奥から、2人の少女が駆けてきた。
コレットとリズだった。
そして、2人の視線が男の肩に乗せられたサラへ向く。
「「……お母さん!」」
コレットとリズの顔がみるみる歪む。
そして、リズが泣きながらアンナへ駆け寄り、顔をアンナの胸元に沈めた。
「アンナ様......。お母さんはどうなっちゃったの?」
その隣で、コレットも必死に涙を堪えていた。
「大丈夫です。大丈夫ですからーー」
アンナは2人の少女を抱き寄せる。
そう言いながら、アンナ自身の声もわずかに震えていた。
そして、アンナは男の肩からサラの身体を無言で抱き抱え、そのまま屋敷の奥へと進んでいった。
向かったのは、現在ほとんど使われていない一室。
そこにあるベッドへ、サラを静かに寝かせる。
「……」
サラは目を閉じたまま、ぴくりとも動かない。
普段なら、ここで「大丈夫よ♪」と笑ってみせるはずなのに。
今は、その声すらない。アンナはベッドの傍らへ立ち、サラの身体へ魔力を流した。
「…………」
瞬間、アンナの表情が凍りついた。
(魔力反応が……今にも消えそうです)
それだけではない。内臓の至るところが、ひどく損傷している。
まるで長い年月をかけて、少しずつ身体の内側を蝕まれてきたかのようだった。
(……何故?何故、今まで気づかなかったのですか?)
そして、アンナの脳裏に、ひとつの可能性が浮かび上がる。
(サラは……激痛に耐えながら、魔力で血液を循環させていた。内側だけの『痛み』にとどめ、外からはわからなくするために)
(傷ついた内臓も、自分自身で修復していた……。病に侵された肉体ではいつか限界が来るというのに)
誰にも気づかれないように。誰にも心配をかけないように。
サラはずっと、自分の身体を誤魔化し続けていた。
「……大馬鹿ですね」
アンナは小さく呟く。
「本当に……あなたは、とんでもない人です」
サラは最大限、この『病気』に抗っていたのだ。
ただ生き延びようとしただけではない。少しでも長く動ける身体を維持するために。
少しでも苦痛を減らすために。
そして――自分が残された時間で何かを成し遂げるために。
あのデルグダケの料理も意味があったのだ。
(……きっと、自分の身体の治療に必要な『食材』まで研究していたのでしょうね)
それでも――。
「人間である以上……どうしても『壁』がある、ですか」
アンナは目を伏せた。
どれだけ努力しても、どれだけ魔力を操る技術を磨いても。
人間の身体には限界がある。そして、その限界が今来たということだ。
「サラ、あなたは頑張りました」
アンナはベッドへ腰を下ろし、静かな声をかける。
「本当に……よく頑張りました」
返事はない。それでも、アンナは言葉を続ける。
「ですが――もうちょっとだけ頑張ってください」
そっとサラの手を握る。その手は、驚くほど冷たかった。
「あなたからの『引き継ぎ』は……まだ終わっていません」
アンナの脳裏に、4年前の光景が蘇る。
厨房で何度も失敗を繰り返したことや実用性のない生活魔法を嬉しそうに教えてくれたこと。初めて一緒に料理を完成させたこと。
そして――自分が初めて誰かとハイタッチをしたこと。
あの時、サラは笑っていたのだ。
「……私は。あなたを苦しませたくはありません」
それは本心だった。だから、このまま静かに『時』を迎えた方がいいのかもしれない。
それでも――。
「あなたの『想い』は、絶対に聞かなければならないことです」
アンナはサラの顔をまっすぐに見つめる。
「だってそれが、あなたから私への『引き継ぎ』なのでしょう?」
アンナは静かに立ち上がり、両手をサラへ向けた。
「私の『メイド道』にかけて――必ず、あなたと『話』をします」
アンナの両手が眩い魔力の光に包まれた。




