閑話⑥ 別れた道
そんなある日の夜、ブライド家の屋敷で1つの小さな事件が起こった。
バァンッ!!
突然、屋敷の扉が勢いよく開かれる。
「領主、アーノルド・ブライドはいるかぁ!!」
夜の静寂を切り裂くような怒声。アンナは、自室で眠っていたソックの様子を確認していた。
すう……すう……。
小さな寝息が聞こえる。
(眠っていますね)
アンナはほっと胸を撫で下ろした。
(そして、こんな夜更けに――誰です!?)
来訪者の対応をするため、アンナは玄関へ向かう。
「あら、どなたです?」
すでにサラが対応していた。
「こんな夜遅くに訪ねてくるなんて――無礼ですわよ♪」
いつもの明るい笑顔。
だが、来訪者の姿を見た瞬間、アンナは僅かに目を細めた。
そこに立っていたのは、痩せこけた男だった。
衣服は泥と埃にまみれ、頬はこけている。
長旅をしてきたのか、ひどく疲弊しているようだった。
「……アーノルド・ブライドと話がしたい」
男は低い声で言った。
「旦那様なら、今はいませんよ」
サラは淡々と答える。
「ルグニカ結界の魔石に対して、『魔力補充』をしにいっています」
「……!!」
男の顔が怒りに歪んだ。
「そんなことより、もっと重大なことがあるだろう!」
「我々『カルラ村』の村民は、今にも飢え死にしそうなんだぞ!!」
「……」
サラの笑顔がわずかに消えた。
「ですが、結界も防衛の要です」
静かに答える。
「放置するわけには参りません」
――天然魔石による魔力枯渇問題。
この問題は、ブライド領を大きく苦しめていた。
天然魔石は時間とともに魔力を失っていくし、魔物の攻撃によっても減ってしまう。だからこそ、結界を維持するためには、そのたびに魔力を補充しなければならない。
そのため、領主アーノルドは結界管理者のシバルから頻繁に呼び出されていた。
魔石や結界の維持管理に、多くの人員と時間が割かれていたのである。
結果として、村々の統治にまで手が回らなくなっていた。
そして、その中でも最も大きな被害を受けていたのが――。
ブライド家から遠く離れたカルラ村だった。
「知ったことか!!!」
男が怒鳴った。
「結界なぞ、どうでもいい!!」
「……」
「人の命がかかってるんだぞ!」
玄関に男の声が響き渡る。アンナは静かに男を見つめた。
「……」
そして、一歩前へ出る。
「結界が壊されれば、『他の村』にも影響が出ます」
アンナの声は冷静だった。
「結界は1つの村だけを守るものではありません。領地全体の問題になるのですよ」
「そんなことは分かっている!」
「でしたら――」
「待ってられるか!!」
男が叫ぶ。
「俺は! ここまで来るのも命がけなんだ!!!」
すると、屋敷の奥からぺた、ぺたと小さな足音が聞こえてきた。
その音に、アンナは振り返る。
「アンナ~~。なんかうるさいよ? ねえ、起きちゃったから遊んでよ~」
「ソック様!?」
そこには、寝間着姿のソックが立っていた。
まだ幼い身体をふらふらと揺らしながら、眠そうに目をこすっている。
「今は取り込み中です。お部屋にお戻りください。私がお連れします」
「ん……わかったぁ」
ソックは素直に頷いたが、その視線が来訪者へ向けられる。
「ねえねえ。そこの人って、だぁれ?」
じっと男を見つめる。
「なんか、汚い格好してて臭いし……僕、嫌だなぁ」
「「ソック様!! おやめなさい!!」」
アンナとサラの声が重なった。
――だが、時すでに遅し。男の顔が怒りで露になっていく。
そして――。
「……そうか」
低い声が漏れた。
「領主様は……やっぱり俺たちのことなんて、どうでもよかったんだ」
「違います。ソック様には悪意など――」
「いいさ」
男がアンナの言葉を遮る。
「だったら――そこのガキを殺してやるよ!!」
「――っ!?」
男は懐へ手を入れた。
次の瞬間、鈍く光るナイフがその手に握られていた。
「そうすれば、アーノルドの野郎も後悔するに違いない!!」
「ソック様!!」
男がソックへ向かって駆け出す。
アンナは咄嗟に魔力を集中させ、防御魔法を展開する。
――その、瞬間だった。
「させません」
サラが猛スピードで動いていた。
アンナが魔法を完成させるよりも早く、サラは男との間へ滑り込む。
「なっ――!?」
男の腕を掴み、そのまま手首を捻り上げた。
「ぎゃああああぁぁっ!?」
ナイフが床へ落ちる。
サラは男の腕を背中へ回し、完全に動きを封じた。
「物騒な真似はおやめなさい」
先ほどまでの明るい声音とは違う――冷たい声だった。
「領主の息子を殺そうとするとは……いい度胸ですね」
さらに腕へ力を込める。
「万死に値しますよ?」
「うるせぇっ!!」
男が叫ぶ。
「どーせ死ぬんだ!! だったら道連れにしてやるまでさ!!」
「……」
サラは男を見つめた。そして、ふっと力を緩める。
「あなたが死ぬ必要もありませんわ」
「……どういうことだ?」
「私が何とかしましょう」
サラは男から手を離した。
男は警戒しながら、サラを見つめる。
「私、今決めました」
サラは静かに告げた。
「カルラ村に、私が赴きます」
「サラ!?」
アンナが驚きの声を上げる。
「今の状況を、私自身の目で確認して……改善します」
「正気ですか!?」
アンナは思わず声を荒らげた。
「カルラ村までどれくらいかかると思っているのです!? それに、ブライド家のメイドはどうなるのです!」
「あなたがいるじゃない♪ 私以上のメイドがね」
サラは振り返る。そして、いつもの笑顔を浮かべた。
「……」
「……旦那様には、直接お話ししなくていいのですか?」
「あなたから伝えて」
サラは即答した。
「それと、リズとコレットのこともお願い」
少しだけ寂しそうに笑う。
「私の我儘に付き合わせちゃって、ごめんなさいね」
「……止めても無駄なんでしょうね」
「ええ」
サラは胸を張った。
「私は頑固だもの☆」
「……知っています」
アンナは小さくため息をついた。
「それなら、せめて無茶だけはしないでください」
「もちろん♪」
「……その返事が一番信用できないのですが」
「まあまあ!」
サラはそう言うと、男へ視線を向けた。
「さて。それじゃあ、行きましょうか」
「……本当に来てくれるのか?」
「ええ。困っている人を放っておけないでしょう?」
「だが……カルラ村までは遠いぞ」
「歩いて行けばいいじゃない!」
サラはあっけらかんと答えた。
「それに――」
厨房の方へ向かう。
「少しくらいなら、ブライド家の備蓄食料を持っていってもいいでしょう」
「ちょ、ちょっと待ってください! 勝手に備蓄食料を持ち出すのですか!?」
アンナが慌てて追いかける。
「カルラ村の人たちが飢えているんでしょう?」
「それはそうですが……」
「だったら必要よ♪」
サラは迷わなかった。
必要な食料をいくつかまとめ、袋へ詰めていく。
「これくらいあれば、少しはましになるでしょう」
「……本当に、あなたは……」
アンナは呆れたように呟いた。
だが――その顔には、どこか納得したような表情も浮かんでいた。
その後、サラは男とともに屋敷を出る準備を整えた。
「では、行きましょう」
「おう……って、待て。俺は歩けるぞ」
「そう?」
サラは首を傾げる。
「でも、夜道を歩いている途中で倒れられても困るわね」
「……え?」
サラが男の肩へ手を置いた。
「少し眠っていてくださいな♪」
「は?」
次の瞬間、男の身体から力が抜けた。
「お、おい……何を……」
「おやすみなさい♪」
男はその場に崩れ落ちる。
そして、サラはその身体を軽々と担ぎ上げた。
「では、行ってくるわね~!」
「……。本当に、とんでもない人ですね」
アンナは唖然としていた。
サラはそのまま扉へ向かっていく。
「アンナ! ソック様のこと、よろしくね!」
「……ええ」
「それと――」
サラは振り返り、笑った。
「また戻ってくるから!」
「……はい」
扉が開く。夜の冷たい風が屋敷へ入り込んだ。
サラは男を担ぎながら食料の入った袋を持って、夜道へ歩き出していく。
その背中が――少しずつ遠ざかっていった。
「……サラ」
アンナは小さく呟いた。
その時。
「アンナぁ……」
「――?」
服の裾を引っ張られる。
振り返ると、ソックがアンナのスカートへしがみついていた。
「眠い……」
「ソック様……」
「アンナ……一緒に寝よ……?」
すでに限界だったらしい。
ソックはアンナのスカートへ顔を埋め、そのまま目を閉じてしまった。
「……まったく」
アンナは小さく笑う。
「こんなところで眠ってはいけませんよ」
そっとソックを抱き上げる。
「お部屋へ戻りましょう」
「んぅ……」
ソックは寝ぼけたまま、アンナの胸元へ顔を寄せる。
アンナはその小さな身体を抱えたまま、廊下を歩いていった。
そして――ソックをベッドへ寝かせる。
「おやすみなさいませ、ソック様」
布団を掛け直すと、ソックは安心したように寝息を立て始めた。
「……さて」
アンナは窓の外を見る。そこには、もうサラの姿はなかった。
カルラ村へ向かって歩いているのだろう。
「……本当に、行ってしまいましたね」
アンナは静かに呟いた。
それから――サラが屋敷へ戻ってくることは、しばらくなかった。
アンナはソックの専属メイドとして、そして、ブライド家のメイド長としての日々を過ごす。
一方のサラはカルラ村へ赴き、村の問題と向き合っていく。
これまで同じ屋敷で、同じ仕事をしていた2人。
それが――完全に別々の道を歩み始めることになったのだった。




