閑話④ 初仕事の終わり
ブライド家の厨房は、食堂の奥にある広々とした部屋だった。
棚には大小様々な鍋や調理器具が整然と並び、磨き上げられた包丁が輝いている。しかし今、その厨房は静かな空気とは程遠かった。
鍋から立ち上る湯気が部屋中を包み込み、熱気が充満していたのである。
「デルグダケ毒抜き工程第1段階!!」
サラが声を張り上げる。
「80度の熱で10分間加熱!! その間に私特製の分解魔法で、毒素を無害な気体へ少しずつ変えながら、空気中へ逃がす!」
右手からは火属性魔法。左手の甲からは淡い緑色の魔法陣が出ていた。
2種類の魔法を同時に展開しながら、箸のようなものでデルグダケを丁寧にかき混ぜていく。
「アンナ! どう!? 薄れてきてる?」
「ええ。それなりに薄れてきています。いい感じです」
アンナは目を細め、魔力で成分を解析する。
(両手で全く異なる性質の魔法を同時に制御していますね。高い魔力操作技術です。しかも――毒素は確実に中和され始めています)
(……あながち無謀というわけでもないのですね)
「よーし!! じゃあ第2段階!!」
サラはさらに魔力を高めると、厨房全体へ冷気が広がった。
「今度は急速冷却!! 毒だけを『固体』にして吐き出すよう調整するわ!」
「でも冷やしすぎると食感が死んじゃうから、そこが勝負どころよ!!」
調理器具が割れないよう慎重に温度を制御しながら、タイミングを見計らって一気に冷却していく。
やがて――。
ゴトッ。鍋の底から、紫色の毒々しい塊が転がり落ちた。
「残った毒の分離完了!!」
サラは嬉しそうに笑う。
「じゃ、アンナ! 最終確認お願い!」
「承知しました」
アンナは受け取ったデルグダケへ、サラから教わった成分確認用の魔法を発動させる。
薄い光がキノコを包み込む。そしてアンナは、小さく一口だけ齧った。
「……毒は人体へ影響しない程度まで弱まっています。ですが、『完璧』ではありません」
さらにもう1口食べながら言い放つ。
「あと……正直に申し上げると、食感が微妙です」
「そっかぁ~~! 5回目も失敗ね!!」
サラは肩を落とすが――すぐ笑顔へ戻った。
「じゃあ次! 6回目!!」
迷いなく鍋の中身を捨て、新しいデルグダケを取り出した。籠の中身は、すでに半分ほど減っていた。
「サラ」
アンナが静かに声を掛ける。
「もう十分ではありませんか?」
「ん?」
「確かに食感は多少落ちています。しかし、食べられないほどではありません。シチューへ入れるのであれば、この程度でも十分美味しく仕上がるかと」
「ダメ!!」
サラは即答した。
「せっかくの機会なんだから妥協したくないの! もしかして、アンナはもう疲れちゃった??」
「いえ、全然」
アンナは小さく笑う。
「大精霊を舐めないでください」
「さっすが~~!! 大精霊様様よ!」
サラは満面の笑みを浮かべた。
それから2時間。試行錯誤を繰り返し――。
7回目。ついに、その瞬間が訪れた。
アンナは出来上がったデルグダケを口へ運ぶ。
心地よい弾力と噛むほどに広がる濃厚な旨味を感じた。そして、毒の気配は一切感じられない。
「……!!」
アンナの表情が大きく変わった。
「美味しいですよ、サラ!! 素晴らしいです!」
珍しく声を弾ませる。
「ほんと!?」
サラも慌てて一口、二口と味見を重ねた。
「これよ!!」
厨房中へサラの声が響いた。
「これこれ!! 私が求めていた味!!」
気付けば2人は顔を見合わせ、パァンッ!と勢いよくハイタッチしていた。
「あ……。失礼しました」
アンナは途端に我に返る。
「何が失礼なのよぉ☆」
サラは嬉しそうに笑う。
「大精霊様とハイタッチできるなんて~~! 私ってばどんな徳を積んだのかしら!」
「からかわないでください、サラ」
呆れたように返しながらも、アンナの口元には自然と笑みが浮かんでいた。
こんな風に誰かと成功を喜び合ったのは――いつ以来だっただろうか。
「……あっ!! やばい!!」
サラの顔が突然に青ざめる。
「どうしました?」
「夕飯!! 急いでシチュー作らないと間に合わない!!」
「......ですね。さっさと片付けて取り掛かりましょう」
2人は袖をまくって気合を入れ、シチュー作りに取り掛かるのだった。
◇◇◇
夕食の時間。サラは、蓋が閉まったお皿を運び、丁寧にテーブルへ置いた。
「旦那様、奥様。本日の夕食は『デルグダケのシチュー』でございます」
蓋を開けた瞬間――芳醇なキノコの香りと、野菜や香草が織り成す優しい香りが食堂いっぱいへ広がる。
「ぜひ、ご賞味ください♪」
「わぁ~~! 美味しそうね、サラちゃん!」
ナザリーが目を輝かせた。そして、サラをまっすぐに見つめる。
「アンナとの初仕事、どうだった?」
「とっても楽しかったですよ♪」
サラは笑顔で答える。
「ね、アンナ?」
「ええ。……それなりに楽しめました」
「もう! 素直じゃないんだから~~」
「では、いただくとしようか。『噂』の食感、楽しみだな!!」
アーノルドがスプーンを手に取る。一口食べた、その瞬間だった。
「……これは、うまい!!」
アーノルドの目が見開かれた。
「今まで食べたキノコ料理の中で、一番だ!!」
「本当ですか!? 頑張った甲斐がありましたわ!」
サラの顔がぱっと明るくなる。
「食感も最高ね!!」
ナザリーも嬉しそうに微笑む。
「こんなキノコがあったなんて」
その後は会話も弾み、和気あいあいとしていた。
「おかわりあるか?」
「もちろんです♪」
「アンナも食べなさいよ!」
「では、お言葉に甘えて」
笑い声の絶えない、穏やかな夕食の時間が流れていったのだった。
◇◇◇
――夜。
アンナとサラはメイド服姿のまま、部屋へ戻ってきていた。
「アンナ、初仕事お疲れ様~!!」
サラは伸びをする。
「今日はもう終了よ。この部屋でゆっくり休んでて♪」
「……サラはどうするのですか?」
「私は廊下と図書室のお掃除。今日はデルグダケ料理に時間を取られちゃったから、その分を片付けないとね~」
「でしたら私も一緒に――」
「ダメよ」
サラはぴしゃりと言い切った。
「今日はもう遅いわ」
そして優しく微笑みながら、アンナの肩に手を置く。
「掃除については明日、じっくり教えてあげるから!」
「……分かりました」
アンナは静かに頷くと、部屋を出ていくサラの背中を見送った。
扉が閉まる音が響き、部屋は静寂に包まれる。
「さて……」
アンナはメイド服を丁寧に畳み、部屋着へと着替えた。
そして、ふかふかのベッドへ腰を下ろす。
大精霊は、眠らなくても何の問題もない。食事も睡眠も、本来は生きるために必要な行為ではなかった。
だが、眠ること自体はできる。
魔力の流れをゆっくりと制御し、活動を極限まで抑えることで、人間の睡眠に近い状態へ移行できるのだ。
もっとも、その恩恵は『気分が少し良くなる』程度。実用性はほとんどない。
ちなみに闇の大精霊テレサは、その睡眠状態へ誰よりも効率良く入る方法を編み出したらしい。
本人いわく、『寝るのも~才能だから!!睡眠取った後のゲームって最高すぎぃ!』
......だそうだ。
「……私も、やってみますかね」
アンナは苦笑しながら横になる。
ゆっくりと瞼を閉じ、魔力の流れを穏やかに整えていく。
そして、眠りについた――はずだった。
「まっったく、寝れませんね。どうしたものか」
アンナはぱちりと目を開く。
妙に胸騒ぎがする。理由は分からない。
しかし意識だけは、驚くほど冴え渡っていた。
「……少し屋敷の中でも歩いてみますか」
アンナは、おもむろにベッドから立ち上がる。
「他にどんな部屋があるのか、下見も兼ねて」
◇◇◇
屋敷の廊下は、すっかり夜の静けさに包まれていた。
窓から差し込む月明かりだけが、床を淡く照らしている。
完全な深夜だ。アーノルドたちも、すでに眠っているに違いない。
アンナは静かに廊下を歩いた。
1階、2階、3階。
屋敷全体を散歩するように見て回る。
図書室の位置に食料庫、非常口になりそうな窓の位置まで。すべて頭の中へ記憶していく。
「……あらかた回りましたね。そろそろ部屋へ戻りますか」
そう言って踵を返した、その時だった。
廊下の奥で一室だけ、灯りが漏れている部屋があった。
「……?」
こんな時間に?
不思議に思い、そっと近付く。
扉は少しだけ開いていた。
アンナは隙間から中を覗き込む。そこにいたのは――。
「ごほっ……!」
苦しそうに身体を折り曲げるサラだった。
「ごほっ、ごほっ……っ! かはっ……!!」
肩を震わせながら、洗面台へ向かって何かを吐き出している。
その瞬間、アンナの瞳が見開かれた。
(あれは――血……!?)
「サラ?」
思わず声が漏れる。
「はぁ……はぁ……」
返事はない。
「サラ!!!!」
気付けば、アンナは大声を上げていた。
サラはゆっくりと顔を上げる。
「……アンナ?」
苦しそうだった表情は、一瞬でいつもの笑顔へ戻っていた。
「駄目じゃない♪ こんな時間までうろうろしてちゃ」
「だって、サラ!」
アンナは洗面台を指差す。
「今、血が――」
「血?」
サラは首を傾げる。
「何のことかしら??」
アンナは洗面台の中へ視線を落とした。
「……!!」
何もない。先ほどまで見えていたはずの血痕は、跡形もなく消えていた。
(……気のせい?)
アンナは眉をひそめる。
(ですが、一瞬だけ魔力が動いたような……)
違和感だけが胸へと残る。
「アンナ。メイドのお仕事は、まだ始まったばかりよ♪」
サラは優しく微笑み、人差し指を立てる。
「だから今日は、ちゃんと寝て、明日に備えなさい」
いつもの明るい声だった。
「……いいわね?」
「……はい」
アンナは静かに頷く。
だが胸の奥に残る違和感だけは、最後まで消えることはなかった。
この時のアンナは、気付かなかった。
――いや。
気付いていながら、無意識に目を逸らしてしまったのかもしれない。
あの夜。もし、もっと。
もし、あの時サラともっと向き合っていたなら。
その先に待つ未来は、少しだけ違っていたのかもしれない。




