閑話③ メイドとしての始まり
「サラ!! な、なんだね!? その……血まみれの女性は――!?」
ブライド家の屋敷、その応接室で領主アーノルドの悲鳴にも似た叫び声が響き渡った。
「あら、旦那様☆ こちらの方が新しい『メイド』として働かせていただきたいと考えている、アンナですよ♪」
「ご安心ください、旦那様。これは魔物の『返り血』ですので」
アンナはいつも通り淡々と答える。
だが、それを聞いてもアーノルドの顔色はまったく変わらなかった。
「そ、そういう問題ではない気がするのだが……」
頬を引きつらせながら呟く。
「あらあら、まあまあ」
そんな場を和ませるように、ナザリーが優しく微笑んだ。
「服装からして冒険者さんよね? どうしてこんな辺境の地まで?」
「冒険者パーティーから追放されましてね。そのまま各地をふらふら彷徨っていたら、この地へ辿り着きました」
「そ……そうだったのね」
ナザリーはどこか同情するように頷いた。
その時、彼女の肩の周囲を漂っていた幾つもの光球が、突然せわしなく飛び回り始めた。
アンナの瞳が僅かに細くなる。
(……まずいですね。このナザリーという女性、精霊契約者でしたか。私の正体がバレたかも)
精霊と契約する人間は極めて少ない。
アンナがそういった人間と行動を共にする場合は専用の魔力偽装をするのだが、この日のアンナは出来ていなかった。
数百年精霊と契約した人間とは会っていなかったことに加えてーーなんだかぼーっとしていたからなのだろうか。
「ひーちゃん!? 急にどうしたのよ?」
ナザリーは慌てて光球へ声を掛ける。
しかし次の瞬間。
「えっ……!? う、嘘……!」
彼女の顔から笑みが消えた。
「あ、アンナ」
状況をまるで理解していないサラがアンナに笑顔で話しかける。
「ナザリー様は光の精霊と契約しておられるのよ♪ 名前は『ひーちゃん』って言うの。単純だから覚えやすいでしょ?」
「サラちゃん!!」
ナザリーが慌てて叫ぶ。
「そんな呑気に紹介してる場合じゃないわ!!」
そして震える指でアンナを指差した。
「その人……その人は……」
一呼吸置いて、言葉を絞り出す。
「『土の大精霊』アーセラ様よ!! ひーちゃんがそう言ってるの!!」
「「……へ?」」
サラとアーノルドの声が見事に重なった。部屋に静寂が落ちる。
アンナは額へ手を当て、小さくため息をついた。
「……やってしまいましたね。完全に油断していました」
珍しく困ったように苦笑する。
その様子を見たサラは目を丸くした。
「ほ、本当に『土の大精霊』アーセラ様なの!? びっくり!!」
「……ええ。まあ、その通りです」
アンナは静かに頷く。
「『アンナ』という偽名を使っていたこと……怒っていますか?」
「いや?」
サラは首を傾げる。
「単純にびっくりしただけだけど?」
予想外の返答だった。
「そうですか......。すみません。私は、やはりメイドの仕事は辞退します。正体が知られた以上、ご迷惑になるでしょう。さっさとここを去りますね」
「んー? なんで?」
サラは不思議そうな顔をする。
「……はい?」
「メイドやってみたいんでしょ?」
「そうですが……」
アンナは言葉を選ぶ。
「普通、大精霊と一緒に暮らすなど落ち着かないでしょう。それに……」
少し苦笑する。
「正体が分かったのに、ずいぶん自然に話しますね」
「そう?」
サラはけろりとしていた。
「冒険者だったならメイドになってもいいじゃない。こっちは人手不足なのよ? 大精霊だろうが何だろうが、大歓迎♪」
サラはいたずらっぽく笑っていた。
「それとも敬語じゃないと嫌かしら? 大精霊様☆」
「……別の意味で少し腹は立ちますが」
アンナは肩を落とした。
「嫌ではありません。むしろ敬語の方が苦手です」
そして、真っ直ぐサラを見る。
「今の私は『アンナ』です。変わらずアンナと呼んでください」
「了解♪」
サラは満面の笑みで頷いた。
「旦那様、奥様。というわけで、今日からアンナにメイドとして働いてもらっていいですよね?」
アーノルドとナザリーは互いに顔を見合わせる。
そして、2人同時にため息をついた。
「……サラがそこまで言うなら問題あるまい」
「アーセラさ……コホン。アンナ」
アーノルドは、咳払いをする。
「あなたを、ブライド家のメイドとして迎えよう」
「ありがとうございます! 決まりね、アンナ!」
サラが飛び上がるように喜ぶ。
「……ありがとうございます」
アンナは静かに頭を下げた。
――本当に、不思議な人だ。
これまで出会ってきた人間は、大精霊だと知った瞬間に態度を変えた。
距離を置く者、震えて跪く者、必要以上に敬う者。
当然のことかもしれないが、そんな者ばかりだった。
だがサラだけは違う。まるで最初から変わらない。
(……私以外の大精霊だったら、とっくに怒って殺していますね。接し方としては『最悪』です)
アンナは小さく笑う。
(でも――私にとっては、それが一番心地いい)
怒ったように飛び回る光球を一瞥すると、アンナは柔らかく微笑みかけた。
すると、光球たちはぴたりと静止した。
ナザリーは苦笑いしたまま固まっている。
「契約書には後ほど署名してもらう。働く以上、正式な雇用と報酬を約束しよう」
「報酬には興味ありません」
アンナは即答した。
「ですが、『形式』は大切ですからね。承知しました」
こうして、ブライド家とアンナの少し騒がしい出会いが幕を開けたのだった。
◇◇◇
ブライド家のとある一室。アンナは返り血を綺麗に洗い流し、サラに案内されながら着替えの準備を進めていた。
サラは手際よく採寸を終えると、棚から何着ものメイド服を取り出していく。
「ん! このサイズなら合いそうだわ!」
一着を取り出し、アンナへ差し出す。
「アンナ、着てみて! 着方は分かる? ここのチャックを――」
「問題ありません。推測済みです」
アンナは一目見ただけで構造を理解していた。
そう言い終えるより早く、驚異的な速さで着替えを始めた。
そしてアンナは、最後に頭へホワイトブリムを丁寧に装着した。
鏡の前へ立ち、身だしなみを確認する。
「おお~~っ!! 似合ってるわよぉ!! 血であんまり分からなかったけど、かなりの美人さんね!」
「お世辞は結構ですよ、サラ・アメリヤ」
アンナは鏡から視線を外し、淡々と答える。
「あなたほどではありません」
「えぇ!?」
サラは両手で頬を押さえた。
「ちょっっ、急にそんなこと言われると照れるじゃない!」
頬を赤らめながら身をよじる。
アンナはそんな様子を見ても表情一つ変えない。
「早く『仕事』に取り掛かりましょう」
「え?」
「作るのでしょう? デルグダケ料理」
ホワイトブリムの位置を軽く整える。
「毒を抜く工程だけでも、それなりに時間がかかると思いますよ」
「もうっ! せっかちねぇ!」
サラは苦笑しながら扉へ向かった。
「んじゃ、食堂へ行きましょうか!」
食堂へ向かう廊下を歩きながら、アンナは尋ねる。
「ところで、毒を抜くアテはあるのですか? もしかして、そこから一緒に探っていく感じでしょうか?」
「ううん♪」
サラは首を横へ振った。
「やってみたいことがあるの」
そう言って、エプロンのポケットから折り畳まれた1枚の紙を取り出し、アンナへ差し出した。
「これ、見て」
アンナは紙を受け取り、内容へ目を通す。
そこにはデルグダケの毒抜きを行うための2段階の調理工程と、その途中で使用する複数の魔法が細かく書き込まれていた。
「……!?」
アンナの目がわずかに見開かれる。
「この私が……見たことのない魔法がありますね」
「そうよん♪」
サラは胸を張る。
「それは私が独自に開発した魔法――『生活魔法』よ!」
「生活魔法……」
「そ! アンナは超一流の魔力操作技術を持ってるでしょ? だから、こんなのすぐ覚えられるわ!」
サラは目を輝かせながらアンナを見つめる。
「この『新作料理作り』を皮切りに、私が今まで培ってきた生活魔法を全部叩き込む!!」
そしてサラは一度言葉を切り、肩をすくめる。
「ま、戦闘ではまっっったく役に立たないけどね☆」
補助魔法。その中には、日々の生活を便利にするためだけに生み出された魔法が存在する。
そういった魔法は術者ごとの独創性が極めて高く、国や学会から正式な魔法名が与えられることはほとんどない。
誰か一人の生活をより豊かにするためだけに磨かれた、まさに”個人技”だからである。
そして――サラ・アメリヤは、その分野を徹底的に極めた人物だったといえよう。
アンナは一見すると『無駄』にも思える魔法をひとつひとつ学びながら、料理、掃除、洗濯、裁縫……あらゆるメイド仕事を通じて、彼女の生き方に触れていく。
それはやがて、アンナ自身が『メイド』として歩む礎となるのだった。
サラから受け継ぐのは、魔法だけではない。『メイド道』とも呼ぶべき、1つの信念。
それをアンナが知るのは、もう少し先の話であった。




