閑話① とあるメイドの話
とある日の朝。
大森林の奥深く――朝日が木々の隙間から降り注ぐ、暖かな空き地。
倒木の上へ腰を下ろした、1人の女性がいた。
腰には1本の剣。動きやすさを重視した革製の胸当てと深緑色の軽装。
腕には使い込まれた籠手、膝まであるブーツ。どこからどう見ても、一流の冒険者そのものだった。
だが、その全身は夥しい魔獣の返り血によって真っ赤に染まっていた。
「……ちょっと、やりすぎましたかね」
困ったように呟いたその女性こそ――『土の大精霊』アーセラ。世界に7体しか存在しない、大精霊の一柱である。
ほんの数時間前まで、アーセラは冒険者パーティーへ所属していた。
その生活はあまりにも短かったのだが。理由は単純。強すぎたのだ。
仲間が何日かけても倒せない魔獣を、一瞬で殲滅してしまう。
そして何より――返り血を浴びながら何事もなかったように首を傾げる彼女の姿は、人間にとってはあまりにも異質だった。
思わず、吐き出した者もいたくらいだ。
誰一人として、彼女を「仲間」としては見なかった。そして結局、遠回しにパーティーから追放されてしまった。
『また冒険者気取り?』
どこからともなく、呆れた女性の声が響く。
『ほんっと、飽きないわねぇ』
アーセラは無表情で返事をする。
「相変わらず姿を見せないのですね、ラース」
『ええ。私は今、『学園』の設立で忙しいもの。あんたと会ってる暇はないわぁ』
『今回はたまたま土地に害をなす魔獣だったから、クロノス様も黙認してくれたけど。今度は生態系を壊すような真似はしないでよ?』
『人間とは相容れない存在だし、人間を助ける義理なんてない。全ての生物に平等であるべきなのよ?』
「あははは。ラースこそ、人間に随分ご執心では?」
『私は人間観察よ』
ラースは即答した。
『面白い”素材”がいるか調べてるだけよん。ちゃんと精霊としての仕事もしてるわ。あんたとは違ってね』
「あー、そうですか。ふーん。偉いですねぇ」
『生意気ね、本当に』
呆れた溜め息が聞こえる。
『くだらない職探しはもうやめて、そろそろ神殿に戻ったら?』
「んー……。あと1つだけ」
アーセラは空を見上げる。
「あと1つだけ経験したら帰ります」
『あ、そう。どうせ長続きしないでしょうし。クロノス様には伝えておくわ』
興味なさそうな返事だった。
「お好きにどうぞ」
声は完全に聞こえなくなり、ラースの気配も消える。
アーセラは倒木から滑り降り、そのまま地面へ寝転がった。
寝っ転がって、空を見上げながら、これまで歩んできた日々を頭の中で反芻する。
これまで色々な『仕事』を経験してきた。
料理人、鍛冶師、教会のシスター、ギルドの受付嬢、宝石商、大商会の秘書。
ーーそして、冒険者。パーティの前衛も、後衛も、回復役も経験した。
数え切れないほど多くの人間と関わった。
ラースと共同で魔道具を開発し、大儲けしたこともある。人間社会のことは、誰よりも知っているつもりだった。
それでも、退屈だった。何故か、退屈だった。そそられなかった。
印象に残る人間もいたし、気が合う人間もいた。
性根が腐りきった人間も見たことあれば、善性の塊のような人間もいた。無自覚に悪意を振りまく人間もいた。
けれど、その誰もが数十年後には老い、死に、別れていく。
唯一、エルフとは数百年にわたって親交があったが、長く生き続けているがゆえに、感情が乏しい者ばかりだった。
それはそれでいいのかもしれないけれど。アーセラにとってはあまり興味がそそられる対象ではなかったのだ。
「……私は、一体何がしたいのでしょうね」
静かな森へ独り言が溶けていく。
「ふらふら、ふらふら……彷徨うばかり。もう神殿へ戻って、あの退屈な仕事を――」
立ち上がろうとした、その時だった。
「あら?」
女性の声がした。振り向くと、1人の女性が立っていた。
腰まで届く鮮やかなオレンジ色の髪に、黄金色の瞳。
その立ち居振る舞いは優雅というほかなかった。
そして、黒と白を基調とした美しいメイド服を、着ていたのだ。
「あらまぁ!! 貴方、血まみれじゃない!! 大丈夫!? すぐ手当てしなきゃ!」
女性は目を丸くする。
「いえ、お構いなく。これは全部、魔獣の返り血です」
アーセラは首を振る。
「そ、そうなの……?」
「でも駄目よ! そんな血だらけじゃ汚いし、不衛生でしょう? 綺麗にしなきゃ!」
「……別に必要ありませんが」
少しだけ困惑しながら尋ねる。
「ところで、あなたはここで何を?」
「私はね、この森のキノコを採りに来たの」
女性は嬉しそうに籠を掲げた。
「新作料理を作ろうと思って☆ これもブライド家の『メイドの仕事』の1つなのよ」
「……『メイド』」
その言葉に、アーセラは小さく笑う。
「ふふ、なるほど。最後の『仕事』としてやってみるのも悪くない」
「……?」
女性は首を傾げた。アーセラは真っ直ぐ彼女を見つめる。
「私に、『メイドの仕事』を教えていただけませんか?」
「いきなり!?」
女性は目を丸くしたあと、すぐ笑った。
「でも人手不足で大変だし、願ったりかなったりだわ。あなた、お名前は?」
アーセラは一瞬だけ考え、静かに答えた。
「私は――アンナ、と申します」
大精霊アーセラ。彼女は人間社会で暮らす時、必ず偽名を使っていた。
『大精霊』だと知られれば、面倒事しか起きないと理解していたからだ。
「よろしくね、アンナ」
女性は優しく微笑む。
「私の名前は、サラ・アメリヤ。ブライド家に仕えている――ただのメイドよ」
爽やかな朝の風が森の中を駆け巡り、2人の間を吹き抜ける。
この日からアーセラは、『アンナ』という名前で生きることになる。
それは、1体の大精霊が初めて居場所を見つけた日。この出会いは、彼女へ新しい『生き方』と新しい『名前』を与え――「小さな誓い」へと繋がっていくのだった。




