ブライド領襲撃戦⑧
アンナがミランダと接敵する数分前。マルタ村の静まり返った道を、アンナはたった1人で歩いていた。その横顔は――どこか寂しげだった。
住民の姿はない。避難を終えた村には、風が木々を揺らす音だけが響いていた。
アンナの耳元では、魔道具からラースの声が流れる。
「いい? 領主であるアーノルド・ブライドが死亡または敵の手に落ちた場合、この戦いの負けは確定するわ」
ラースは淡々と告げる。
「その時点で、アンナ。あなたのメイドごっこは終わりよ」
アンナは足を止めない。
「……絶対にさせません」
「でも『現実』ってのは無慈悲なのよ。いつだって最悪を想定して――」
「なりません!!」
アンナの声が珍しく荒くなる。
「これ以上、私をイライラさせないでください。通信を切りますよ?」
一瞬だけ沈黙が流れるが、ラースは鼻で笑う。
「甘えたこと言ってんじゃねぇよ」
声音だけが鋭く変わる。
「所詮、人間は人間。それに対して、あなたは大精霊。彼らとは絶対的な『差』がある。ルカ・ラウナホールや『災厄の七席』は人智を超えた力を手にして、『こちら側』に至ったけれどね。でもそれは、選ばれたものだけ」
「ソック様は今、壁を越えている途中です」
アンナは迷いなく言い切った。その言葉に対し、ラースは即座に返す。
「ええ。でも、まだ至ってはいない」
「ルカ・ラウナホールがここまで早い段階で動くことは、私も読めなかった。でもね、目を付けられた時点で、あなた達は『詰み』に近い状態だったのよ」
「まだ、詰んでません」
アンナは前だけを見据えながら歩き続ける。
「結界の防御機能で敵戦力は大幅に削りました。ゴーレムもいます。魔石の自動回復機能も、もうすぐ復旧します。大きな障害であるミランダさえ倒せれば――勝てます」
「0%とは言わないわ。けれど、絶望的状況であることには変わりはない!!敵はミランダだけだとでも思ってる??」
「……それは」
アンナの歩みが、ほんの一瞬だけ止まる。
「あなたは『人』と『精霊』との間で揺れている、厄介な存在になってしまったのよ」
ラースは静かに告げる。
「放置していた私達にも責任はある。でも、とにかく――『負け』が確定した時点で、あなたを精霊神殿へ即座に連れ戻す。それが最大限の譲歩よ」
アンナは数秒間黙り込んだ。
「……スキルの使用許可は?」
「ついさっきクロノス様から下りたわ。ギリギリまで力を解放していいってさ。まったく、クロノス様も甘いわね」
「ありがとうございます」
アンナは静かに礼を言う。その直後、表情が変わった。
「……こちらへ急接近する魔力反応があります。通信を切りますね」
「じゃ、頑張って」
ラースはあっさりと言う。
「私は絶対に手出ししないけど。これは、あんただけの戦い。自分勝手で、愚かで、傲慢な......ね」
ラースとの通信は切れ、静寂が戻る。
アンナはゆっくりと目を閉じ、自身の身体へ魔力を巡らせる。
(たしかに、私は中途半端)
(『人』と『精霊』。本来なら決して相容れない存在なのに、私はどちらにもなりきれないでいる)
胸の奥で本能が、魂が叫んでいた。
(精霊としての責務を果たせ。お前が生きる道は、それしかない)
――それでも、私は彼女と出会ってしまったから。アンナの脳裏に、1人の女性の姿が浮かぶ。
サラ・アメリヤ。あの日交わした、小さな小さな約束。
(あなたとの誓いを……私は守りたい)
だから。私は覚悟を決めなければならない。『人』か『精霊』のどちらになるかを。
◇ ◇ ◇
ミランダとアンナは、互いのスキルを激突させながら上級魔法を撃ち合っていた。
戦闘開始直後はほぼ互角だったが、その均衡は崩れていた。
アンナが自身へ重ね掛けする補助魔法。その効果が、1つ、また1つと積み重なっていく。
攻撃速度、威力、身体能力。
すべてが時間とともに底上げされ、その積み重ねが徐々に戦況を傾けていく。
ミランダも身体強化魔法で対抗していたが、アンナの詠唱速度には追いつけなかった。
「がはっっっ!!」
ミランダは大量の血を吐き出し、荒い息を繰り返した。
身体を起こそうと腕へ力を込める。しかし、それだけで全身の骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げた。
「はぁ……っ、はぁ……っ……!」
視界は霞み、呼吸をするだけでも胸が焼けるように痛い。
(くそ……!!これ程とは……!)
震える手で地面を掴む。
(『制限解除』を使うべきか?)
一瞬だけ、その言葉が頭をよぎる。
(いや……まだダメだ。奴はまだ『本気』を出していない。ルカ様からの命令に背くことになる……)
ミランダは奥歯を噛み締めながら、思案する。額から汗が流れ落ちた。
(どうする――)
「大分しぶとかったですが、これで終わりです」
アンナが静かに右手を掲げる。
「早く楽になってくださいね?」
ゴゴゴゴゴゴゴゴッ――!!
大地が震え始める。膨大な土属性魔力が空中へ集束し、1本の巨大な土槍を形成していく。
先端は鋭く磨き上げられ、まるで山そのものを削り出したかのような巨大さだった。
その切っ先は、真っ直ぐミランダへ向けられている。
(まずい……!!)
ミランダの全身を悪寒が駆け巡る。
(あれを今の状態でまともに受ければ……私は確実に死ぬ!!)
ミランダは必死に身体を動かそうとするが、思うように力が入らない。
補助魔法によって強化されたアンナのスキルによる重力は、未だに身体へ重く圧し掛かっていた。
(避けられない……!!)
巨大な土槍が放たれようとした、その瞬間だった。
ふっと辺り一帯から、光が失われ、闇に覆われた。
「……?」
アンナの表情が僅かに変わる。先ほどまで晴れていた空が、一瞬で陰った。
そして、突如として圧倒的な魔力を持つ者が、この場へ降り立ったのだ。
アンナの本能が、最大級の警鐘を鳴らす。
(この魔力は……!!)
咄嗟に土槍を維持したまま後方へ距離を取り、全身へスキルと防御魔法を重ね掛けする。
視線は、魔力が出現した地点から決して外さない。
やがて、空間がゆらりと歪み、1人の少女が妖艶な笑みとともに姿を現した。
「間に合いましたねぇ♡......にしても随分と派手にやられちゃってますねぇ。あ、もしかしてもう死んじゃってたり?♡」
その声を聞いた瞬間、ミランダは身体の力をわずかに抜いた。
「……ミレア・カートノット!やっと来たか」
戦局は佳境へとさしかかっていた。




